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【目黒区】モダンガールが生きた時代に没入! 「昭和モダン×百段階段~東京モダンガールライフ~」

Chikuwa地域ニュースサイト号外NETライター(東京都目黒区)

ホテル雅叙園東京・東京都指定有形文化財「百段階段」で開催中の「昭和モダン×百段階段~東京モダンガールライフ~」。皆さんはもうご覧になりましたか?

文化財「百段階段」で大正ロマンをテーマにした展示会を初めて開催したのは2022年

「大正ロマン×百段階段」より(2022年撮影)
「大正ロマン×百段階段」より(2022年撮影)

2回目の2023年立東舎「乙女の本棚」シリーズと共演し、大正~昭和初期にかけて花開いた大衆文化と優れた文学作品を立体的に再現するという試みで楽しませてくれました。

「大正ロマン×百段階段~文豪が誘うノスタルジックの世界~」(2023年撮影)
「大正ロマン×百段階段~文豪が誘うノスタルジックの世界~」(2023年撮影)

美しくも妖しいこの展示会に魅せられて、気に入った文学作品をミュージアムショップで購入して帰ったのを覚えています。

「ミュージアムショップ」で販売された「乙女の本棚シリーズ」(2023年撮影)
「ミュージアムショップ」で販売された「乙女の本棚シリーズ」(2023年撮影)

3回目となる2024年は「モダンガール」がテーマ。大正末期から昭和初期にかけて現れた、近代的なライフスタイルを送る女性とし、文化財「百段階段」の7部屋を舞台に「モガ」たちが享受した都市文化を鮮やかに蘇らせています。

それではさっそく華やかなあの時代へタイムスリップしてまいりましょう。

モダンガールたちの暮らしやおしゃれをちょっとのぞき見「十畝の間」

1つ目のお部屋では大正末期~昭和初期にかけて、東京の街を活き活きと彩った「モダンガール」のファッションを中心に展示しています。
お洋服のコーディネートは歌舞伎・演劇・映画・テレビ・舞踏における衣裳の制作・レンタル販売等を手がける松竹衣裳株式会社です。松竹衣裳株式会社です。

「職業婦人」とはどのような仕事に就いた女性?

1920年代頃から企業やカフェなどで働く女性が増え始め「職業婦人」と呼ばれるようになりました。
主に就いた仕事はバスの車掌、電話交換手、タイピスト、デパートのエレベーターガール、バスガイドなどだったそう。

実は私の母も都営バスの車掌をしていたことがありました。
バスガイドは花形でしたが、バスの車掌は来る日も来る日もひどい渋滞と、バスに乗り切れないほどのお客様にあふれて本当に辛い経験だったと語っています。

それでも休みの日は精一杯おしゃれをして、同僚たちとあちこちにお出かけしたそうですよ。

知的な「職業婦人」を代表するタイピスト

タイピストの装い
タイピストの装い

タイピストという職業は日本語はもちろん、外国語で書かれた手書きの書類を、タイプライターで清書するタイピストは高度なスキルが求められる職業としてお給料も高かったようです。

タイピストになるためには、高等女学校で外国語等が学べる、そこそこ豊かな家庭のお嬢様がタイピストになったとも言われていますね。

展示されているタイピストは当時の装いにしては少し華やかですが、知的な職業婦人というイメージがよく分かる風格でした。

モダンガールが集まるおしゃれな「カフェ」の女給さん

女給さんのいで立ち
女給さんのいで立ち

カフェの女給さんは着物姿に下駄履きというのが定番のスタイル。明るい色の着物に可愛らしい白いレース付きエプロンがとてもモダンで素敵です。

モダンガールやモダンボーイたちが集い、おしゃべりや笑い声が響き渡るようなカフェの様子が伝わってきます。

ハイエンドなおしゃれで「銀ブラ」を楽しむモダンガール

「銀ブラ」とは「銀座をぶらぶら散歩する」という、大正時代に使われていたことば。「銀座でブラジルコーヒーを飲むこと」という設も拡散しているようですが、真偽のほどはよくわかりません。

当時の女性たちは、ミディアムからロング丈の洋装に、髪をショートボブにフィンガーウェーブにし、レースのドレスグローブやパールのアクセサリーで華やかに装うスタイルが流行していました。

実際には洋装で歩く女性は少なかったようですが、百貨店やフルーツパーラー、時計店などが立ち並ぶ銀座の街をさっそうと闊歩するおしゃれなモダンガールの姿が目に浮かぶようです。

着物姿のモダンガールも幾何学模様やアール・デコ調の派手な柄で、帽子をかぶったスタイル。洋装のモダンガールは真知子巻(1953年映画「君の名は」の主人公・真知子のスタイルで大流行した)でキメています。

