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ルポ・技能実習生が「逃げる」ということ(4)「逃げられない」借金漬けの留学生、介護のバイトやめられず

巣内尚子研究者、ジャーナリスト
留学生や労働者として海外にわたる人が多いベトナム北部の農村部。筆者撮影

 これまで3回にわたり、日本の技能実習制度のもとで働く技能実習生が会社から「逃げる」ということについて書いてきた。

 一方、国境を越える移住産業に搾取され、安い労働力として酷使されるリスクを持つのは技能実習生に限らない。日本で介護部門への外国人労働者の受け入れが積極的に進められようとする中、留学生の中に介護施設での仕事を強いられるとともに、出身国の仲介会社に払った手数料のための借金によりがんじがらめになり、逃げることができない人がいる。

◆介護労働を担う「留学生」

移住労働者の多いベトナム北部の農村部。筆者撮影
移住労働者の多いベトナム北部の農村部。筆者撮影

 2016年の夏、西日本にある日本語学校の留学生寮を訪問した。その寮にはベトナムやインドネシア出身の留学生が暮らしていた。

 田畑が広がる地域を進むと、そこに民家が建っていた。これが学生寮というが、それはいたって普通の戸建て住宅だった。ここで、多いと10数人の留学生が共同生活をしているのだという。1階には留学生が寝起きをしたり、食事をとったりするという畳の部屋に加え、台所やお風呂が設置されている。台所には炊飯器や調理器具、食器がずらりとならぶ。調理器具は使い込まれ、日々この台所が使われていることが分かる。留学生はみな、節約のために毎日自炊をしているのだ。

 この寮の留学生はみな、A社が保有する日本語学校の学生だった。A社は介護施設を展開しつつ、日本語学校も運営していた。

 畳の部屋に入ると、ベトナム人留学生が何人か休んでいた。暑さから、外に出るのはつらい。そして、後で知ることになるが、留学生は日本語学校で学ぶだけでなく、全員がA社の介護施設で「アルバイト」をしており、介護労働の負担が重かったのだ。休みの日は体を休めたかったのだろう。

 話が日本語学校やアルバイトの介護のことに及ぶと、留学生はみな一様に表情をくもらせた。それもそのはずだ。留学生はみな経済的な困窮状態に置かれるとともに、アルバイトの介護労働をやめることができないでいたのだ。

 A社は介護施設を運営しつつ、日本語学校を運営し、アジア諸国から留学生を受け入れていた。そして、A社では授業料を前納させる代わりに、留学生を自社の介護施設でアルバイトさせ、このアルバイトの賃金から学費を徴収する「授業料の後払い制」をとっていた。その上、この日本語学校では当初、留学生はアルバイトや寮を変更できないと説明されていたという。職場の変更が原則的にできない技能実習生とは異なり、留学生はアルバイトは自由に選べるはずだ。しかし、この日本語学校では実質的に、留学生がアルバイトをやめることができないようになっており、留学生はこの状況に不満があったとしても就労を続けざるを得なかった。

 そもそもベトナムとインドネシア出身の若者は「留学生」として来日したはずだったが、日本語学校の授業の組み方は、留学生を労働力として位置づけるものだった。授業は午前と午後のそれぞれのクラスがあり、授業が午前クラスの留学生は午後にアルバイトのシフトが組まれ、授業が午後クラスの留学生の場合は午前にアルバイトというシフトになっていた。

 介護施設でのアルバイトの賃金からは日本語学校の授業料や寮費などが引かれていた。日本では留学生が就労できるのは週に28時間までと法律で規定されているほか、介護施設の時給はそう高いものではなかった。そのため留学生の手取りは月に1万数千円程度にしかならない。留学生はこの金額だけで生活していたのだ。

 

 留学生が暮らしていたのは、移動に車が必要な地域だった。しかし、車など持てるような経済状態にない留学生は、アルバイト先となる介護施設まで自転車で移動することが求められた。悪天候の日でも雨合羽を着て自転車に乗った。

 

 インドネシア出身の留学生Aさんは「お金がないので、食費を切り詰めていました。それに、自転車でアルバイト先まで移動し、力のいる介護の仕事をしていたので、来日してから7キロも痩せました」と語る。

