2024年「選挙イヤー」――偽・誤情報はどこまで影響を及ぼしたのか? 香港大学・鍛治本正人教授に聞く
2024年は世界的な「選挙イヤー(※)」と呼ばれた1年でした。1月の台湾総統選挙を皮切りに、韓国とインドでの総選挙や欧州議会選挙が行われた一方、11月にはアメリカ大統領選挙も実施されました。日本では衆議院議員総選挙や東京都知事選、兵庫県知事選など注目度の高い選挙が行われ、SNS上における情報の真偽が大きく問われました。アジア地域のメディア研究に携わりながら、香港でファクトチェック団体を設立した、香港大学ジャーナリズム・メディア研究センター教授の鍛治本正人さんに選挙イヤーにおける偽・誤情報の影響などを聞きました。(取材・文:Yahoo!ニュース)
※1月台湾総統選挙、2月インドネシア大統領選挙、3月ロシア大統領選挙、4月韓国総選挙、4~6月インド総選挙、6月メキシコ大統領選挙、6月EU欧州議会選挙、10月衆議院選挙、11月アメリカ大統領選挙など、各国で大型選挙が行われた1年をこう呼んでいる
「チープフェイク」が多かった
――2024年は世界情勢に大きな影響を与える選挙が各国で行われました。「偽・誤情報」はどの程度影響があったのでしょうか。
確かに2024年は「選挙イヤーだ」と話題でした。結論からいうと、劇的な変化はありませんでした。年初の段階で注目を集めていたものに、動画や音声などを人為的に合成する「ディープフェイク」があります。当初はこの影響が懸念されていましたが、実際には従来型の「チープフェイク」が圧倒的に多かったというのが、研究者の共通した見解です。
――従来型の「チープフェイク」とは何ですか?
文字や写真を加工、編集することですね。実際にしていない発言を作り出したり、存在しえない画像を捏造(ねつぞう)したりすることを指します。AIなどは使わなくとも、既存の加工技術を使って作り出す偽・誤情報が「チープフェイク」にあたります。主に選挙や候補者に関するものが多く、政党や候補者がターゲットになっていました。自分が書いた記事を「大手メディアが言っている」と主張する事例もありました。
世界的な流れとしては、「ポピュリズム」(大衆迎合的な政治思想・運動)の台頭があり、これと連動している印象がありますね。政治家や政党がどういった政策・実績で選挙に臨んでいるかということよりも、キャラクターや発言の面白さで票を集めようとする流れがあります。こういった傾向がチープフェイクの量産を後押ししていた傾向はあると思いますし、実際にわたしも多く見ました。
政治家の発言を捏造、高まる音声リスク
――AIの進展は日進月歩です。今後、「チープフェイク」に代わって「ディープフェイク」が台頭する可能性はないのでしょうか。
その点で挙げるとすれば、「音声」に関するフェイクです。数としてはまだ少ないですが、今後懸念する必要があります。政治家本人が言ってない発言を生成AIで作り、それをメッセージアプリで流す。映像に比べて、音声はファクトチェックしにくい特徴があります。
具体例を挙げるなら、2024年の民主党によるアメリカ大統領選の予備選でバイデン大統領の「なりすまし音声」を使った事件がありました。いわゆる「ロボコール(詐欺電話)」ですが、この手法はオンライン詐欺の分野でも世界的に使われています。コンピューターがかけるので、短時間で何百回、何千回も偽音声を使った自動電話がかけられます。
写真:ロイター/アフロ
――一方、各国のメディアでは対策も進んでいるかと思います。その点はどのように見ていますか?
