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「劉暁波氏の死去」にみる西側と中国それぞれの変化:「国際世論」のパワーバランス

六辻彰二国際政治学者
香港の中国連絡事務所前で劉暁波氏の死を悼む人々(2017.7.13)(写真:ロイター/アフロ)

7月13日、中国の作家で人権運動家の劉暁波氏が死亡したニュースが世界を巡りました。

劉氏は天安門事件を主導した、中国の民主化運動を象徴する存在。末期の肝ガンの合併症により、当局の監視下にある病院で死亡しました。その死が民主化運動を活発化させることを警戒したのか、中国国営の新華社は葬儀や散骨の様子を報道。故人の尊厳が守られていると印象付けようとしています。

劉氏の死去は、民主化運動に対する中国当局の警戒感を改めて浮き彫りにしたといえますが、その一方で、はからずも、天安門事件の頃と比べて、中国および世界の状況が変化したことをも明らかにしました。そこからは、天安門事件をきっかけに形作られた「冷戦後の世界」が終わりつつあることを見出せるのです。

中国のマンデラ、劉暁波

まず、劉暁波氏について、簡単に確認します。

先述の通り、劉氏は1989年の天安門事件で主導的な役割を果たしましたが、その後も共産党体制を批判する言論活動を展開。度々、逮捕・投獄されながらも、2008年には有識者300名以上が署名した「08憲章」を起草。これは共産党一党体制を批判し、民主化を求める内容だったため、劉氏は即時逮捕されたのです。

翌2009年、劉氏は国家政権転覆扇動罪で有罪判決を受け、懲役11年の刑に処されました。しかし、2010年には獄中でノーベル平和賞を受賞。これに中国政府は強い反感を示しました。

結局、獄中の劉氏は授賞式に出席できませんでしたが、そのスピーチ原稿には「私に敵はいない」という一文がありました。これは、白人支配のもとにあった南アフリカで、白人政権に抵抗したネルソン・マンデラが27年間の投獄生活を経験し、そのうえで「全てを赦す」境地にたどり着き、人種間の融和を目指すに至ったことを思い起こさせるエピソードです。

1989年との異同

劉暁波氏をめぐっては、天安門事件の頃から、西側と中国の間に小さくない対立がありました。その存命中から、メディアや人権団体を中心に、西側は劉氏を「民主化の闘士」と位置づけられてきました。これに対して、中国当局は彼を「犯罪者」と呼び、「人権侵害」を批判する海外に対しては「国内問題」や「内政不干渉」を強調してきました。

この構図は、香港の民主化問題だけでなく、チベットや新疆ウイグル自治区での少数民族の弾圧をめぐるものと、ほぼ同じです。しかし、これら特定の区域の自治権に関わる問題と比べても、劉氏や08憲章の場合、共産党体制そのものに関わるものであるだけに、この構図が鮮明だったといえます。

その一方で、劉氏の死去に関しては、天安門事件の頃からの変化も見出すことができます。そこには、以下の二つのポイントがあります。

  • 西側先進国が「民主主義の宣教師」として振る舞うのを控え始めたこと
  • 中国が「国際世論」への働きかけを強めていること

民主主義の外圧

このうち、まず第1点目について。

冷戦の事実上の勝者となった後、西側先進国、なかでも欧米諸国では、冷戦時代には「西側のもの」だった自由や民主主義への自信が深まり、これらが「全世界で採用されるべきもの」と捉え直されるに至りました。その結果、冷戦後の西側先進国には、相手国の人権問題などを理由に、経済制裁などを行うことが目立つようになったのです。

天安門事件は、その大きな転換点となったものでした。冷戦終結を決定づけた、1989年12月のマルタ会談より半年ほど早く、同年6月に発生した天安門事件を受け、西側各国は助停止や取引制限などを実施。その結果、1988年に11.2パーセントだった中国のGDP成長率は、1990年には3.9パーセントにまで低下(世界銀行)。民主化運動を力ずくで抑え込んだ中国政府は、高い代償を支払うことになったのです。

西側諸国の強い反応は、各国メディアが、当時実用化され始めていた衛星中継を用いて、天安門広場の様子を世界に広く伝えたことで後押しされました。天安門事件後の西側は、自由と民主主義の旗のもと、朝野をあげて中国への制裁に向かったといえます。

その翌1990年、米英仏など主な西側先進国はそれぞれ、相手国の人権保護や民主化の促進を、援助の条件にすることを宣言し、「自由と民主主義に基づく国際秩序」を目指す方針を鮮明にしたのです。

西側先進国の「沈黙」

ところが、今回の劉暁波氏の死去では、状況が異なります。西側では、メディアと国際人権団体が「自由と民主主義の観点から」中国当局に批判的なメッセージを発しており、欧米諸国政府からもコメントがないわけではありません。例えば、英国のジョンソン外相は「劉氏を海外で治療を受けさせるべきだった」という声明を発表しています。

しかし、それ以上の踏み込んだ中国批判を行う政府は皆無で、7月14日にパリで行われた仏米首脳会談でも、マクロン、トランプ両氏ともに劉氏を讃えながらも、中国政府への直接的な批判は出ていません

「宣教師」の現実的判断

そこには、大きく二つの要因があげられます。

第一に、中国の影響力が28年前とは比べ物にならないことです。1989年当時、GDPで中国は世界第11位(世界銀行)。改革・開放のさなか、急激に経済成長しつつあったとはいえ、いまだ先進国から大規模に援助を受ける身でした。

これに対して、GDP世界第2位となった現代の中国は、その資金力によって先進国にも大きな影響力を持つに至っています。経済制裁は「両刃の剣」であり、制裁を行う側にも大きなダメージをともないます。相手が経済力で大きければ、尚更です