 別のインドネシア出身の元留学生Bさんは「来日前にインドネシアで開かれた説明会では、介護施設での仕事は、留学生については日本人の職員と必ず一緒に行うと言われていました。そして、留学生の仕事はあくまで補助的なもので、決してきつい仕事ではないと説明されました。高齢者と話をしたり、歌ったりするだけだと聞いていたのです」と打ち明ける。

 しかし実際には、インドネシア人留学生とベトナム人留学生は、要介護度の高い高齢者に対するケアを担っていたほか、仕事は重労働だったという。

 そして、留学生はこうした自身の窮状を解決できないまま、悩んでいた。学校側に訴えても取り合ってもらえなかったほか、学校側は留学生に説明する際に、ベトナム人留学生とインドネシア人留学生を別々の部屋に分けて説明をするなどし、留学生同士も分断されていた。

 日本に暮らす留学生の中には、規定の週28時間を超えるアルバイトをする人もおり、時に過酷な長時間労働に至ることさえある。他方、A社の日本語学校の留学生の場合、授業計画とアルバイトのシフトが突然変更されることがあったほか、個人経営の店舗などでは雇用者が外国人を雇いたがらなかったようだ。同時に、特にベトナム留学生は日本語が十分にできないままに来日しており、語学力の面から仕事を探すことは難しい状態にあった。

◆借金漬けのベトナム人留学生

移住労働者の多いベトナム北部の農村部。筆者撮影
移住労働者の多いベトナム北部の農村部。筆者撮影

 A社の日本語学校の事例ではさらに、ベトナム人特有の問題があった。それは日本に来る前に利用したベトナムの仲介会社に支払った手数料が法外に高いことだった。

 私が聞き取りをしたこの日本語学校の元留学生は、インドネシア出身者とベトナム出身者だったが、ベトナム出身者だけがベトナム側の仲介会社に1人当たり約100万円にもなる手数料を支払っていたのだ。この手数料は借金により賄われていた。ベトナム人留学生は借金漬けの状態で来日したということだ。一方のインドネシア人留学生は来日前に手数料を払っていなかった。ベトナム人留学生だけ、仲介会社に手数料を払った上で、さらに日本語学校の授業料を納めることが必要になっており、二重の負担だ。

 ベトナム人留学生のCさんは、「ベトナムの仲介会社からは、日本では勉強しながら、アルバイトもできると言われました」と明かす。私が話を聞いた時点で、ベトナム出身の留学生は借金をしてまで来日したものの、手取りが1万数千円しかないため、借金は一切返済できていない状況にあった。

 学歴や語学力も異なっていた。

 インドネシア出身の留学生は同国の大学を卒業していた。同時に日本語も堪能だった。

 これに対し、ベトナム人留学生は医療系の短期大学などの卒業生だった。ベトナム人留学生は、「日本では日本語を学びつつ、自身の専門に近い仕事ができる」と、仲介会社に説明を受けていた。学歴が重視されるベトナム社会では、若者が自分の「専門」にこだわる傾向が強い。同時に、若年労働者が待遇のよい職に就くことが難しいという雇用状況があるため、こうした誘い文句はベトナムの若者の心を動かすだろう。一方で日本語のレベルはインドネシア人留学生より低い状態にあった。

 もう一つ異なっていたのが、出身国政府との関係だ。

 インドネシア人留学生はこの苦しい状況について在日インドネシア大使館に相談をしており、同大使館側も留学生のために動いてくれたという。

 だが、ベトナム人留学生はそもそもベトナムの政府機関には相談をしていなかった。私はこれまで、ベトナムから日本、台湾、韓国などへ移住労働に出た経験のある人たちに聞き取りをしてきたが、この傾向はベトナム人留学生だけではなく、ほかのベトナム人にも共通する。日本で技能実習生として働いた人たちも、台湾で家事労働者として働いた人たちも、年齢や性別、学歴、職歴などの差異はあれど、移住労働先で困ったことがあったとしても、ベトナムの政府機関には相談していなかった。そもそも政府機関に相談するという発想自体が希薄で、困ったことがあると、友人など限られた人に相談するだけか、あるいは、外部にはほとんど相談先がないというケースが少なくなかった。

