『不適切にもほどがある』切れ味増したクドカン節全開 投げかけられたミュージカルシーンの意味
TBS金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』の第1話が1月26日に放送された。冒頭5分からクドカンワールド全開の凄まじいインパクト。昭和世代は大爆笑し、平成生まれの30歳前後は笑いつつ興味を引かれ、Z世代はドン引いたかもしれない。『俺の家の話』以来、3年ぶりの地上波連ドラ脚本は、期待を大きく上回る切れ味のするどいメッセージ性に富んだストーリー展開。今期連ドラの真打が圧巻のスタートを切った。
昭和親父の令和社会奮闘記だけではなかった
冒頭からクドカン得意の昭和ネタの連発だった。1986年を舞台に、妻に先立たれた小川市郎(阿部サダヲ)と一人娘の中学生・純子(河合優実)の暴言・暴論をぶつけ合うハイテンションな昭和親子喧嘩からはじまり、ムッチ先輩(磯村勇斗)の当時はカッコいい(?)ダサすぎる登場、野球部顧問の市郎の部活動中のシゴキ(「練習中は水飲むな、バテる」「連帯責任」「ケツバット」)などあるあるネタをちりばめて、気持ちいいほど昭和の時代を映し出した。
そんななか、市郎は時空を走るバスに乗ってしまい、2024年にタイムスリップ。ドラマの前宣伝通りに昭和親父が令和社会をかき乱す。だが、ここから物語が深くなった。市郎とは逆に、あえて(体験学習のため?)令和から昭和にタイムスリップしてきた母親・向坂サカエ(吉田羊)と中学生の息子・キヨシ(坂元愛登)がいたのだ。
市郎とはタイプが真逆のインテリ教育ママふうのサカエは、さっそく昭和の洗礼を浴び、早々に現代に戻ろうとするが、キヨシは純子に恋をし、昭和に残ると言い出す。
昭和の親父が令和の常識に物申すのと同時に、令和のインテリ母が昭和の時代に感じる驚きや違和感も映し出す。一方の立場だけでなく、双方の立場を俯瞰で見せることでバランスを取りつつ、それぞれの立場へ視聴者が思いを馳せることでの気づきを促している。
令和と昭和の時代ギャップからの問いかけ
令和に迷い込んだ市郎の発言は、昭和では当たり前だったが、2024年では空気が読めない意識低い系の底辺に位置づけられるであろう暴論の数々として映る。しかし、その言葉のなかには、乱暴ではあるが正論もあり、令和社会で口には出せないが、心のなかで誰もが抱いたことはあるであろう本音も入り交じる。
令和で好青年の会社員が、励ましたつもりの職場の後輩女性からセクハラ、パワハラで会社にクレームを入れられ、会社のコンプラ担当者と話し合っているところに、市郎が横槍を入れてくる。その市郎の言葉に共感やカタルシスを得た視聴者は多いことだろう。
一方、昭和にタイムスリップしたサカエはまだ昭和社会の入口に立ったところ。しかし、キヨシは昭和の子どもたち特有のぶつかり合いを経験し、その時代への適応性を見せるとともに、そこが好きにもなりはじめている様子がうかがえた。
本作には、タイムスリップをした2組それぞれのその時代の社会生活を通した投げかけがある。それは、過剰にコンプライアンスが唱えられる向きもある令和社会への問いかけであり、「地上波でおっぱいが見られる」無法地帯だった昭和時代といまの価値観との共通点の提示でもある。多様性を声高にうたう令和が、昭和を多様性のひとつとして認めない矛盾もついていた。
異世界のように取られがちな昭和と令和だが、我々が生きた地続きの社会であり、双方の当たり前をいま考えることで、社会がより住みやすくなることを掲げているように感じられた。
エンターテインメントに昇華させた暴言メッセージ
河川敷での純子とムッチ先輩の昭和恋愛トークで爆笑させられたあとのラストシーンは、唐突にミュージカルドラマになり、それまでの現実世界がエンターテインメントの戯曲の世界に移った。
そこで、言いたい放題だった暴言、暴論をリアル社会とは一線を画するエンターテインメントのなかのメッセージへと昇華させた。そもそもドラマのなかの話ではあるが、たしかに、ほとんどの時間で不適切発言がてんこ盛りだった。そんななか、現実とは区切られたエンターテインメントのなかの話だから、気にすることなく笑っていい。そんなことを投げかけてくれた。
気持ちよく笑える69分だった。まさに今期ドラマの真打登場。第2話がいまから楽しみになる。
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