建築の地震対策から考える安全保障論 「柔よく剛を制す」のススメ
政府がこのほど閣議決定した「骨太の方針」に、「防衛力を5年以内に抜本的に強化する」と明記されました。ロシアのウクライナ侵攻をきっかけに、日本でも「力による一方的な現状変更」に対する危機感が強まっているといえそうです。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、「戦争ということに関して議論が硬直化し、右から左、左から右へと大きく振れる傾向がある」と指摘します。そうならないために、建築の「地震対策」がヒントになるのではないか、といいます。若山氏が独自の視点で論じます。
戦争対策より地震対策が発達した国
ウクライナ戦争によって、軍事的な強国が周囲の国を不当に侵略する脅威が現実的なものとなった。これまでは使えない兵器として、何となく考えようとしなかった核兵器についても、そしてその核の傘についても、再検討が必要な状況である。 日本政府は、憲法を改正し、軍事費を大幅に増額し、反撃能力(これまで敵基地攻撃能力と呼ばれていた)を整備することを検討している。「台湾有事は日本有事」という人も増えている。ついこのあいだまで「絶対に戦争はしない」ことを国是としていたのが嘘のようだ。 どうもこの国は、戦争ということに関して議論が硬直化し、右から左、左から右へと大きく振れる傾向がある。クラウゼビッツの「戦争は政治の延長」という柔軟な戦争観が大陸のようには根づいていないのではないか。 そこで少し視点を変えて、国家の「戦争対策」と建築の「地震対策」を対照的に考えてみたい。突拍子もないようだが、国家も建築も一種の構造物であり、巨大な外力に対して国民の生命と生活を守るという点では似たところがあるのだ。 海に囲まれた日本は、対外戦争の経験が少なく、それに対する思考と技術が成熟していない。一方でこの列島は、他国に比べてきわめて地震が多く、それに対する学問と技術が積み重なり、現在ではかなりの水準に達している。いわば「戦争オンチ地震プロ」で、こんな国はほかにない。 政治的思想的なバイアスが混入しやすい国家の安全保障と比較して、純粋な技術の問題として取り組んできた耐震構造学の知見から、何らかのヒントがえられるのではないかという気がする。