ロシアのウクライナ侵攻で再び浮かび上がった「西側」の文化的本質(中) 「東の自然学から西の自然科学へ」
ロシアによるウクライナ侵攻が続いています。これに対して、「西側」と呼ばれる欧米諸国は、武器供与などでウクライナを支援しています。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、「われわれは西と東の対立は終結したという世界観の変更を迫られている」と指摘します。ここにきて再び浮かび上がってきた「西側」という概念とその文化的本質について、若山氏が独自の視点で3回にわたって論じます。今回は第2回目です。 ロシアのウクライナ侵攻で再び浮かび上がった「西側」の文化的本質(上) 「東からのまなざし」
ペテルブルグという街の「開明」とロシアの「大地」
少し前に朝日新聞が、ロシアの知識人による「プーチンはウクライナばかりではなく、ロシアをも殺したのです」という言葉を紹介していた。 僕は、ドストエフスキーの小説『罪と罰』の中で、金貸しの老婆を殺して罪の意識にさいなまれる主人公のラスコーリニコフが「僕は自分を殺したんだ」と告白する場面を思い起こした。この小説には、ペテルブルグ(現在はサンクトペテルブルクだが呼び慣れた呼称を使う)をさまよう主人公の目で、街と建築が実によく描かれており、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』(ニューヨーク彷徨)と、漱石の『三四郎』(東京彷徨)とともに、都市彷徨小説の金字塔であると考えている。 そのペテルブルグを、ラスコーリニコフの気持ちになって一週間ほど歩きまわったことがあるのだが、この都市はバルト海に面して「西側」に近く、内陸に位置するモスクワの暗い印象とは対照的な明るさがある。ロシアを近代化させたピョートル大帝(ピョートル1世、明治維新を一人でやったような人物)がつくった都市で、女帝エカチェリーナ2世(ヴォルテールらと交流があり、文学者でもあった啓蒙君主)が育てたところもあり、この二人(帝政ロシアで「大帝」と呼ばれるのはこの二人だけである)の開明的な能力が結晶したような、いわば「開かれた街」だ。逆にその開明的で西欧的なところがロシア全体からは批判される面もあるらしい。 プーチン大統領はこのペテルブルグ出身である。ピョートル大帝を尊敬しているというが、今回のウクライナ侵攻は、およそ「開明的」とはいえない行為である。皮肉なものだ。 さて、ラスコーリニコフの告白を受けたヒロインの娼婦ソーニャは「あなたが穢した大地に接吻なさい!」と叫ぶ。ドストエフスキーの小説にはロシア正教の影響が色濃いのだが、その根底に「大地」への崇敬があることを感じる。トルストイにもパステルナークにも感じる。カトリックのゴシック建築が「天」に向かう印象を与えるのとは対照的だ。「カトリックは天に向かい、プロテスタントは人に向かい、ロシア正教は地に向かう」といえようか。今回のウクライナ侵攻にも、プーチンとロシアがもつ「大地」への固執があるように思える。