史上最悪の放送事故。映画『悪魔とのトークショー』
最初に褒めておく。面白かった。絶対におススメである。昨年のシッチェス・ファンタスティック映画祭の最高賞は『悪意が忍び寄る時』だったが、個人的にはこの作品が獲るべきだったと思う。
スティーブン・キングが大絶賛したのもわかる。
「1977年のハローウィン(10月31日)の夜に起きた最悪の放送事故の全容を収めたマスターテープが見つかった」からお話が始まる。
テープが発見され、それを見ていくことで物語が進行するというドキュメンタリータッチなのだが、よく考えるとこれが実際に起こった出来事であるはずがない。
■お蔵入りのテープが発見される
なぜなら、「最悪の放送事故」であれば動画サイトに映像の一部くらいは出回っているはずだからだ。1977年と言えばすでに一般家庭にビデオが普及し始めている時期で、空前の視聴率の「最悪の放送事故」が録画されていないわけがない。
つまり、これは『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』や『クローバーフィールド/HAKAISHA』でもおなじみの“モキュメンタリー”=偽のドキュメンタリー、すなわちフィクションである。
世界的な大ヒットになった『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』は嘘のお話をまるで本物のドキュメンタリーかのように宣伝したことで話題を呼び、世界的な大ヒットになった。確か『食人族』も同じトリックを使っていた。
広大なアメリカの森の奥には本当に魔女がいるかもしれない、未開のアマゾンの奥地には食人族がいるかもしれない、と人は興味本位半分、怖い物見たさ半分で映画館に殺到したのだった。
3人の学生が行方不明になったとか、探検隊が消息を絶った、とかいう事件は実際に起きてもおかしくないから、ドキュメンタリーを装うことが可能だった。
対して、過去に悪魔がテレビ番組に出ていたわけがなく、自由の女神の首が吹っ飛んだ事実はない(『クローバーフィールド/HAKAISHA』)ので、嘘はつけない。
もっとも、私が宣伝担当なら、日本での強力なキーワードである「放送事故」という文言は必ず全面に押し出すだろう。邦題にも入れ、ドキュメンタリーと誤解されるのを期待しながら……。
■視聴率のためなら悪魔だって呼ぶ
というわけで、『悪魔とのトークショー』(原題:Late Night with the Devil)の面白さは、ドキュメンタリーっぽさにあるのではない。面白いのはフォーマットの方ではなくて、肝心のお話の方だ。
Late Nightとはアメリカで人気の深夜のトーク番組のこと。発掘されたビデオテープを通して、私たちはこの生放送のトーク番組をそのまま見ることになる。
観客がいて、生のバンドがいて、盛り上げ役の狂言回しがいて、進行役兼インタビュアーのMC(主人公)がいる。
ゲストはハロウィン特番に特別に招かれた怪しい面々。霊媒師、元マジシャン、カルト教団の生き残りの少女、心理学者……。70年代と言えば、冷戦の不安の裏返しでオカルトブームが盛り上がっていた時である。
この番組が単純に面白い。
やらせもインチキもある。テレビだから。ハプニングが次々と起こるが生放送だからその場で取り繕っていくしかない。途中で台本なんてどうでもよくなり、MCのノリでどんどん面白い方=スキャンダラスな方=不道徳で不健全な方向へ突っ込んでいく。深夜枠なのだから、いかがわしくてナンボ。そのうちに視聴率はどんどん上がっていく……。
視聴率のためなら悪魔だって出演させる、人気のためなら悪魔に魂だって売る、という狂気が番組からバンバン伝わってくる。
■昔のテレビには狂気があった
こうしたクレイジーな高揚感と、何が起こっても何が映っても取り返しがつかない感、やらかしてしまいかねない生ならではのスリリングさは、キャンセルカルチャーでホワイト社会の今ではすっかり失われたものだ。
まさに、テレビが面白かった時代のお話で、この作品を見ると、なぜ今のテレビがつまらなくなってしまったのかがよくわかる。
視聴率のために悪魔を呼んでしまうMC、名声と富を夢見てショーに加担するゲスト、怖いもの見たさで本当に怖い思いをする観客と視聴者(と私たち)――。彼らに比べれば、悪魔は悪魔らしく振る舞っただけ。ある意味、一番まともだと思うが、どうか。
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※写真提供はシッチェス映画祭