目視観測・予報作業の廃止も検討 地方気象台の業務縮小は防災上「支障なし」か【前編】
■ 地方気象台の業務縮小が検討中と報じられる
国土交通省の外局である気象庁。国民に最もなじみのあるお役所と言っても過言ではないだろう。天気予報や警報・注意報など防災気象情報の発表を日々行っており、気象・地震・津波・火山などの災害時には、各自治体が発表する避難勧告・避難指示のキッカケとなるなど、様々な防災・減災対応を実施するベースとなる情報を発表する極めて重要な責務を持っている。
気象庁本庁の下に、各地方を統括する管区気象台など(天気予報や警報・注意報を発表する際には、大阪や名古屋など地方予報区ごとに「地方中枢」を設けている)があり、さらに各府県予報区を担当する地方気象台(一部では測候所)が設置され、日々の天気予報などが発表されているのだ。
各地の地方気象台はいわば各府県の最前線に設置された気象庁の出先機関で、観測・予報など現業業務のほか、都道府県や市区町村など地方自治体との防災に関する調整なども行っている。この「地方気象台」の業務が、大幅に縮小される方向で検討されていることが、先日、一部メディアで報じられた。
本当に、「防災対応に支障はない」のか。また、考えなければならないことは「防災対応」だけなのか。気象庁や気象業界を取り巻く状況を踏まえつつ、以下に私見を述べ、読者の皆様と一緒に考えていきたい。
■ すでに近い対応が行われている気象台がある
沖縄県の南大東島地方気象台では、2016年4月1日からこの状況に近い体制で業務が行われている。夜間の目視観測は廃止され、観測機器による自動観測が実施されているのだ。夜間は宿直勤務の職員がいるものの、天気予報や警報・注意報の発表を行う担当者だけに人員が削減され、目視観測はしないことになっている。
また、全国各地の空港向けの気象予報は、全国8つの航空地方気象台および航空測候所が分担して予報を実施している。2017年3月までは大阪空港(伊丹)に大阪航空測候所が、2018年3月までは鹿児島空港に鹿児島航空測候所があり、それぞれの空港の予報を担当していたが、それぞれ関西空港および福岡空港の航空地方気象台から予報を発表することになり、この2つの航空測候所は予報を行わない「航空気象観測所」に改組された。航空気象の分野ではすでに、予報作業は「中枢官署」に集約し、各地の空港では外部委託した観測業務のみを残す、という方向で進んでいるのだ。
■ 全国にあった「測候所」が今では2か所のみ
気象庁では業務効率化のため、これまでも全国各地にあった測候所を順次、無人化・自動観測化していった経緯がある。かつては全国の地方気象台のほかに90か所以上もあった測候所が、今では帯広と名瀬の2つしか設置されていない。無人化された測候所は「特別地域気象観測所」と名を改め、通常の自動観測システム「アメダス」よりも高度な自動観測機器が置かれ、観測を続けている。しかし、人間による目視の観測は廃止されたため、雷・ひょう・竜巻といった特定の現象の把握や、初雪・初霜・初氷などの「季節観測」、さくらの開花・かえでの紅葉などの「生物季節観測」の統計はこれらの地点では途絶えてしまった。
近年では、全国4か所あった海洋気象台が地方気象台に改組され、このうちの1つである舞鶴海洋気象台(京都府)が2013年9月末をもって廃止された。これにより、近畿地方では、舞鶴(京都府)と豊岡(兵庫県)といった日本海側の代表的な有人観測所がなくなり、今季の「初雪」がいつなのか、過去の統計と比較して早いのか遅いのかといったことは観測上は分からなくなってしまった。
なお、空から降ってきたものが雨なのか雪なのか、特別地域気象観測所では気温および湿度(かつては視程計も利用していた)のデータを用いて、逐一、自動で判別をしている。しかし、残念ながらその精度はまだ目視観測に及ぶことはないレベルだ(過去の記事に詳述)。また、現地に監視カメラを設置するとのことだが、画面上で確認した現象の扱いはどうするのだろう。現地での目視観測と同等に扱い、統計的に過去のものと比べることは可能なのか。
気象観測・統計資料は、国民全体の貴重な知的財産だと私は考えている。今回の業務縮小により、それが全国的に途絶えることになるかもしれないと危惧する。このような重要なことは気象庁内部だけで決めるものではなく、気象業界全体、ひいては広く国民一般から意見を聞くべきだと思えてならない。
■ 生物季節観測は、防災上不要な業務なのか
「生物季節観測」については、確かに、大雨や暴風などの防災対応上は直接的には必要でない観測業務だろう。実は、私は自分の家の近所で同様の観測を10年ほど前から個人的に実施しているが、これを始めた理由のひとつがいずれ気象庁の業務としては廃止されるかもしれないという懸念だった。
しかし、こうした地道な観測を毎年確実に、継続的に、何十年も続けていくことが民間でできるのだろうか。業務を行うこと自体は可能だと思うが採算が合わず、ほどなく打ち切りになるという可能性もないだろうか。民間が安定的にできないようなことだからこそ国家の事業として行っていくべきではないだろうか。先人たちが残してきた貴重な観測記録を安易に途絶えさせて良いとは思えない。今回、地方気象台の業務縮小の検討事項に「生物季節観測」が入っているかは定かではないが、「防災」の観点からすれば不必要として廃止の対象になることも考えられるため、非常に心配している。
また、生物季節観測は、子どもたちへの環境教育の観点からも、ぜひとも継続してほしい。たとえば、無機質な数字でしかない気温のデータが、果たしてどれほどのリアリティを持って、次世代を担う子どもたちの心に響くだろう。「数十年前よりもさくらの開花が早まっている」と身近な植物を示して言われたほうが、地球温暖化や都市化による気候の変遷を身近に感じることができると思う。
私のように、身近な地域で自ら行った観測結果を、各地の気象台で継続的に観測された記録と比較することにも大きな意義があるように感じる。さらには、こうした体験により、自然に対する意識の高い子どもたちが増えれば、同じく自然が引き起こす災害に対しても意識の高い子どもたちが増えることになり、間接的ではあるが、防災・減災に資することになるのではないかとも思える。
後編では、本当に「防災対応に支障はない」のか、近年の災害時の自治体や気象台における対応や、筆者の気象解説者としての経験から考察する。
【参考記事】
・舞鶴海洋気象台が廃止 「有人」気象観測の意味とは (2013年10月1日配信)
・沖縄の「初雪」は本当に初雪だったのか (2016年1月28日配信)
・「マイ標本木」のすすめ 学校や家庭で季節の記録を残しませんか (2013年11月27日配信)
・気象予報士制度は必要か?「予報士1万人」時代の気象業界を考える (2017年9~10月配信(6回シリーズ))