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朝ドラ『虎に翼』の「スンッ」とはなにか?──寅子の切り札「はて?」はタテマエ・忖度・空気を切り開く

松谷創一郎ジャーナリスト
『虎に翼』公式Xより、寅子が周囲の「スンッ」を読み取ったときの表情。

 スンッ。

 NHKの連続テレビ小説『虎に翼』で、「スンッ」は強い印象を残す。ときにコミカルにも表現されるこの擬態語は、作品の大きなチャームポイントにもなっている。

 この「スンッ」の描写には、たいていパターンがある。主人公の佐田/猪爪寅子(伊藤沙莉)が、周囲を観察しているときに出てくることが多い。その場合、自分の意見を押し殺しているひとを表現するときに「スンッ」が使われる。

 それと対照的なのは、同じく寅子の「はて?」だ。しばしば彼女は、自分の疑問を遠慮なく口に出してそう表現する。そんな彼女だからこそ、疑問があるだろう局面でなにも発しないひとを見たとき、その表情に「スンッ」を読む。

 しかし、ニュアンスは伝わってくるものの、それはなんとも曖昧な表現でもある。この「スンッ」とはいったいなにだろうか?

「貞淑な良妻賢母」の「スンッ」

 日本初の女性裁判官をモデルとした『虎に翼』は、戦前から戦中のパートを終え、今週から本格的に戦後に入った。公式に「裁判官編」と銘打たれたここからは、寅子がいよいよ裁判官となって活躍する展開が描かれる。

 ここにいたるまでに、「スンッ」はなんども登場した。前述したように、それは寅子が周囲を観察したときに表現される擬態語(オノマトペ)だ。

 なかでも特徴的に描かれたのは、戦前に通った明律大学女子部の同級生・大庭梅子(平岩紙)のシーンだ。彼女は大学教授の夫の前では自らの主張を押し殺し、いわゆる「貞淑な良妻賢母」としての振る舞いを見せる。

 そんな梅子が「スンッ」をよく見せる。たとえば夫が大学へ講義に来た際、梅子たちの目の前で彼女を見下すかのような発言を連発する(第16~17話)。そのとき、梅子は表情を変えることなく言葉も発しない。寅子はそこに「スンッ」を読む。

 そんな「スンッ」は、かならずしも女性だけがするものではない。

 甘味処で寅子が同級生たちとお茶をしているとき、そこに梅子の息子である帝大の学生がたまたまやってくる。寅子たちは明るく挨拶をするものの、いっしょにいた同級生の男子学生はなにも言わずに「スンッ」となる。

 「男の人でも、スンッするんだ」──寅子はそう思う。

 後にわかるのは、明律大の男子学生が帝大生に強いコンプレックスを抱いていることだ。強い憧れと嫉妬の思いが入り混じった結果、彼らは「スンッ」となる。

辞書にある「スンッ」

 では、この「スンッ」はどのような言葉なのだろうか。最近はマンガでよく見かけるという説も出ているが(はてな匿名ダイアリー「すん…」2019年2月16日)、一般的にはまだあまり使われていない印象だ。だからこそ今回とても注目されているのだろう。

 辞書で調べると言葉自体はあっさり見つかった。それは、もともとある言葉だったのだ。たとえば、以下のように記述されている。

すん〘 感動詞 〙 軽くうなずき、承知した意を表わす語。「うん」に対し、声にならない軽い息づかいを示す。「うんともすんともいわない」
小学館編『精選版 日本国語大辞典』(2006年)

 それは『虎に翼』の「スンッ」とはちょっと異なる印象を受ける。うなずくような振る舞いはないからだ。とは言え、それほど遠いニュアンスでもない。用例として現在も使われている「うんともすんともいわない」が提示されてあるが、それを考えるとわかりやすいかもしれない。「うん」は明確な同意、「すん」は消極的な(無言の)同意、という印象であれば「スンッ」にも通ずる。

 日本語としては、「すん」は動詞や形容詞などを修飾する副詞「すんと~」の用法もある。辞書では以下のように説明されている。

すん‐と〘 副詞 〙
① 物事に対して、関心やあたたかみのない冷たい態度をとるさまを表わす語。すげないさま。そっけないさま。つんと。
② 物事に対して、内心では関心がありながら表面的に関心のないふりをするさまを表わす語。つんと。
③ 物のしなやかで、はりのあるさま、身のこなしがすっきりとして、玄人らしいさまなどを表わす語。
小学館編『精選版 日本国語大辞典』(2006年)

 先にあげた『虎に翼』の「スンッ」は、①や③の要素もあるがこのなかでは②に近い。要は、内面を押し殺し平静を装うさまだ。この擬態語という感じか。「ツンッ」を弱めたニュアンスと考えてもいいのかもしれない。本音ではなくあえてタテマエを前面化し、不都合な状況を「スルー」するコミュニケーション姿勢とも言えるだろう。

