「雑誌がエモい」時代が来る?名古屋『ケリー』が模索するネット時代のタウン誌生き残り戦略
【不定期連載~「名古屋タウン誌クロニクル」『ケリー編』③】
名古屋のタウン誌の歴史をふり返る不定期連載。第1弾『ケリー』編の第3回です。
(第1回「“出版社をつくるつもりじゃなかった”。創刊38年 名古屋のタウン誌『ケリー』誕生秘話」 :2024年5月25日)
(第2回「「重くて持ち歩けない」『anan』よりも売れた! 名古屋タウン誌戦国時代を勝ち抜いた『ケリー』黄金期」:2024年5月30日)
創刊38年目となる名古屋のタウン誌『ケリー』。1987年に創刊し、90年代に黄金期を迎えます。名古屋の書店では全国流通のメジャー雑誌よりも売れ、広告も収まりきらないほど。雑誌のブランド力を武器に、イベント飲食店でも毎シーズン大ヒットを飛ばします。
ネット時代で雑誌の存在感示す2007年のリニューアル
しかし、2000年代に入るとインターネットが急速に普及し、雑誌は情報源の主役の座をネットに明け渡すことになります。この時期、難しい舵取りを担うことになったのが、現在ゲイン社長の犬塚大志(ひろし)さん。2000年に入社し、愛知万博関連の事業を担当した後、2006年4月に『ケリー』を制作するメディア編集局のマネージャーに就任。すぐにリニューアルの準備に取りかかりました。
「当時既にネットの時代になっていたので、伍して戦うために早急に手を打つ必要がありました。この頃の『ケリー』は街ネタが一番売れていて男性読者も2~3割ついてくれていたのですが、雑誌の特性はターゲットメディアであること。対象をアラサーの女性と明確に打ち出し、2007年4月号で『女磨きマガジン』と銘打ってリニューアルを図りました。今だとあり得ないキャッチフレーズですけど(笑)、もっと女性誌らしくしようというのがコンセプトでした」
「美人雑誌化宣言!」と表紙に銘打ったリニューアル第1号の特集は「大人は、断然!イタリアン」。高級感あるイタリアンレストランを見開き2ページで大きく取り上げるなど、それまでの情報量を詰め込んだ誌面からイメージを一新。100人以上の女性読者のプロファイルを掲載するなど、まさしく30歳前後~の女性を読者と設定し、ネットとの差別化を強く意識した誌面づくりが図られました。
「リニューアルを明確に印象づけられたので、読者ウケもよく、タイアップ企画などクライアントからも評判はよかった。一軒のお店を大きく取り上げることで、制作費を節約できるという効果もありました」(犬塚さん)
2010年代は街特集がヒット。全国でも希有な“伸びてる”雑誌に
女性誌化路線は功を奏しましたが、それに留まることなく、その後はめまぐるしく変化していく読者のニーズに柔軟に対応していきます。2010年代前半は特定のエリアにしぼった特集がヒットコンテンツになりました。90年代の定番企画だった「名古屋16区」と似ているようにも感じますが、よりエリアをしぼり込んでいるのが変化であり特徴でした。
「ちょうど名古屋郊外の開発がどんどん進み、日進市、長久手市などは一週間サイクルでどんどん新しい店がオープンする。これらのエリアを特集すると、取り上げたエリアでものすごく売れるんです。このノウハウを活かして2011~12年にかけては『まちラブ』というムックシリーズもつくり、こちらもヒットしました」(犬塚さん)
2010年代はこのエリア特集が当たったことで、思い切った特集にもチャレンジしやすくなったといいます。2010年9月号は「東海日帰り『武将』観光」、2011年11月号「この秋は復興地、東北へ」、2015年1月号「WONDERFUL!北欧」特集など・・・。これらは販売部数こそかんばしくありませんでしたが、特集雑誌ならではのバラエティ感を印象づけるには効果的でした。
「年間12号出せると1、2回はチャレンジできる。東北の特集は売れ行きはさっぱりでしたけど、現地に取材に行ったら皆さん泣いて喜んでくれて、名古屋の多くの企業が協賛してくれ、利益は出なかったけど意義はあった。そもそも収支構造的には販売収益に依拠していないので思い切ったこともできたんです」
チャレンジして結果的に売れない号もありましたが、あくまでも「たくさん売ろう!」という心意気でつくり続けてきた、と犬塚さんはいいます。
「部数は常に意識してつくっていました。2010年代後半には業界全体で“雑誌はもう売れない”といわれるようになっていた。その中で名古屋発の男性アイドルグループ、BOYS AND MENを起用した麵特集号(2016~2018年)はこの時期ナンバー1の売れ行きを記録。取次も“全国でも部数が伸びてる雑誌は2、3種類しかない”と言っていた中で、2016年の時点でも『ケリー』は前年比10%以上部数を伸ばしていました」
Web版「日刊ケリー」を開設し2022年には月刊→隔月刊化
2010年代後半になるとネットはもはやインフラ化し、雑誌、新聞、テレビ、ラジオなどいわゆるオールドメディアもネットとの連動に生き残りの道を見いだすようになってきます。『ケリー』もWebサイト『日刊ケリー』を2018年に開設。2022年からは『ケリー』を月刊から隔月刊とし、速報性の高い情報はWebで、保存性の高い情報は雑誌でと使い分けをするようにシフトしています。
「『ケリー』は我が社にとってはハブの役割もあり、絶対になくしちゃいけないブランドです。一方で若い世代を取り込んで行くためにはWeb、SNSをやらないという選択肢はない。雑誌の『ケリー』を長く続けていくためにも、Webの『日刊ケリー』は必要なんです。Webの『日刊ケリー』と紙の『ケリー』、双方の特性を理解した上で両方に出稿してくれるクライアントも少なくありません。また、隔月化した際に550円から850円に値上げしたにもかかわらず、『ケリー』の部数は落ちていない。固定の読者はついてくれていて、価格にかかわらず買ってくれるということです」
競争が激化するネットメディア。雑誌はこの先敵が増えない(?)