とりわけ、ヨーロッパ諸国の間には、中国主導のアジア・インフラ投資銀行や「一帯一路」構想への期待感もあります。一方、米国トランプ政権にとっても、中国との貿易問題は重要課題の一つ。北朝鮮への制裁をめぐり、中国がキープレイヤーとなる状況は、これに拍車をかけています。

劉暁波氏の死に関する西側先進国の対応は、よほど自らにとっての死活的な利益が関わらない限り、天安門事件当時のように中国に制裁を行うことが、もはやほとんどあり得ないことを示したといえます。

傷だらけの「自由と民主主義」

第二に、西側の自由や民主主義そのものが、かつてほど「ブランド力」を持ち得なくなっていることです。

何かの考え方を強制する場合、相手によって態度を変えては、説得力は生まれません。もともと、西側先進国の民主化要求には、(先進国が多くの石油を調達している専制君主国家サウジアラビアなど)外交関係が良好な国は大目にみるといった二重基準(ダブルスタンダード)が鮮明で、それが「自由と民主主義」に対する開発途上国の信頼を低下させてきました

これに加えて、相手に求める考え方を、自分自身が文句なく実践できなければ、やはり説得力は生まれません。ところが、近年では先進国の内部でも、「自由と民主主義の劣化」が目立ちます。トランプ現象や英国のEU離脱に象徴される、西側先進国におけるポピュリズムの蔓延は、情報化が進む現在、開発途上国を含む世界各国に広く伝えられており、これも「自由と民主主義」のブランド力を引き下げています。

2017年6月1日にワシントンポスト紙に掲載されたインタビューで、あるロシアの高官が「ロシアゲート」事件をめぐる「ワシントンの狂騒」を嗤い、「私は君らの大統領が我が国にくることを決して好まないが、君らのシステムがもっとましな代表を選べないのであれば、是非もない」と発言したことは、その象徴です。

つまり、現在の先進国が「自由と民主主義」を唱えても、そこにかつてほどの影響力を期待できないばかりか、逆に恥をかくことにもなりかねないのです。「自由と民主主義」そのものが傷だらけの状況は、先進国政府が劉氏に関して、「物言えば唇寒し」という反応にならざるを得ない、もう一つの背景といえるでしょう。

中国の「国際世論」対策

これに対して、中国に目を向けると、共産党体制を脅かす者を容赦なく取り締まり、当局に都合の悪い情報を遮断しようとする点では何も変化がない一方で、1989年当時と比較した変化をみてとれます。今回の場合、それは主に「国際世論」への対策にうかがえます。

例えば、7月11日、中国政府につながるサイトで、病院で劉暁波氏の治療にあたる外国人医師の様子がリークされました。そのなかで、外国人医師らは劉氏に精一杯の治療をしている旨の発言をしています。

天安門事件の頃、中国政府は事件の全貌を海外に公開することさえほとんどなく、西側メディアのカメラが捉えた出来事そのものが、まるでなかったかのように扱おうとしました。それと比べると、今回のリークは例え「グロテスクなプロパガンダ」だったとしても、少なくとも「政治犯をも人道的に取り扱っている」というアリバイ工作にはなりました。

つまり、天安門事件の頃と異なり、劉氏の場合、中国当局は「都合の悪い情報」をひたすら隠そうとするのではなく、それを「宣伝材料」に流用する手法を用いたといえます。ただし、「政府が白というものは全て白」といった中国式プロパガンダが、かえって西側諸国の不信感を招くこと自体は避けられません。

第三者への働きかけ

次に、西側以外の国へのアプローチです。

中国政府からみると、天安門事件の頃、中国の国際的な情報発信力が低かったことが、「西側メディアによる中国イメージの悪化」を許したと映ります。そのため、中国は2000年代半ばから、開発途上国を中心に、新華社通信や中国中央電視台(CCTV)の進出を促し、中国メディアからの情報提供を進めてきました。

その結果、例えば新華社は、2011年までにニューヨークのタイムズ・スクウェアをはじめ、世界に100ヵ所以上にオフィスを構え、8ヵ国語での情報発信を始めています。これは、西側メディアによって握られてきた「国際世論」の分野で、影響力を拡大させる取り組みといえます。

この状況は、劉氏の死去に関しても同様です。例えば、中国の進出が目立つアフリカで、50紙以上と最も新聞の数の多い国の一つである南アフリカで、劉氏の死亡が伝えられたのは、筆者が確認できた範囲で10紙にとどまりました。開発途上国では、従来ロイターやAFPなど西側の通信社から記事を購入していたメディア企業が、料金の安さもあって新華社に乗り換えることは珍しくありません。つまり、中国の働きかけにより、中国に都合の悪い情報は、以前ほど国際的に伝わりにくくなっているといえます。

こうしてみたとき、天安門事件の頃と現代を比べると、中国と西側先進国の基本的な立場に大きな変化はなくとも、状況によって行動パターンに変化が生まれていることが分かります。国際的な言説や意見を左右する力(ソフトパワー)は、いわゆる国力の一部です

劉暁波氏の死去は、はからずも中国の国力が天安門事件の頃より格段に大きくなっていることだけでなく、西側先進国のブランド力が、もはや覆い隠せないところまで落ちていることをも浮き彫りにしたといえます。中国をはじめとする新興国の台頭に直面するなか、それらに影響力を行使しようとするなら、西側先進国は軍事力や経済力だけでなく、「言説の力」の再構築に迫られているといえるでしょう。

国際政治学者

博士(国際関係)。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学などで教鞭をとる。アフリカをメインフィールドに、国際情勢を幅広く調査・研究中。最新刊に『終わりなき戦争紛争の100年史』(さくら舎)。その他、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、『世界の独裁者』(幻冬社)、『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『日本の「水」が危ない』(ベストセラーズ)など。

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