寅子自身が「スンッ」

 ただ、『虎に翼』で描かれる「スンッ」なひとは、かならずしも無表情とは限らない。

 たとえば、第2話で寅子の兄が花江と婚約した際の夕食会で、ニコニコしている自分の母親と花江の母親から「スンッ」を読み取る。なぜなら、夕食会の支度をしたのは彼女たちなのに、その場を仕切るのは父親のふたりのほうだからだ。

 最近では、寅子自身が「スンッ」となる様子が描かれた。戦争が終わり司法省民事局で働き始めた寅子は、新憲法の施行を控えて民法改正の仕事に加わることとなる。

 そこに法改正に反対する保守派の法学者・神保(木場勝己)がやって来る。彼は「(GHQが主導する民法改正は)我が国の家族観を破壊する」と自身の主張を展開し、そして寅子に賛同を求める(第48話)。

 このとき、寅子自身に「スンッ」が出る。

 自論をたたみ掛ける神保教授に対し、寅子は強く反論ができない。これまでであれば、「はて?」が出たはずだ。しかし、そうはならなかった。そして寅子は思う。

「これはスンッだ。なんで、すぐスンッてなるんだ」

 このとき寅子の頭には、ともに暮らす兄の未亡人・花江の存在や、一家を支える自分の立場など、さまざまな思いが交錯していた。なんにせよこうした描写から見えてくるのは、やはり不都合な状況に直面したときに「スンッ」が出ることだ。

タテマエ・忖度・空気で「スンッ」

 さて、こうした「スンッ」は、日本で暮らしているひとであれば日常的に見かける光景だろう。あるいは、多くのひとがやっていることでもあるだろう。しかも、日本ではこの「スンッ」ができないと、社会性がないと見なされるような雰囲気もまだまだある。

 さらに、これまで幾度も見られた日本文化論でも「スンッ」的なことは分析されてきた。たとえば、ホンネに対してのタテマエがそうだろう。「スンッ」はまさにタテマエだ。

 近年であれば幾度も議論となった忖度にも近い。現在の「忖度」は、「配慮」や「斟酌」、さらには「ゴマすり」に近いニュアンスも含むようになった。「スンッ」はそこまでいかないものの、状況を察知したうえでの振る舞いだ。

 あるいは、「空気を読む」と言った表現とも関連するだろう。「スンッ」の目的は、たいていはその場の「空気」を維持することにある。

 「タテマエ」、「忖度」、「空気を読む」──こうした繊細なコミュニケーションには、ことを荒立てずに現状を維持することが目指されている。

 しかしここで重要なのは、それが「スンッ」をするひとたちの多くの我慢によって成立していることだ。

 このドラマが常に投げかけているのは、「『スンッ』ばかりでいいのか?」という疑問だ。言い換えれば、多くのひとの我慢の上に成立している社会は本当に正しいのか、ということだ。

「スンッ」な社会を切り開く「はて?」

 「スンッ」ばかりでいいのか?──この問いは、ドラマで描かれている戦前から戦後すぐまでだけでなく、いつの時代でも適用できるものであろう。

 たとえば2024年現在の日本でもそうだ。

 この30年間、ひとびとは80年代後半に極めて高い水準で完成された日本社会の安定を維持しようとして、DXなどイノベーションを怠り、さまざまな産業で構造改革が停滞してろくに経済成長をせずに現在にいたる。現在は、円安となってその間のデフレがウソのように物価高となってひとびとが苦しみ始め、少子化対策にもろくに手を付けなかったことでこれからさらなる人口減少と高齢者割合の高まりも確実で、消費者と労働者が不足し社会保障費だけが膨らむというお先真っ暗な未来が待ち構えている。インターネットの普及とデジタル化が不可逆的で、少子高齢化も予想済みだったのに、未来を構想せずに安定した現状維持ばかりを望んだ。

 それって、30年間の「スンッ」の結果では?

 一方、寅子の切り札は「はて?」だ。

 これからの見どころは、寅子が戦後すぐの「スンッ」な社会を「はて?」でどのように切り開いていくかだ。それは、未来を切り開けずに停滞する現在の日本社会にも大きなヒントになるはずだ。

ジャーナリスト

まつたにそういちろう/1974年生まれ、広島市出身。専門は文化社会学、社会情報学。映画、音楽、テレビ、ファッション、スポーツ、社会現象、ネットなど、文化やメディアについて執筆。著書に『ギャルと不思議ちゃん論:女の子たちの三十年戦争』(2012年)、『SMAPはなぜ解散したのか』(2017年)、共著に『ポスト〈カワイイ〉の文化社会学』(2017年)、『文化社会学の視座』(2008年)、『どこか〈問題化〉される若者たち』(2008年)など。現在、NHKラジオ第1『Nらじ』にレギュラー出演中。中央大学大学院文学研究科社会情報学専攻博士後期課程単位取得退学。 trickflesh@gmail.com

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