【今どきのダメ上司】部下が「やらされ感」を覚えてしまうたった一つの問題行動
■ 部下育成に必要な言葉のチョイス
相変わらず「やらされ感」という言葉をよく耳にする。ある営業課長から「部下育成について相談がある」と言われ、状況を詳しく聞いたあと、
「まず組織で決めた行動計画をやり切らせることが大事です」
とアドバイスした。すると、
「でも、部下がやらされ感を覚えたら、ダメじゃないですか」
と言われたのである。
「やらされ感?」
「はい。いくらそれが正しい方法だとしても、やらされ感を覚えたら、部下のモチベーションは下がりますよね?」
また、「やらされ感」か……。
私は、うんざりした。「モチベーション」だの「やらされ感」だのといった言葉をチョイスする管理職は、感度が落ちている、と私は捉えている。
23歳の部下も、29歳の部下も、34歳の部下も、十把ひとからげに見ているとしか思えない管理職たちの反応である。日ごろから部下たちと、正しく向き合っているのだろうか。
よく考えよう。なぜ部下が「やらされ感」という感情を覚えたらダメなのか? なぜ部下が「やらされ感」を覚えたら「モチベーション」がダウンするのか?
なんとなく「部下がやらされ感を覚えたらダメじゃないですか」と口にして、「やらない理由」を見つけているだけのようにしか聞こえない。それなら、いつまで経っても部下は成長しないし、仕事の生産性もあがらない。
■ 稲盛和夫氏の名言を引用する
私は企業の現場に入り、目標を絶対達成させるコンサルタントである。そのため、講演を依頼されるときも「絶対達成」をテーマにしているときが多い。
講演の中で、私はたまに稲盛和夫氏の名言を引用することがある。その名言とは――
バカな奴は、単純なことを複雑に考える。
普通の奴は、複雑なことを複雑に考える。
賢い奴は、複雑なことを単純に考える。
である。
高度情報化時代となり、単純なことを複雑に考える管理職が激増した。だから、こういう上司が部下育成をすると、とても生産性が落ちる。そのことを伝えたいとき、この名言を活用するのだ。
やらなくちゃいけないことがあったら、グダグダ言わずにやればいい。とても単純なことだ。
にもかかわらず、部下本人ではなく上司が、「そんな言い方をしたら、やらされ感を覚えてしまう」だとか、「まずモチベーションを上げることが先決だ」と言うからややこしくなる。
冒頭の話に戻ろう。
「課長、この行動計画をキチンとやり切らせてくださいよ」
と私がアドバイスしたところ、
「そうは言っても、部下が『やらされ感』を覚えたらいけないですよね?」
と、言い返してきた。稲盛和夫氏の名言からすれば、決して賢くない思考である。
この課長の先入観をただすためだ。実際に部下4人を集め、誰が「やらされ感」を覚えるのかをストレートに質問してみた。
すると4人全員、そんな感情を覚えたことはない、と答えた。
上司から「キチンと行動計画どおりにやれ」と言われたら、素直に「はい」と言えず、曇った表情ぐらいはするかもしれない。しかし、それが仕事だし、上司から言われたら、やるのは当たり前。「やらされ感」など覚えたことがない、と言うのである。
それどころか4人のうち4人全員が、声をそろえて
「そもそも、課長から『やれ』とは言われてませんけど」
と言った。
「1回は、言われたかもしれない」
「普通、1回言われただけなら、動かないですよ。というか、覚えていない」
「2回、3回言われてやっと動く私たちに問題があるかもしれないけど」
「でもさ、1回言われるだけで動く部下ばかりだったら、上司なんて要らないと思わない?」
そんなことを好き勝手に言っているので、私がこう尋ねてみた。
「じゃあ、2回、3回同じこと言われても『やらされ感』は覚えないってこと?」
すると、4人のうち1人が怪訝そうな表情をして、こう言って笑ったのだ。
