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生物季節観測が大幅縮小へ その背景、問われる観測の意義、そして私たちは…?

片平敦気象解説者/関西テレビ気象キャスター/気象予報士/防災士
生物季節観測で観測対象となっている植物の例。その多くが廃止となる。(筆者撮影)

■ 生物季節観測とは

 気象庁は、2021年1月から生物季節観測を大幅に縮小することを発表した。

 

 生物季節観測とは、全国各地の気象台(気象庁の出先機関)で実施されている観測のひとつで、動物や植物の様子を観測するものだ。生き物の振る舞いをもとにして、毎年の季節の進み具合の遅れ・進みを把握したり、長期的には過去の記録と比べることで気候変動や都市化の影響などを知るために利用したりする観測である。

 

 テレビのニュースなどでよく伝えられる「さくらの開花・満開」のほかにも、植物は「かえでの紅葉」や「いちょうの黄葉」など34種類が、動物は「うぐいすの初鳴」や「つばめの初見」など23種類が観測対象となっているのだ。なお、観測される動植物の種類は、それぞれの地域の特性に応じて異なっているが、さくらやいちょうなどは概ね全国で観測対象となっている。

 

2020年12月現在、気象庁で実施している生物季節観測の種目・現象。(気象庁「生物季節観測指針」より)
2020年12月現在、気象庁で実施している生物季節観測の種目・現象。(気象庁「生物季節観測指針」より)

 

 動物については気象台の周辺であればどの個体でも構わないが(同じ個体を毎年見つけるのは不可能だろう)、植物については気象台構内や周辺の公園などで予め決めたもの(「標本」と呼ぶ。木の場合は「標本木(ひょうほんぼく)」)を対象として毎年観察し、開花などの現象を確認している。また、観測の方法はすべて目視・聴覚によるものであり、気象台の職員が実際に見て・聴いて観察したものを観測記録としているのだ。機械により自動で観測することはできない。

 

 このように全国的に統一された観測基準で行われるようになったのは1953年からで、すでに70年近い観測記録が各地で積み重ねられているわけである。

 

 この生物季節観測が、2021年1月からは6種目9現象に大幅縮小されることが気象庁から発表された。2020年11月10日のことである。具体的には、動物の観測はすべて廃止され、植物は「うめ(開花)」「さくら(開花・満開)」「あじさい(開花)」「すすき(開花=穂が一定以上出ること)」「いちょう(黄葉・落葉)」「かえで(黄葉・落葉)」のみに限定されるという。

 

■ 大幅縮小の理由

 気象庁が発表した「お知らせ」には、今回の変更の理由として以下のように示されている。

 本観測は、季節の遅れ進み、気候の違い・変化を的確に捉えることを目的としておりますが、近年は気象台・測候所周辺の生物の生態環境が変化しており、植物季節観測においては適切な場所に標本木を確保することが難しくなってきています。また、動物季節観測においては対象を見つけることが困難となってきています。

 気象台の周辺で、植物や動物のようすを適切に捉えられなくなってきていることが理由に挙げられているのだ。「お知らせ」は、さらに以下のように続く。

 このため、気候の長期変化(地球温暖化等)及び一年を通じた季節変化やその遅れ進みを全国的に把握することに適した代表的な種目・現象を継続し、その他は廃止することとします。ついては、生物季節観測は、令和3年1月より次の6種目9現象を対象とします。

 つまり、動物は気象台の周辺では見つけるのが難しくなってきているので全部廃止し、植物も観測環境が悪くなってきているので代表的なものだけに減らします、というわけである。

 

気象庁が発表した「お知らせ」。(気象庁HPより)
気象庁が発表した「お知らせ」。(気象庁HPより)

 

 しかしながら、私は、観測環境の悪化のみを挙げるのであれば、理由としては「薄い」と感じざるを得ない。そう感じるのは以下の2点のためだ。

 

 まず1つ目。「観測できなかった」ということは、何もしなかったということではない。観測できない状況に何らかの理由でなっている、という貴重な観測結果なのだ。観測できなかったことを、私たち気象技術者は「欠測(けっそく)」と呼ぶ。「観測していない」のではなく、しようとしたができなかったということが重要なのである。なぜ今年は観測できなかったのだろうか、逆に、しばらく観測できていなかったのになぜ今年は観測できたのか、などといったことを考察するためにも、観測できない年があっても、観測を続けようとする行為・想いが大切だと私は強く思う。

 

