「春一番」の気象関係者初使用が昭和31年、メジャーとなったのは昭和51年のヒット曲
春は日本付近で低気圧が急速に発達するため、嵐の季節と言われます。冬の特徴である北からの寒気が残っているところに、夏の特徴である暖気が入り始めることから、条件が重なると、強い寒気と強い暖気がぶつかって低気圧が急速に発達することがあるからです。
春一番の語源
冬の間は、強い寒気の影響で、低気圧は日本付近で発生しないか、発生しても本州の南岸通過です。低気圧が日本海に入るのは寒気が弱まってからです。
低気圧が日本海で急速に発達すると、この低気圧に向かって暖かい湿った南風が吹き込みますので、太平洋側では暖かい湿った南風と強い雨に、日本海側では気温が上昇して雪崩や融雪洪水などの気象災害がおきます。
立春後に最初に吹く強い南風を春一番と言います。
内務省地理局東京気象台(気象庁の前身)が、暴風警報業務を考えはじめたきっかけの一つが、開拓使に雇われていたB.S.ライマンによる「北海道近海の春一番による漁船遭難を防げる」という建白です。
春一番の語源については諸説ありますが、長崎県壱岐郡郷ノ浦町(現・壱岐市)で安政6年(1859年)2月13日に海難で53名が亡くなったことから呼びはじめたということが定説になっています。
春一番がマスコミに
「春一番」という言葉を、気象関係者が使い始めたのが、昭和31年(1956)2月7日の日本気象協会の天気図日記です。
毎日1枚、9時の天気図に、その日の出来事等を簡潔にまとめたものです。
マスコミに取り上げられたのは昭和37年2月11日の朝日新聞夕刊「…地方の漁師達は春一番という…」と、毎日新聞夕刊「…俗に春一番と呼び…」です。
ネットで検索すると、春一番の新聞における初出が昭和38年2月15日の朝日新聞朝刊とでることがありますが、この記事は、「これから春一番の季節で警戒が必要」という内容ですが、例示は前年の春一番です。
夏一番や秋一番、冬一番という言葉がないのではなく、春一番という恐怖と警戒をこめた言葉があるのです。春一番が吹かない年もありますが、年によっては春一番と似たことが続くことがあり、春二番、春三番と呼ばれています。
ヒット曲「春一番」
昭和50年春、人気アイドルグループ・キャンデーズのアルバムの中で「春一番」がありました。「も~すぐ春ですねえ…」と歌う「春一番(作詞・作曲:穂口雄右)」は、翌51年9枚目のシングル曲として発売され、記憶に残るヒット曲になっています。
このため、「春一番」という気象用語がメジャーな言葉となっています。
近年、春を告げる風物詩的に受け取る人が増えたと言われているのは、このヒット曲からです。
しかし、春一番は、もともとは危険な風で、一気に冬に戻る春一番の翌日も含め、油断できません。
気象庁の「春一番」の定義
気象庁でいう春一番は、立春から春分まで(2月4日頃から3月21日頃)に、毎秒8メートル以上の南よりの風が吹き、気温が上昇するときです。
従って、定義上、最も速い「春一番」は立春の日、最も遅い「春一番」は春分の前日ということになります。
関東地方では、平成元年からの27年間で、22回発生し、平均は2月26日でした(気象庁調べによる)。
春一番と寒の戻り
平成20年2月23日は、日本海の低気圧に吹き込む南よりの風が強まり、全国各地で春一番が吹きました。関東地方では、10m/s以上の強い風が吹き、気温も4月上旬なみに急上昇して春一番となりました。その後、寒冷前線の通過に伴って気温が急降下し、羽田では14時50分の13.8度から15時00分の7.7度まで、10分間に6.1度も急降下し、日中に15℃を超えていた気温が、日付けが変わるときには1.3度になっていました。
春一番の後は、西高東低の冬型の気圧配置となり、寒くなります。「寒のもどり」です。
春一番を境に、一気に春になるわけではありません。
春冬同居です。