 同じ東南アジアに位置する国とはいえ、インドネシアとベトナムは異なる。

 約2億5500万人に上る巨大な人口を抱え、東南アジアの盟主と言われるインドネシアは、日本との歴史的な関係が深い上、その経済的なプレゼンスがかねて注目されてきた。インドネシアの国内総生産(GDP)伸び率は2016年が前年比5.0%、2017年が同5.1%で推移し、1人当たりGDPは2017年に約3877米ドルとなった。(日本外務省、インドネシア共和国基礎データ

 同時に政治や民主主義の面でも、インドネシアは大きな注目を集めてきた。インドネシアは90年代後半のアジア通貨危機により長期の開発独裁体制を敷いてきたスハルト政権が倒れ、民主化の時代に突入した。その後も、国軍の力が強いことや汚職問題が指摘されてきたものの、国民は選挙により大統領を選んできた。スハルト以降の歴代のインドネシア大統領は、欧州留学経験を持つ技官出身のハビビ、イスラム指導者のワヒド、「建国の父」と呼ばれカリスマ的人気を誇ったスカルノの娘であるメガワティ、国軍出身のユドヨノ、そして経営者出身の現職のウィドドまで、多様な人物が選ばれている。

 インドネシアはまた、海外への移住労働者の送り出しを進めながら、関連制度を構築してきた経緯がある。

 インドネシアからの移住労働者送り出しに関しては、インドネシア人家事労働者の研究を行ってきた研究者の平野恵子氏の「湾岸諸国におけるインドネシア家事労働者『問題』 とネットワークの可能性」(2013年)などに詳しいが、インドネシア人移住労働者に関しては、特に家事労働者として海外で働くインドネシア人女性に対する虐待問題などが起きている。

 他方、インドネシア政府は他国で自国労働者が虐待被害を受ければ、その国への送り出しを停止するといった措置を発動してきた。インドネシアでは、移住労働者送り出しに関する議論も市民社会においてなされてきた。

 これに対し、ベトナムは9000万人を超えるこちらも大きな人口を抱えるほか、経済も成長基調にあり、各国との投資・貿易関係が拡大してきた。2017年のGDP伸び率は前年比6.81%を確保し、1人当たりGDPは同年に約2385米ドルとなった。(日本外務省、ベトナム社会主義共和国基礎データ)世界的な基準では低いほか、貧困や格差の問題はあるが、都市部を中心に中間層も増え、消費市場の伸びが期待されるなど、経済成長時代を迎えている。

 他方、ベトナムは1986年に市場経済の導入と外資への門戸開放を柱とする「ドイモイ(刷新)」政策が採択された半面、政治体制は共産党一党体制が維持されている。言論統制があり、デモや集会は禁止だ。唯一のナショナルセンターはベトナム労働総同盟であり、これは国の一機関となっている。こうした背景から、私は、ベトナムの労働運動や社会運動はインドネシアに比べて積極的ではないと考えている。

 そして移住労働者の権利保護に関しても、ベトナムにおいては関連制度の整備に課題がある。

 インドネシア人留学生とベトナム人留学生の自国政府に対する異なる対応を説明することは実際には容易ではなく、明確な答えはすぐに導き出せない。ただし上記のような両国の政治体制や移住労働政策の差を見る必要があるだろう。

◆「働きながら勉強する」という誘い文句

移住労働者の多いベトナム北部の農村部。筆者撮影
移住労働者の多いベトナム北部の農村部。筆者撮影

 なぜこうしたベトナム人留学生が存在するのか。

 まず日本側では介護施設の側が労働力を確保するために、留学生の受け入れを利用していることがあるだろう。

 そしてベトナム側では、留学希望者を対象に、高額の手数料をとる仲介会社がビジネス展開していることがある。

 ベトナムではかねて、労働者の海外への送り出しを進める「労働力輸出」政策がとられ、この中で台湾、日本、韓国の3カ国をはじめとする海外への労働者の送り出しが推進されている。その中で、営利目的で労働者の送り出しビジネスを行う仲介会社を核とし、個人のブローカー、渡航前研修を提供する研修センター、手数料の貸し付けを行う銀行など各アクターが関係しながら、移住産業が形成されてきた。