 2つ目。なぜこれほどまで一度に廃止するのか。仮に、ある気象台においてかれこれ20年も30年も観測されていない動物がいるとする。それほど長く連続して観測されていないのならば、かつてはいたのかもしれないが今はもういなくなってしまったということだろう。それならば、今後は観測対象から外す、ということもある意味納得はできる。実際、これまでにもそうやって、観測対象から適宜、各気象台の実情に応じて「段階的に」外された種目もあった。

 それが、今回はどうだろう。まだ問題なく観測が続けられている種目も含めた大幅な削減である。気象庁が挙げる理由だけを材料とするならば、あまりにも乱暴な「リストラ」と私には感じられるのだ。

 

 「観測精神」という言葉がある。今この瞬間というのは、もう二度と戻ってこない、取り戻せない瞬間だから、観測する者はしっかりと記録しておかなければいけない、という心構えのことだ。動植物の観測も同様である。先人たちが約70年の長きにわたり続けてきた観測を途絶えさせてしまうには、上記の理由だけではあまりに「薄い」と私は感じるのである。

 

■ 大幅縮小の背景

 私はこの大幅縮小を初めて聞いた時、正直に言って「ついに来たか」という想いを持った。というのも、気象庁の業務はここ20年ほど、防災関連の業務は増加する一方で、それ以外の人員を割く部分については縮小されてきていると感じていたからだ。全国各地にあった測候所の段階的な廃止・無人化(約100か所→現状は帯広と名瀬の2か所のみ)に始まり、近年は地方気象台での目視観測の廃止も実施されている。2年前のその際、私も記事を執筆したが、その中でも「生物季節観測の廃止」の危惧をすでに言及していたほどである。

 

 こうした業務削減の背景にあるのは、気象庁の予算の「据え置き」である。気象庁の年間予算はここ20年ほど大きく変わっていない。毎年減額されないといえば聞こえは良いが、これほど災害が多発するようになり防災対策が急務とされる我が国において、各方面での対応のトリガー(きっかけ)となる情報を発信する危機管理官庁としての気象庁の予算が長年変わらないというのは、明らかにおかしいと言わざるを得ない。

 

気象庁の年間予算の推移。(気象庁HPの資料より筆者作成。)
気象庁の年間予算の推移。(気象庁HPの資料より筆者作成。)

 当然ながら、限られた予算の中で防災対策により一層力をかけるには、何か別の分野のものを削ったり、マンパワーに大きく依存したりする、ということになると思う。現場の業務はすでにいっぱいいっぱいと聞くこともあるほどだ。防災の観点で見た場合、直接的に重要とされないものについては、真っ先に削減対象になっていくのは自明のことであろう。

 

 気象庁は、今回の生物季節観測の大幅縮小について、予算や他業務との関連性を理由としては挙げていない。もちろん公式の発表にあるように、特に動物については観測対象を見つけることさえ困難化している種目があるのも間違いではないだろう。しかし、その背景には予算や人員の確保が難しくなってきていることがあると私には思えてならないのだ。担当する職員は生物季節観測だけを専任で行うわけではないが、今回削減されるだけの業務量をほかのことに充てたい、充てざるを得ないという段階にまでもう来ているのではないか、と私は推測している。

 

 一方で、本省の外局である1つの官庁の予算を大幅に増額するというのは、そう簡単なことではないだろう。気象庁単独でそうした予算要求を財務当局にするというのも、なかなか酷な話だとも思う。であれば、そうしたことができるのは政治であり、それを動かすのは私たち世論の力だとも思う。今回の生物季節観測の話に限ったことではないが、気象庁の予算・人員確保やあり方については、関連する他省庁や民間の業務との関連性や役割も含め、もっともっとしっかりと議論すべきだと日頃から感じている。(防災業務のあり方については以前詳しく書いたため今回はこの程度にするが、ぜひ関連する他の拙稿もご一読いただきたい。)

 

■ 生物季節観測は不要なのか

 そもそもの話である。

 

 生物季節観測は、不要なのか。気象庁が行う業務として、生物季節観測は必要不可欠なのだろうか。国の業務として行うからには税金を使うのだから、徹底した無駄の排除は行うべきだと思うが、生物季節観測は無駄に当たるのだろうか。気温など観測機器で測定するデータさえあれば、人間による目視・聴覚による生物季節観測は不要なのだろうか。

 

 人によって価値基準が異なる部分だとは重々感じているが、気象業務に携わる私としては、不要とは思えない。防災業務としては不可欠ではないが、季節の遅れ・進みや気候変動の把握という観点では不要でも無駄でもない、というのが私の考えである。

 

 前述の通り、気象庁が今回オフィシャルに挙げた点だけが理由であるならば、それでも続けるべきだ、と私は強く思う。予算・人員不足が背景としてあるのならば、「適切な予算をつけてでも続けるべきか」という問いになり、それは国民一人ひとりの価値基準に委ねられるべきだろうと私は思っている。