「夜会」で見かけた美しい女性に声をかけようか迷うモダンボーイ

明治~大正期に入ると、後ろ髪の束をねじり上げて結い上げる「夜会巻き(髪を片側に巻き込んで左右非対称に結う)」というヘアスタイルが登場。洋風文化が広まった明治時代に流行した髪型のひとつです。

日本髪を結っていた女性も大正期に入ると断髪のモダンガールが登場。昭和初期になると欧米文化がだいぶ定着し、東京や大阪ではダンスホールなども出現してきたそうです。

おめかしをして晩さん会や夜会、舞踏会へと出かけるモダンガール。展示で男性は洋装のモダンボーイとして、女性は華やかな着物姿でコディネートされています。

展示では美しいモダンガールの姿に目を奪われ、声をかけようか迷っているというワンシーンを再現。
女性は蝶柄の長じゅばんやべっ甲の帯留め、黒レース手袋、パールのネックレスなどディティールまでこだわり抜いた装いですので、ぜひ近くでチェックしてみてくださいね。

私も最近、着物に憧れているので、展示されているモダンガールのような装いを楽しんでみたいと思いました。

モダンガールの時代を象徴するデザインのコスメティクス、ライフスタイルを垣間見ることができる「漁樵の間」

明治から大正、昭和初期にかけて洋風化に合わせて、当時のライフスタイルを彩って来た香水・化粧品などの舶来品。それらをオマージュして生みされた国産品など約80点を展示しているのが「漁樵の間」です。

それまで使われてきたおしろいや口紅とは違って、使い心地もさまざまで華やかなデザインが施された美しい容器。職業婦人や夜会などに出かけるモダンガールたちの心をさぞときめかせたことでしょう。

私は昭和後期に高校を卒業していますが、大手化粧品会社の美容部員さんが学校を訪れ、お化粧の仕方などを教えてくれる講習会を開催してくれました(最近はもうないようです)。

中山太陽堂(現・クラブコスメチックス)の卒業お祝いセット
中山太陽堂(現・クラブコスメチックス)の卒業お祝いセット

上写真は1903年(明治36年)創業の中山太陽堂(現・クラブコスメチックス)が所蔵している「卒業お祝いセット」。

当時は「近代美粧」を掲げ、見ためだけではなく、教養や社交性、センスなど中身を伴ってこそ「モダンガール」であるという考え方を紹介していました。

当時のモダンガールのおしゃれな姿を捉えた人形や菓子箱、スタンプ、広告など貴重な資料が多数展示されていますので、ぜひじっくりと見学していってくださいね。

モダンガールを名乗るには厳しい条件が!? 「草丘の間」はレトロモダンな「Bar」の展示

3つ目のお部屋は「草丘の間」で、こちらは部屋全体がレトロモダンな「Bar」となっていました。美しいステンドグラスとアンティークなバーカウンター、真っ赤な絨毯が目を惹きます。

飲食の提供はありませんが「モガ」になり切って「文化財Bar」で記念の写真をぜひ撮影していきましょう。

「婦人世界」1929年(昭和4年)7月に掲載された「モダンガールの資格十ヶ條」の第四條には「洋酒と名のつくものは人通り飲んで、しかも名前を覚えなければならない」と記されているそうです。

「モダンガールの資格十ヶ條」
「モダンガールの資格十ヶ條」

第一條には「第一に彼女はしとやかな女らしさの敵でなくてはならない」、
第二條には「どんなにお汁粉が食べたくても我慢して喫茶店に入らなければならない」、とあります。

モダンガールであることはなかなか大変なことだったようですね。

「静水の間」は「大正ロマンの画家」竹久夢二が描くモダンガールの世界

2024年は竹久夢二生誕140周年、没後90年という記念の年。独特の美人画で一世を風靡した「大正ロマンの画家」として知られている竹久夢二は、商業デザイナーやイラストレーターとしても活躍しています。

日本橋「港屋絵草紙店」を開き、自分自身が図案を手がけた千代紙、便せん、半襟などを販売し、商業美術でも数多くの作品を残しました。

楽譜のデザイン、雑誌の挿絵、本の装丁などマルチな活躍。

今回の展示会では1924年(大正13年)創刊の雑誌「婦人グラフ」表紙や「セノオ楽譜」シリーズ、「中山晋平作曲全集」「令女界」などに描かれたモダンガールを展示していました。

「婦人グラフ」は高級雑誌で表紙や挿絵は木版画(のちにはオフセット印刷に)を張り込むという大変手の込んだ作りだったそうです。

「星光の間」は当絶大な人気を誇ったグラフィックデザイナー・小林かいちをフューチャー

小林かいちは大正末期~昭和初期にかけて、京都の土産物店「さくら井屋」の木版刷り絵封筒や絵葉書の図案などを手掛け、絶大な人気を誇ったグラフィックデザイナーです。

アールデコの影響を強く受けながらも、独自の抒情性をシンプルな画面構成と色彩で表現。ハートやバラ、トランプなど西洋的でロマンチックなモチーフを採用しているところも、当時の女学生たちの心を捉えたポイントだったようです。