「だいたい、やらされ感って何ですか?」
他の若手社員も同調した。
「私も意味がわからない」
「俺も。やらされ感って言われても、仕事だし」
そうそう、そうなのだ。
おもしろいことに、経営者や管理者からはやたらと「やらされ感」と聞くが、意味がわかるようでわからないこの言葉を、実際のところ、現場の若手社員からは、ほとんど聞かない。
「給料もらってんだから、やるべきことはやるよ。上司はもっと、ハッキリ言ってほしい」
主体的には動かないし、やる気のない態度も時おり見せる。だが、上司から言われたらちゃんとやろうとする。それが今どきの若者の習性だ。
私は外部のコンサルタントだから、わかる。遠慮せず、そして高圧的な態度もとらず、普通に、
「先週も言いましたが、期限までにこの行動計画をやり切ってください」
と彼ら彼女らに指示をする。やり切るまで何度でも、淡々と言う。組織で合意形成したことなのだから、何度か言っていれば、必ず全員がやろうとするものだ。
■「やらされ感」の定義
若手4人が言ったとおり、そもそも「やらされ感」とはいったい何なのか? 「モチベーション」という言葉と同じように、意味もわからずに使っている人がやたらと多いので、ここで再確認をさせてもらいたい。
まず、私自身がどういうときに「やらされ感」を覚えるか、それを書き出してみよう。
たとえば私は週末、妻に代わってよく料理をする。しかし慣れないせいか、料理をしながら片づけをすることができない。
だからか、そういう私を見かねて、妻が「どうせやるなら、使った調理具を洗いながらやって」とか「せっかくなら、台所をキレイに使ったほうが気持ちよくない?」などと言ってくる。
すると、だんだん気分が萎えてくる。
「仕事で疲れているのに、週末に料理までしてくれてありがとう」の一言ぐらいあってもいいだろう。そんな負の感情がわき上がってしまうからだ。私が「やらされ感」を覚えるのは、だいたいこういうときだ。
こういった経験から言えることは、「やらされ感」とは、もともと自分自身が「やる必要のないこと」を「やって当たり前だ」という態度で強制されたときに覚えてしまう感情、と定義付けていいだろう。
まとめると、
● 自分にとって「やる必要がないこと」にもかかわらず、
● 依頼者が強い態度でオーダーしてくるとき
に、人は「やらされ感」を覚えるのだ。
上司は、自分の部下が「やる必要のあること」「やって当たり前のこと」を十分にやっていなければ、キチンと指摘すればいい。単純なことだ。
1回言ってもダメなら、もう1回言えばいい。それでもダメなら、もう1回言えばいい。
そのときに気を付けることは3つ。
(1)「何度言えばいいんだ。2回も3回も言わせるなよ」と嫌味っぽく言わないこと
(2)みんなの前で言わず、1対1のときに言うこと
(3)感情を殺し、淡々と「行動計画どおりにやり切ろう」と言うようにすること
そもそも、
「何度言えばいいんだ。2回も3回も言わせるなよ」
と嫌味っぽく言う上司に、私は指摘したい。なら、あなたは1回言えば、すぐにやるのかと。
繰り返すが、私は企業の現場に入って組織改革をするコンサルタントだ。管理者を相手に行動改革、意識改革を促すことが多い。その経験から、若手社員に比べ、ベテラン社員のほうが、はるかに多く言わないと動かないことを私は知っている。
だから、自分のことを棚に上げて、1回や2回言ったぐらいで動かない部下に対し、嫌味を言うべきではない。「やらされ感」を覚えないように言うにはどうすればいいのか、などと複雑に考えるべきでもない。
杓子定規に部下を見るのはやめよう。キチンと向き合うのだ。対話するのだ。日ごろから声をかけ、信頼関係を維持し、言うべきことは言うのだ。
ほとんどのケースで、これでうまくいく。世の中の上司たちは、部下育成をもっとシンプルに考えればいい。
<参考記事>