「後輩に道を譲りたい」野口飛行士がJAXA退職会見(全文1)
宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙飛行士・野口聡一さんは25日午後、都内で記者会見を行った。同氏は6月1日をもってJAXAからの退職を発表している。 【動画】宇宙飛行士・野口聡一さんが会見 6月にJAXA退職へ(2022年5月25日) ※【**** 00:35:30】などと記した部分は、判別できなかった箇所ですので、ご了承ください。タイムレコードは「宇宙飛行士・野口聡一さんが会見 6月にJAXA退職へ(2022年5月25日)」に対応しております。 ◇ ◇
パイオニアとして挑戦し続けた功労者
司会:それでは定刻になりましたので、野口聡一宇宙飛行士の記者会見を始めます。本日の司会を務めます、私、JAXA広報部長の佐々木薫と申します。どうぞよろしくお願いいたします。本日は皆さま、お忙しい中お集まりいただきまして、どうもありがとうございます。早速本日の登壇者に入室いただきます。 男性:僕が先で? 出て、前そっちいってね。ああ、なるほど。了解です。 司会:JAXA宇宙飛行士の野口聡一、続きましてJAXA理事、有人宇宙技術部門長の佐々木宏です。どうぞ、着席いただければ。初めに佐々木理事、続きまして野口飛行士からご報告をさせていただき、続きまして会場の皆さまからご質問をお受けしたいと思います。それでは佐々木理事、よろしくお願いいたします。 佐々木:皆さま、本日はお忙しい中、お集まりいただきましてありがとうございます。JAXA理事、有人宇宙技術部門長の佐々木でございます。ご案内のとおり、このたび野口宇宙飛行士は6月1日付けでJAXAを退職することになりました。その前に私が一言、あいさつを述べさせていただきます。 野口宇宙飛行士は1996年、宇宙飛行士候補生として選定されまして、その年にJAXAの前身であります宇宙開発事業団に入社しました。そのあと、3回の宇宙飛行をやりまして、JAXAの有人宇宙活動のキーパーソンとして活躍しておられました。 一昨年、クルードラゴンという米国の有人宇宙船の国際パートナーとして最初に登場するといったことが記憶に新しいんですけれども、2005年の1回目も、コロンビア事故のあと、最初のスペースシャトルフライトで搭乗する。そして2009年2回目、日本人で初めてソユーズ宇宙船の船長補佐として搭乗する。そういった非常に難しいフライトに挑戦して、そしてミッションを成功に導いてきました。 このように、パイオニアとして挑戦をし続けて、JAXAの有人宇宙活動を牽引した功労者として、とても素晴らしいものだったというふうに私も思っております。そして、新しい挑戦に対しては、われわれも応援していきたいというふうに思っていますし、JAXAに限らず、日本、そして世界の宇宙開発に大いに貢献してもらいたいというふうに思っている次第です。 最後になりますが、これまでのミッションに関してご協力、それからご支援を賜りました国内外の関係者の皆さま、そして国民の皆さまに対して、あらためて御礼を申し上げたいと思います。ありがとうございました。 本日は、野口宇宙飛行士本人から皆さまにごあいさつをさせていただく場を設けさせていただきました。どうぞよろしくお願いいたします。私からは以上です。