森友問題「赤木ファイル」開示 妻が会見(全文1)安倍氏も麻生氏も夫を切り捨てた
学校法人「森友学園」への国有地売却をめぐる財務省の決裁文書改ざん問題で、自殺した近畿財務局職員、赤木俊夫さんの妻・雅子さんが24日午前、外国特派員協会(東京都千代田区)で記者会見を行った。 【動画】森友改ざん問題「赤木ファイル」開示 妻が記者会見(2021年6月24日) ※【**** 00:35:30】などと記した部分は、判別できなかった箇所ですので、ご了承ください。タイムレコードは「森友改ざん問題「赤木ファイル」開示 妻が記者会見(2021年6月24日)」に対応しております。 ◇ ◇
優しくいつも笑っているような明るい人
司会:赤木さん、最初にじゃあスピーチのほうを。それで通訳が入りますので、切りのいいところでちょっと適宜、通訳を入れていただいて、お願いします。(英語) 赤木:はい。皆さん、今日は集まっていただいてありがとうございます。私が赤木雅子です。夫は2018年3月7日に私が職場から自宅に帰ったときに、このオーディオコードで首をつって亡くなっていました。私がこのコードを切って夫を助けましたが、もう命がなくなっていました。 じゃあ、読ませていただきます。私の夫である赤木俊夫は、優しくいつも笑っているような明るい人でした。自らの考えと信念を持ち、誠実でなんでも真面目に努力する人でした。夫は多趣味で、書道、落語、音楽鑑賞、美術鑑賞、そして安藤忠雄が設計した建築物を鑑賞することが大好きでした。また夫は近畿財務局で働いていて、国家公務員としての仕事に誇りを持っていました。友人らに対して、僕の契約相手は国民ですと話していたそうです。そんな愛する夫が決裁文書を改ざんしたことを悔やみ、自ら人生の終止符を打ちました。2018年3月7日のことです。亡くなったとき夫は54歳でした。
上司に決裁文書の改ざんを指示された
私たちの平和な生活が突き崩されたのは、亡くなるおよそ1年前の2017年2月26日のことでした。この日は日曜日で、私と夫は神戸市内の梅林公園に梅を見に行きました。そのとき夫は上司に呼び出され、森友学園への国有地払い下げに関する決裁文書の改ざんを指示されました。夫は改ざんの指示に対して抵抗したそうです。しかし上司の指示に従わざるを得ず、また部下に改ざんをさせないためにも自ら改ざんを行いました。夫が決裁文書の改ざんに受けた心の痛みはどれだけのものだったでしょうか。国家公務員としての誇りを失ったでしょうし、強い自責の念に襲われたと思います。 改ざんを行ったあと、夫の体調はどんどん悪くなり、うつ病と診断されて休職になりました。私はなんとか夫を元気づけようとしましたが、夫は私に対して小さな震えた声で、検察が、警察が僕を狙っている、死にたいと言うようになりました。そして夫が亡くなった日の朝、夫は私にありがとうと言ってくれました。最後の夫の顔は絶望に満ちあふれ、泣いているように見えました。 夫の死後に分かったことですが、夫は遺書や手記を残していました。夫の遺書にはこの事実を知り抵抗したとはいえ、関わった者としての責任をどう取るか、ずっと考えてきました。事実を公的な場所でしっかりと説明することができません。今の健康状態と体力ではこの方法を取るしかありませんでした。55歳の春を迎えることができないはかなさと怖さなどと書かれていました。夫は改ざんしたことの責任を感じ、もがき苦しんでいたのだと思います。 私は夫の死後、夫の職場で何があったのか、夫が何をさせられたのか知りたいと思うようになりました。しかし国は私の思いを裏切り続けてきました。財務省は2018年6月4日に調査報告書を発表しました。しかしこの調査報告書の中には誰のどのような指示に基づいて夫が改ざんを行ったのか記されていません。夫が死に追い詰められたことすら記載されていません。 私は夫の死後が公務災害になると考え、公務災害の認定を請求し、2019年2月7日に公務災害と認められました。そこで夫の死が公務災害となった理由を知るため、人事院に対し情報開示請求をしました。しかし2019年11月19日に開示された70ページの文書はほとんどが黒塗りで、私の知りたいことは何一つ分かりませんでした。