 留学生の送り出しもまた、ビジネスになっている。移住労働者を日本や台湾、韓国などに送り出す仲介会社の中にも、留学生の送り出しを行うところもある。一つの仲介会社の中に「日本部門」「台湾部門」などいくつかの部門があり、その中で留学を扱う部門を持つケースも存在する。また、元技能実習生が日本で得た日本語能力やネットワークを使い、留学生の送り出し会社を作る例もあるなど、留学生送り出しビジネスが広がっている。

 そして、仲介会社の中には、「勉強しながら仕事する(vua hoc vua lam)」という誘い文句で、留学希望者を集めるところも存在する。就労できることが日本留学の大きな売りになっているのだ。

 ベトナム人が技能実習制度のもとで技能実習生として来日する際には、仲介会社(送り出し機関)を経ることが一般的だ。しかし留学生の場合は本来、自ら日本側の教育機関と直接やり取りし入学許可を得た上で、在留資格の申請をし、これが認められれば、留学できる。しかし、仲介会社のビジネスが広がる中、こうした手続きを自分で行うことのできない人も含めて様々な人が日本留学へと振り向けられている。

 ベトナム人留学生の中には、大学や大学院で専門分野の勉強を進める人もおり、そうした留学生は日本語も堪能な上、日本社会とのつながりもあるなど、ベトナム人留学生も一枚岩ではない。

 しかし、学業よりもアルバイトを優先する就労目的の留学生も少なくない。聞き取りをした日本留学経験のあるベトナム人の中には、学業よりも就労が目的で来日した人たちがいた。そのような留学生が水路づけられるのは主に各地の日本語学校だ。こうした就労目的の留学生は、日本語能力が十分ではないものの、「日本は稼げる」と仲介会社に誘われ、高額の手数料を支払い来日している。日本の日本語学校の側もまた、こうした留学生を受け入れている。

 さらに、話を聞いた留学生の中には日本語学校で学びつつ、規定の週28時間を超えるアルバイトをしていた人がいた。だが借金の負担が重すぎるため、仕事をしても返済が追い付かない上、日本語も十分には学べない。さらに借金があるため容易には帰国できない。ベトナム人技能実習生の中には借金漬け来日し、実習先企業の変更ができない中、就労しつつ借金返済をしている人が多い。留学生についてもまた、借金苦の中で日本で働き、その労働力を日本の産業部門に提供するという構図ができている。

 それがたとえ就労目的だったとしても、留学生もまた、技能実習生のように日本に期待して来日したはずだ。だが、構造的に借金漬けの留学生が作り出され、A社の介護施設で働くベトナム人留学生のように借金に縛られながら、逃げることができずにいる留学生が生み出されている。

 日本では、介護職の賃金や処遇の改善が道半ばであり、介護職員が大事にされているとはいいがたいだろう。しかし、介護職員の賃金や処遇の根本的な改善がないまま、人手不足を口実に、介護現場への外国人の受け入れが進められようとしている。同じ労働者として、差別なく、きちんとした処遇のもとで受け入れられるのであればいいが、既存の問題をそのままにして受け入れが進めば、いったいどうなるのだろうか。もうすでに、ベトナムにおける留学生送り出しビジネスと日本側の日本語学校や介護部門の抱える課題の狭間で、借金漬けの留学生が作り出されているのだ。A社の介護施設で働く留学生のように、借金に縛られ逃げることができずにいる留学生が日本の職場を根底から支えていることを見る必要がある。(「ルポ・技能実習生が『逃げる』ということ(5)」に続く。)

※日本外務省ホームページのインドネシア共和国基礎データベトナム社会主義共和国基礎データは2018年11月28日閲覧。

研究者、ジャーナリスト

東京学芸大学非常勤講師。インドネシア、フィリピン、ベトナム、日本で記者やフリーライターとして活動。2015年3月~2016年2月、ベトナム社会科学院・家族ジェンダー研究所に客員研究員として滞在し、ベトナムからの国境を超える移住労働を調査。一橋大学大学院社会学研究科修士課程修了(社会学修士)。ケベック州のラバル大学博士課程に在籍。現在は帰国し日本在住。著書に『奴隷労働―ベトナム人技能実習生の実態』(花伝社、2019年)。

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