最新の2024年7月号は108ページ。500ページ前後もあった1990年代半ばと比べるとずい分とスリムになっています。紙からネットへというメディアの流れはもはや止められない中で、タウン誌はどうやって存在価値を示していけばいいのでしょうか?
「名古屋はある程度経済規模が大きいので、『ケリー』も一般のクライアントの広告収入で成立していますが、地方に行くほど行政との結びつきを強化することが重要になってくるんじゃないでしょうか」というのはゲイン管理部部長の山本寿彦さん。地方ではターゲットを絞り込まずに幅広い分野のクライアントを取り込むことが重要で、そうすれば地域に1~2ブランドは生き残っていけるのではないか、といいます。
各地で生き残っていけるのは長く続けてきたブランド力のあるタウン誌。ネットメディアと比べて戦いやすい面もあるというのは犬塚さんです。
「Webは誰でもすぐに参入できますが、その分先行するメディアといきなり横一線で戦わなきゃいけない。でも、雑誌は今から新たに作ろうなんて誰も思わないですよね。紙代も印刷代もどんどん高騰して損益分岐点が高くなっているし、流通に不可欠な雑誌コードを取るのは難しいし、とにかく参入障壁が高い。ということはこの先、敵が増えることはない。その中で自由に居心地よく戦える、最近はそんなふうにも感じています」
雑誌ならではの便利さ、魅力。ある日突然“エモく”なる可能性も(?)
このような競争環境だけではなく、雑誌というメディアそのものの魅力は、市場において今後も十分に通用すると犬塚さんはいいます。
「雑誌だからこその魅力が絶対にある。閲覧性に優れ、情報がすっと頭に入ってくる。『ケリー』はこの地域の人に向けて編集し提案しているので、例えば『この夏の一泊二日のお出かけ特集』とかを見れば、求めている情報が見つけやすい。対してネットは便利なようでいて実は不便な面もあり、いくつもサイトを開かないと比較できなかったり求めている情報にたどり着けなかったりする。特集のつくりかたなどによって、便利で快適な読後感をもたらすようにつくればネットと差別化できるはずです」
さらに、世のニーズがオンライン一辺倒になるわけでもない、とも犬塚さんは見立てます。
「古い喫茶店に『レトロで映える』と若い子が行くなんて、以前はなかったこと。ある時突然、雑誌がエモくなる、という可能性だってあるんじゃないでしょうか。ネットの情報がこの先もっとAI主導にシフトしていけば、リアルの価値はむしろ高まる。今のニーズは時間消費、コト消費、非日常にあり、それはつまり“お出かけ”。少なくとも2020年代中はその流れが続くでしょう。加えて“お出かけ”の市場はクライアントもつかみやすい。その方面に振った雑誌ならではの誌面づくりを図っていけば、まだ十分に戦えると思っています」
雑誌全体の市場が縮小していく中、それでも雑誌だからこそのつくりかた、生き残り方はあるというゲイン社長の犬塚さん。今もタウン誌としては全国でも屈指の売上を誇る『ケリー』がこの先どんな誌面、方向性を見せてくれるのか? 出版シーン全体にとってもひとつの指標になり得る、かもしれません。(連載「名古屋タウン誌クロニクル」は今後も不定期で続きます)
(写真撮影/すべて筆者)