 

 今回の大幅縮小に際して、事前に広く国民に意見募集がされることはなかった。パブリックコメントの制度があるのだから、実施しても良かったのではないか。また、気象庁のカウンターパートである民間気象事業者や気象解説者に対し意見照会があったという話も、私が知る限りは無かった。非常に残念に思う。

 

 そこで、今回の件について、私は自身のツイッターでアンケートを実施した。11月11日昼前からの3日間で、大変ありがたいことに650人を超える方々からご回答をいただいた。この場を借りて深く御礼を申し上げる。

 

 今回の変更について伺うと、

 「賛成」:13.8%

 「どちらかと言えば賛成(条件付きなど)」:16.1%

 「どちらかと言えば反対(条件付きなど)」:40.4%

 「反対」:29.7% 

という回答結果だった。

 

私がツイッターで行ったアンケートの結果。
私がツイッターで行ったアンケートの結果。

 私が行ったアンケートであり、私のツイッターのフォロワーの方々が回答者の多数だろうという属性の偏りはあるが、大変価値がある貴重な結果だと思っている。「反対」と「どちらかと言えば反対」を合わせると70%にも上っており、国民の方々の雰囲気としては、少なくとも、大多数が見直しすべきと思っていらっしゃるわけでは決してなさそうだ。もちろん、「賛成」や「どちらかと言えば賛成」とも合わせて約30%の方々が思っていらっしゃるのだが、読者の皆さんはどのようにお感じになるだろうか。

 

■ 生物季節観測の意義

 気温など無機質な数字だけではピンと来ないが、「今年は去年より○○日も早くさくらが開花しました」「50年前と比べると××日も早まっています」など、身近な生き物のようすで示されると、私たちは季節の歩みや気候の変化を肌感覚として実感できる。

 

 そういった意味で、私は、生物季節観測は、近年様々な場で話題になっている「シチズン・サイエンス」とある意味とても近いものではないかと思っている。高価な観測機器は必要なく、身近な動植物の様子から季節・気候の状況を知ることができる観測なのだ。四季の変化と生活が密接に関わり、季節や自然を愛でる日本人の特性が表れている観測とも言えるだろう。

 

 問題は「気象庁がしなければならない業務なのか」という点にあると思う。私は、地味で地道な観測だからこそ、国が続けていってほしいと思っている。ありていに言えば、「カネにならない業務」こそ民間では続けにくいのだから、その価値をきちんと認識し、国がしっかりと継続していってほしいのが正直な気持ちだ。税金を使う以上、無駄は排除すべきだが、無駄ではないと判断されるのであれば、適切な予算と人員を確保して継続してほしい業務のひとつだと私には思えてならない。

 

■ 気象庁が観測をやめるのならば…

 また、今回の大幅削減は「いつかあるだろう」と予期していたものとはいえ、かなり拙速だと感じた。公式発表の11月10日から数えると、わずか2か月足らずで多くの種目の観測が廃止されるわけで、観測を途絶させないように何か対処したくてもあまりにも時間がない。気象庁で観測を続けない(続けられない)というのならば、他機関・他団体へ観測を継続してもらえるように丁寧な引き継ぎはできなかったのだろうか。これまでの観測成果が重要で貴重であるということは、気象庁にも異存はないだろう。実は、気象庁からの「お知らせ」にはさらに続きがあり、末尾にはこう書かれている。

 なお、廃止する種目・現象を含む観測方法を定めた指針を気象庁ホームページで公開する予定ですので、地方公共団体等において各々の目的に応じて観測を実施される際にはご活用ください。

 公式に挙げられた理由の通り、観測環境の悪化が原因で続けられないのであれば、誰が実施しても同じように困難であるはずなのだが、ありがたいことに、観測指針(観測方法を示したマニュアルやガイドラインのようなもの)をホームページで公開してくださるそうである。この1文に、私は、「気象庁としては観測を続けることはできないけれど、観測を続けてくれる所があるならば、引き継いだり、新たに自分たちで実施してみたりしてほしい」というかすかな想いを感じたのだ(勘繰りすぎかもしれないけれど)。

 

 正直、気象庁にはあと2~3年、いや1年でも良いから大幅縮小を待ってもらい、これまでの観測を引き継いでくれる団体や機関がいないか、募集や調整をしてほしかった。公の機関であれば、業務的に親和性のありそうな環境省のほか、都道府県・市区町村、研究機関、大学などが、全部とはいかなくても引き継いでくれる種目があるかもしれないと思う。