アメリカのような国の選挙の場合、大統領候補の発言や情報にはファクトチェックがたくさん入ります。候補者同士のテレビ討論では瞬時にファクトチェックが入り、結果が画面に表示もされます。そういった規模感ですから、偽音声を作っても「そんなことは言ってない」と証明がなされます。
ところが、地方や州レベルの選挙になるとそうはいきません。アメリカの大統領選よりもスケールは極端に小さくなるのでファクトチェックの手数が減ります。ファクトやデータも減ってくるので、検証がなされないままというケースも多いと思われます。今後懸念する必要があるでしょうね。
「選挙広告」に偽・誤情報が混じっている
――各国の状況別にうかがいます。先生はどのように見ていますか。
興味深かったのはEU。6月の欧州議会選挙でのことです。ハンガリーのファクトチェック団体「LAKMUSZ」が国内の研究機関などと合同で、与党連合「フィデス・ハンガリー市民同盟」を含め各政党がどれだけ選挙戦にSNS上でお金を使っているかを調査しました(注1)。その結果、与党連合とその支援団体がインターネット・SNSに使った広告費は、日本円で約8億5400万円でした。野党15党は、全部合わせて約2億2000万円ほどです。
また、LAKMUSZがそれらの広告の中身を検証したところ、実に511もの選挙広告に少なくとも一つ以上の虚偽、あるいはミスリーディングな情報が混じっているという結果が出ました(注2)。Facebookを運営しているMeta社は、基本的な立ち位置として選挙広告についてはファクトチェックさせないんですね(注3)。選挙広告に関しては改めて問う必要があると感じましたし、こうした状況は他の国でも見られます。
――選挙広告に偽・誤情報が含まれている。信じがたい状況ですね。
ハンガリーのような国は選挙などの分野でデジタル化の進展が早かった一方、日本は良くも悪くもデジタル化が遅れています。その点でまだ救われている部分が大きいかもしれません。偽・誤情報が社会に甚大な影響を与えていないことは、デジタル化が遅かったことに加えて、従来型のメディアに一定の強さ・信頼度があるのも大きいと見ています。
国際的な議論、対策は
――2025年、トランプ政権が発足します。ファクトチェックにどう影響すると思いますか。
今後、ヨーロッパとアメリカは、180度対照的な対策をするかもしれません。ヨーロッパでは「EFCSN(欧州ファクトチェック規範ネットワーク)」というファクトチェックのより厳格な標準化などを目指す業界団体が昨年設立されました。EUが後押しする形で、民間メディアのファクトチェックを推進しています。
アメリカのトランプ次期政権は、全く逆になると言われています。「FCC(連邦通信委員会)」の次期委員長のブレンダン・カー氏は「ファクトチェック団体は検閲カルテルの一部だ」「大手メディアを訴える」などの発言をし、言論の自由を守るのに「メディアはいらない」と言っているようです。アメリカのファクトチェック団体やメディア関係者からは今後の心配をする声が上がっており、ニュースメディアの信頼性をジャーナリスト視点で評価する「NewsGuard(ニュースガード)」などはカー氏に対して公開書簡(注4)を出しました。偽・誤情報の対策は、さまざまな国が取り組んで成功と失敗を繰り返し、お互いに情報共有をしていく必要があります。大国のアメリカとヨーロッパの温度差が開いていくようであると、世界の情報環境全体に対する懸念にもつながってきます。
写真:アフロ
偽・誤情報はごく一部の有権者に響く
――偽・誤情報という存在は、極端な思想・人物を信奉する人々にとって、信じたいものを補強するための「材料」になってしまっているのでは。「ことの真偽は二の次」であるという空気に危機感を覚えます。
信じたいものを信じるのは、人間として自然な行為ですよね。それを改めようと思ってもなかなか難しい。いまはインターネットの普及によってそういった人間の行動が可視化される。スピードと拡散力が全然違うので、分断化した社会でそれをやられると双方の歩み寄りができない。怖いと思います。
それぞれのレイヤーでリテラシーを高めるしかない
――弊社でも朝日新聞社と共同で「ニュース健診2024」という、クイズ形式でメディアリテラシーを学べるコンテンツを作りました。
そういう活動は大事です。偽・誤情報に対しては、個人、コミュニティーレベルの対策、規制による政府の対策などそれぞれのレイヤーでやれることがあります。
プラットフォームがどんなに気をつけても、悪意のあるコンテンツってなくならない。「なくならないのが前提」とした対策を立てる必要があります。公共性を考えた上でどういうやり方があるのか、新しいビジネスモデルの模索をしてみるのも面白いのではないでしょうか。
――健全な情報とビジネスが両立することが大事なのですね。
英語だと「information integrity」といいます。あえて日本語に訳すと、「自由で調和の取れた情報空間」です。自由であることが前提で、誰かが嘘つくのも自由だけど、こっちがファクトチェックするのも自由ですよね。嘘をつきまくった人物がいたら、コミュニティーがフォローするのをやめよう。この人の言説をシェアして、自分も嘘つき呼ばわりされるからやめるなど。自由な空間でありながら調和の取れたコミュニティーが広がっていくのが理想の世界だと思うんですよね。
写真:Taiwan Fact-check Center/Yuan-Bin Zhao
■鍛治本 正人(かじもと・まさと)さん
香港大学ジャーナリズム・メディア研究センター教授。社会学博士。2001年にCNN記者として香港に移住し、2010年より現職。専門はアジアにおける虚偽情報の生態系研究やファクトチェック実践、ニュースリテラシー教育など。2019年にアジア地域の報道の自由、メディア関連法案などを念頭に置いた教育NPO「ANNIE」を設立。大学では国際ファクトチェックネットワーク(IFCN)加盟団体「アニー・ラボ(Annie Lab)」を主導している。2024年4月よりIFCNの諮問委員も務めている。
<出典元>
(注1)「Elections 2024」
(注2)「Fidesz & Co. flooded social media with anti-Western hostile disinformation in Hungary’s election campaign, reaching EU spending records」(PDF)
(注3)Why Everyone Is Angry at Facebook Over Its Political Ads Policy(リンク先で登録が必要です)
(注4)「NewsGuard Statement November 18, 2024 Attributable to Gordon Crovitz, NewsGuard Co-CEO and Former Publisher of The Wall Street Journal」(PDF)
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