建築の地震対策から考える安全保障論 「柔よく剛を制す」のススメ
まず危険と対策を認識すること
「火事と喧嘩は江戸の花」とは、皮肉と諦念が混在した自慢であるが、人口130万に達したとされる(内藤昌『江戸と江戸城』参照)大都市であった江戸が、すべて木造で火事が絶えなかったというのは、日本文化のきわめて特徴的な点である。他国に比べて煉瓦造が発達しなかった(建築に適した樹木が豊富であったこと、夏の湿気に通風をとるため窓を大きく開ける必要があったこと、地震が多かったことなどによる)からであるが、近代以後も関東大震災(地震動のあとの火災によって多くの命が失われた)に至るまで、大東京の木造密集状態を放置したことは政治家と建築技術者の責任でもある。危険の認識が乏しかったことと、それに対する有効な対策が認識できなかったのだ。 そしてちょうどその関東大震災のころから、ヨーロッパに鉄筋コンクリートという技術が現れ、これが地震にも火事にも強いことが証明された。日本の建築基準法は、都市部の建築を耐震化し耐火化することからはじまったのだ。空襲で街が焼かれたのは、それが都市の一般住宅に行きわたるだけの時間と資金がなかったからである。 これを戦争に当てはめて考えれば、まず侵略の脅威という危険を認識すること、そしてその対策に何があるのかを認識することが重要だ。敗戦後の絶対平和主義はそのどちらも放棄していた。今、急速にその危険と対策の認識が叫ばれているが、対策を冷静に検討することが可能なら(実はこれが難しい)、苦い薬と同様、これは悪いことではない。
立地と地盤の問題は周辺国との協調
東日本大震災において、津波で多くの生命が失われたのは痛ましいことであったが、実はしっかりと設計された(たとえば1981年の新耐震設計基準の施行以後の)建築は、地震の揺れによる直接の被害がきわめて少なかった。日本の建築はかなり地震の揺れに強くなっている。とはいえこれは僕個人の認識で、本格的な耐震構造の専門家は「地震動の実態はそれぞれ異なり、まだまだ分からないことだらけ」という人が多い。 津波は建築というよりむしろその立地の問題であり、ゲリラ豪雨などによる水害や土砂崩れの問題も同様である。つまり建築の安全の半分ほどは、立地と地盤の問題なのだ。安全な場所を選ぶのが最良であるが、それができない場合は、杭打ち、地盤改良、津波や土石流に流されない建築(東日本大震災でも、熱海土石流でも規模の大きい鉄筋コンクリート造の建築はかなり耐えている)などの手段がある。 これを国家の安全保障に置き換えるなら、まず日本という国の地政学的状況をよく認識することである。しかしどんなに危険でも日本の位置を変えることはできない。つまり脅威を認識したら、地盤改良のように、長期的外交によって周辺国及び国際社会との関係を良好に保つことが重要だ。今の日本がこの対策を十分にできているとは思えない。傑出した政治力で「鉄血宰相」と呼ばれたドイツのビスマルクは、国の内部に力を蓄えながらも、多重の国際条約によってヨーロッパの均衡と平和を保っていた。