小嶺栄二監督がなでしこリーグに刻んだたしかな記憶。逆境を覆した挑戦者たちの1シーズン

なでしこリーグ1部で日体大FIELDS横浜の歴史を刻んだ小嶺監督(筆者撮影)

 小春日和の青空が広がった11月中旬の朝方、筆者の元に一つの訃報が届いた。

 日本体育大学、長崎県立国見高校、そしてなでしこリーグの日体大FIELDS横浜で指揮を執った小嶺栄二監督の逝去を知らせる訃報だった。享年37歳だった。

 2018年ー19年の1シーズン、日体大FIELDS横浜で監督を務めた後、今年3月に体調不良のために辞任する旨がチームの公式ホームページで発表されていた。

 その後の経緯について、詳しくはわからない。だが、地元の長崎に帰り、亡くなる数日前まで母校の国見高校でコーチとしてグラウンドに立っていたという。指導者としての活躍が期待されていた方だけに、本当に残念でならない。

 国見高校といえば、全国的に知られたサッカー強豪校だ。同校サッカー部の同期で、3年次には高校3冠をともに成し遂げたジュビロ磐田の大久保嘉人選手は、11月20日、自身のツイッターで「大切な友へ。」とメッセージを綴っている。

 そのメッセージからは高校時代、誰よりも努力家で、頑固だけれどみんなに好かれた小嶺監督の素顔が浮かびあがる。

 ここ数日、小嶺監督に向けてSNS上で綴られたお別れのメッセージを読み、教え子たちによる様々なエピソードに触れるにつけ、故人がいかに多くの人たちに愛されていたかを改めて感じる。

 

 筆者は昨年、小嶺監督が指導したなでしこリーグの日体大FIELDS横浜の試合を何度か取材し、その人柄やサッカーへの熱い思いに触れる機会があった。その記憶を書き留めておきたい。

 長崎県出身の小嶺監督は、国見高校から日体大に進学し、卒業後はV・ファーレン長崎などで活躍。若くして現役を引退した後は日体大男子サッカー部で指導者の道をスタートさせ、12年からは母校の国見高校で監督を務めた。

 そして18年、なでしこリーグ1部の日体大FIELDS横浜の監督に就任。当時36歳だった青年監督は、1部に昇格したばかりのチームを率いてハードなシーズンを戦い抜き、残留を勝ち取った。そして、全日本大学女子サッカー選手権大会(インカレ)では4年ぶりの優勝という実績を残した。

 日体大FIELDS横浜は、日体大の学生が主体となったチームで、社会人選手が多数を占めるなでしこリーグ1部では異色の存在だった。

 卒業によって毎年選手が入れ替わり、主力選手が教育実習などで試合に出られないこともあるため、積み上げが難しい。また、なでしこリーグと学生リーグを両立して戦うため、監督は2つのチームを見なければならない。

 2部で戦った17年は社会人のベテラン選手の力もあり、1部への自動昇格を勝ち取った。だが、18年はその主力選手たちが移籍したこともあり、1部で生き残ることはハードルの高いミッションに思えた。

 そうした中で監督に就任したのが、日体大男子サッカー部のOBである小嶺監督だった。

 初めて挑む1部の舞台で、日体大FIELDS横浜は常に「挑戦者」だった。そして、様々な逆境と向き合いながら成長していったチームの軌跡はドラマチックともいえるものだった。

【逆境の中で描いたビジョン】

 小嶺監督と1対1で話を聞く機会を得たのは、リーグ開幕から1カ月あまりが経ったゴールデンウィークの終盤だった。

 夏のような蒸し暑い日で、試合を翌日に控えたチームは軽めのメニューで切り上げていた。練習後に取材を申し込んでいたところ、小嶺監督は監督室へと案内してくれた。

 日体大サッカー部の歴史を感じさせるその部屋では、選手たちと日々、熱いサッカー談議が交わされていたのかもしれない。使い込まれた戦術ボードや競技道具とともに、室内には目に見えない“サッカー熱”が満ちているように感じられた。

 冷たいお茶をいただきながら、「女子を指導するのは初めてなんですよ」と切り出した小嶺監督の話に引き込まれ、時間はあっという間に過ぎていった。開幕から公式戦を数試合こなす中でつかんだ手応えから、チームのビジョンをこんな風に語っていた。

小嶺栄二監督(筆者撮影)
小嶺栄二監督(筆者撮影)

「1部は我々より明らかに力があるチームばかりなので、いい守備からいい攻撃につなげていきたいです。まだ先制点を取ったことがないのですが、もう少しで決められそうな手応えがあるんですよ。ビッグチャンスは90分間の中で立ち上がりの1分に来るかもしれないし、89分に来るかもしれない。それをしっかり仕留めて、(最終的には)攻撃で主導権を握れるようになりたいですね。1部残留を目標に掲げているので、勝つために内容をどう突き詰めるか試行錯誤しながらやっています」(18年5月5日)

(参考記事)