デザインの素晴らしさはもちろんのこと、当時の版画技術(絵師・彫師・摺師)も卓越しており、細かい表現の美しさに思わずため息がもれます。

しかしこの小林かいち、20年ほど前までは本名・性別・出身地さえわからない謎に包まれた作家だったとのこと。

竹久夢二と小林かいちの作品展示に協力した株式会社港屋さんのお話によると、1990年代以降、海外コレクターによる日本の絵はがき展が相次いで開催されたことにより、再び小林かいちの作品が注目を浴びるようになったとのこと。

「ミュージアムショップ」で購入できる小林かいちの作品グッズ
「ミュージアムショップ」で購入できる小林かいちの作品グッズ

2008年には、遺族の方が名乗り出たことにより、少しずつ経歴が明らかになっていきましたが、まだ全容は謎のままです。
100年以上前に描かれた作品とは思えないほど、斬新で魅力的な作品、ぜひ皆さんもその目で確かめてみてはいかがでしょうか。

「清方の間」は「乙女の本棚」シリーズとコラボ、江戸川乱歩「人でなしの恋」を立体展示

2023年の展示会でフューチャーされた立東舎「乙女の本棚」シリーズから、怪奇幻想小説を代表する作家・江戸川乱歩と人気イラストレーター・夜汽車のコラボレーションによる「人でなしの恋」を立体展示で表現した「清方の間」。

「人でなしの恋」とは以下のようなあらすじです。

人でなしの恋、この世の外の恋でございます。
美男子と結婚して約半年。ある日夫の奇妙な行動に気づき、その後を追ってみると・・・。
引用元:立東舎「乙女の本棚」シリーズ「人でなしの恋」より

ある晩、夫の後を追って土蔵へ行き、そこで目にした衝撃的な光景とはいったいどんなものだったのか。作品を読んでから行くか、見てから行くかはあなた次第、というわけです。

大正時代は怪奇趣味や江戸趣味とともに「大正デカダンス」ということばも流行し、当時の現実世界からの逃避や乖離、退廃的な気分を感じさせます。
モダンガールたちが生きた時代の、耽美と幻想の文化世界を現代的なイラストレーターが描くことで、新たな命を吹き込まれた展示となっていました。

いつの時代でも矜持を持ち、その時をひたむきに生きたモダンガールに出会う「頂上の間」

7つ目、最後のお部屋となる「頂上の間」では「モダンガール その先の時代へ」がテーマ。神秘的な女性像を描いた作品で国内外に多くのファンを持つ画家・加藤美紀さんのできたてほやほやの新作をお披露目。

加藤さんが描く異界と現実の狭間に現れる、妖しく神秘的な女性が文化財「百段階段」とのコラボレーションとして描かれています。

加藤さんは着物ブランドとのコラボレーションも数多く手がけており、今回描かれている女性が着ている着物は大野らふさんによるスタイリング。
アールデコと和洋ミックスの小物でモダンガールらしい装いにコーディネートしたそうです。

夜会から抜け出した女性のもとへ、「静水の間」の天井画に描かれた鳳凰が訪れています。女性が立っている背景も文化財「百段階段」となっており、作品世界へ自然と誘われる秀逸な作品。

「頂上の間」ではもう1つ、昭和初期に少女雑誌「少女の友」の人気画家として一世を風靡した中原淳一の複製画も展示されています。

時にはおしゃれのために我慢をしながら、時代の最先端を駆け抜けたモダンガール。いつの時代でも格好良く生きるためには、苦労や努力はいとわないという女性たちの思いが感じられて素敵な展示会でした。

精一杯その時代を駆け抜けた女性たちの姿の一端に触れることができる「昭和モダン×百段階段~東京モダンガールライフ~」、皆さんも訪れてその時代の空気を感じてみてはいかがでしょうか。

▼「昭和モダン×百段階段~東京モダンガールライフ~」開催概要
【開催期間】~2024年6月16日(日)まで
【開催時間】11時~18時(最終入館17時30分)
※会期中は無休
【開催場所】ホテル雅叙園東京 東京都指定有形文化財「百段階段」
詳しくはこちら≫

■取材協力

ホテル雅叙園東京
住所:東京都目黒区下目黒1-8-1
問合せ先:03-3491-4111(代表)

地域ニュースサイト号外NETライター(東京都目黒区)

コピーライターからWebライターへ転身。アロマセラピスト・整体師としても時々活動しています。趣味はカンフー(八卦掌・長拳)と古代史(関裕二先生のファン)。目黒区の魅力やおもしろいところを発信していきます。取り上げて欲しい目黒の穴場や情報もぜひお寄せください!

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