 

 また、先に述べたように、専用機器のいらない「シチズン・サイエンス」的な観測でもある。観測指針を読むことにより簡単な観察の方法さえ知れば、誰にでもできるのである。観光情報や季節の情報として、標本木がある公園の管理者や観光協会、地域のNPO団体などで引き継げないだろうか。ほかにも、これまでとは違う標本になってはしまうけれど、植物園などで同じ種目を対象とし、気象台の方法を引き継いで観測をし、記録として適宜公開することも可能だと思う。

 

 さらに、私自身がかつてこのYahoo!ニュースにも記事を書いたり、2017年度の気象庁「気候講演会」でもお話ししたりしたのだが、小学校の理科クラブなどで「マイ標本木」を作って代々観測をしていくこともお勧めしたい。記録が長くなればなるほど貴重なものとなり、子どもたちの教育にもとても有益ではないかと私は思う。その子どもたちが大人になって、後輩たちも代々受け継いだ観測記録を見た時にはきっと誇らしく思うだろう。

 

 もちろん、一個人でもできる。実は、私自身も自宅周辺で生物季節観測を行っていて、2020年末の現時点では、植物は19種目23現象、動物は10種目10現象を観測している。気象庁の観測種目にはないような「きんもくせい初香(=初めて香りを感じた)」など自分なりにアレンジもして、身の回りの季節変化を記録しているのだ。

 

 

私が自宅周辺で実施している生物季節観測の観測記録の一部。
私が自宅周辺で実施している生物季節観測の観測記録の一部。

 やはり、動物は年によっては見かけなくて観測できないこともあったりし、試行錯誤をしながらだが、長いものはすでに10数年間の観測記録が積み重ねられている。初めは個人の楽しみでだけで行っていたものの、しばらく前からは気象庁の生物季節観測がいつか無くなるかもしれないという懸念も抱きながら、観測を続けてきたものだ。気象台の標本と個体は異なるが観測手法は同じなので、自分が住む地域の季節の歩みなどを知る手段としては全く問題ないと思っている。

 

 気象庁と同じような水準にしたいと考えて、観測種目を増やしたり統計資料としてまとめたりすることも、その気になれば誰だってできる。その一方で、個人レベルで行うならばあまり難しく考えず、日記帳に毎年書き留めておくだけでもいいだろう。気象庁の観測種目はまもなく大幅縮小されてしまうことになり非常に残念だが、興味のある読者の皆さんは是非ともこの機に、身の回りで始めてみてほしい。

 

【参考文献・引用資料】

○ 気象庁・おしらせ「生物季節観測の種目・現象の変更について」(2020年11月10日発表)

 http://www.jma.go.jp/jma/press/2011/10a/20201110oshirase.pdf

○ 気象庁「生物季節観測指針」(2011年1月発行)

○ 「マイ標本木」のすすめ 学校や家庭で季節の記録を残しませんか(Yahoo!ニュース個人、片平敦、2013年11月)

 https://news.yahoo.co.jp/byline/katahiraatsushi/20131127-00030149/

○ 目視観測・予報作業の廃止も検討 地方気象台の業務縮小は防災上「支障なし」か【前編】(Yahoo!ニュース個人、片平敦、2018年4月)

 https://news.yahoo.co.jp/byline/katahiraatsushi/20180425-00084397/

○ 気象庁ホームページ「ウェブ広告掲載」の議論から国の防災対策・体制のあり方を考える(Yahoo!ニュース個人、片平敦、2020年8月)

 https://news.yahoo.co.jp/byline/katahiraatsushi/20200827-00195045/

※追記(2020年12月8日11時20分):

 気象庁年間予算の推移を示したグラフの単位(百万円)が誤っていたため、正しい画像に差し替えました。

気象解説者/関西テレビ気象キャスター/気象予報士/防災士

1981年埼玉県生まれ。幼少時の夢は「天気予報のおじさん」で、19歳で気象予報士を取得。日本気象協会に入社後は営業・予測・解説など幅広く従事し、2008年にウェザーマップへ移籍した。関西テレビで2005年から気象解説を担当し約20年。newsランナー/旬感LIVEとれたてっ!/よ~いドン!/ドっとコネクトに出演中。平時は楽しく、災害時は命を守る解説を心がけ、いざという時に心に響く解説を模索し被災地にも足を運ぶ。趣味はアメダス巡り、飛行機、日本酒、プログラミング、阪神戦観戦、囲碁、マラソンなど。(一社)ADI災害研究所理事、大阪府赤十字血液センター「献血推進大使」、航空通信士、航空無線通信士。

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