「なでしこリーグ1部昇格1年目の日体大が挑む、分厚い壁。まずは「きっかけの一勝」がほしい」

 小嶺監督は、トレーニングでは状況判断やポジショニングを大切にし、ビルドアップでは「相手の目先が変わるようなボールの動かし方」を強調していると話していた。

 そうして、チームは1試合ごとに実戦の中で得る教訓を糧にしながら、小嶺監督の指導の下でチームの共通理解を少しずつ、着実に積み上げていった。 

【挑戦者たち】

 取材中の小嶺監督は物腰が柔らかく、いつも穏やかな印象だった。だが試合中は熱く、重要なゴールが決まった時にはピッチに入ってしまいそうな勢いでベンチから飛び出し、喜びを表現することもあった。

 個別の選手について質問した時は、言葉に力がこもった。代表候補合宿に選手が招集された際は、しっかりと自分の良さを発揮できていたか心配するなど、親心も感じさせた。

 実直で熱く、芯があるけれど柔軟ーー。そんな人間性も、指導者としての魅力だったのではないかと思う。

 苦しいシーズンを戦い抜いたチームの真骨頂は、12月中旬に行われた1部/2部入替戦で発揮された。

 リーグ戦を10チーム中9位でフィニッシュした日体大FIELDS横浜は、2部で2位になったニッパツ横浜FCシーガルズと、ホームアンドアウェーの入替戦を戦うことになった。

 この入替戦で、日体大FIELDS横浜は2試合合計4-3で1部残留を決めている。印象的だったのは、2部を勝ち上がって来た勢いのあるニッパツ横浜FCシーガルズに対して、リードしても守備を固めず攻め抜いたことだ。

 アウェーで2-1とリードして終えた第1戦の後に、小嶺監督はこう語っている。

「(1部の)強いチームの中で1年間揉まれた中で、判断のスピードを上げてもらいました。失うものは何もないですし、どんどんチャレンジしていこうと伝えています。(攻めるより)守る90分間は選手もしんどいと思いますし、僕もしんどいですから」(入替戦第1戦後/18年12月8日)

 そして、第2戦は言葉通りの展開になった。合計スコア3-3で延長戦突入かと思われた終了間際の89分に、MF平田ひかり(現ノジマステラ神奈川相模原)の決勝ゴールが生まれた。それは、シーズンを通してチャレンジし続けてきた成果だった。

(参考記事)

「2部との入替戦に挑む日体大。なでしこリーグ終盤戦で見せた1部残留への執念と成長の跡」

「激闘の末に掴んだなでしこリーグ1部残留。日体大がラスト20分間で見せた“挑戦者”の底力」

 こうして、シーズン前から掲げていた1部残留の目標を達成したチームは、その直後に始まった全日本大学女子サッカー選手権大会でも悲願を達成する。

 4年ぶりの大学日本一。それは、大学女子サッカーで最多のタイトル数を誇る名門の復活を告げる瞬間でもあった。試合後、3000人を超える観客の万雷の拍手を受け、小嶺監督はようやくホッとした表情を見せた。

 なでしこリーグを戦う社会人と学生の混成チームと、学生リーグやインカレを戦う学生のみのチーム。2つのチームをマネジメントし、異なる2つの目標を達成するのは並大抵のことではない。それでも自分を褒めようとはしなかった。

 試合後、しみじみとした表情でこう語っている。

「なでしこリーグ残留とインカレ(王座)奪還という2つの目標を立ててやってきた中で、選手が本当によく頑張ってくれました。チャンスではぐっと攻めていく力強さや、守らなければいけない時間帯は全員で体を投げ出す守備。それは、1部で1年間戦えたことが大きかったと思います。試合を重ねるたびに選手たちが成長してくれました」

 胴上げで選手たちからの祝福を受けた時、小嶺監督の苦労はきっと報われたのではないかと思う。

【教え子たちとの再会】

 筆者が最後に小嶺監督に会ったのは、今年の9月22日だ。日体大FIELDS横浜がAC長野パルセイロ・レディースと対戦した試合を観に来ていた小嶺監督と、スタンドで短い挨拶を交わした。

 メモを取りながらピッチを見つめる眼光の鋭さは変わらなかったが、教え子たちに向ける眼差しは、以前よりもさらに優しく感じた。

 11月10日の全国高等学校サッカー選手権大会長崎県大会決勝では、コーチとしてベンチ入りしていたと聞いた。結果は2-1で敗れ、惜しくも全国まであと一歩届かなかったが、対戦相手の長崎総合科学大学附属高校を率いていたのは小嶺監督の親戚で、かつて国見高校を6回の日本一に導いた小嶺忠敏監督だった。

 国見高校としては9年ぶりの選手権県大会決勝だったという。その舞台で、母校でもある国見高校の全国の舞台への復活を懸けて恩師と真剣勝負を交えることができ、幸せだったのではないかと思う。

 小嶺監督、本当にお疲れ様でした。

 

 謹んで故人のご冥福をお祈りいたします。