ロシアのウクライナ侵攻で再び浮かび上がった「西側」の文化的本質(下)・「方向」と「直線」と「円心」
ロシアによるウクライナ侵攻が続いています。これに対して、「西側」と呼ばれる欧米諸国は、武器供与などでウクライナを支援しています。 ロシアのウクライナ侵攻で再び浮かび上がった「西側」の文化的本質(中) 「東の自然学から西の自然科学へ」 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、「われわれは西と東の対立は終結したという世界観の変更を迫られている」と指摘します。ここにきて再び浮かび上がってきた「西側」という概念とその文化的本質について、若山氏が独自の視点で3回にわたって論じます。今回は第3回目です。
地理的幾何学と文化の性格
ロシアとは「方向」である。 イスラム世界とは「直線」である。 中国とは「円心」である。 何のことかと思われるだろうが、この「地理的な幾何学」が、その文化の性格を表しているように思えるのだ。 冷戦以後、アメリカを中心とするG7などいわゆる「西側」に対抗する力は、宗教的なテロの脅威としてのイスラム過激派から、経済力を背景とする中国へと移りつつあるという時代認識があった。しかし今回のウクライナ侵攻は、そこに軍事力を誇るロシアがカムバックしたという印象である。前回、前々回と2回にわたり、「西側」の文化的本質についてロシアを中心とする東側との歴史的確執を基本に論じてきたが、ここでは「西側」に対峙するものとして、イスラム世界と中国を加え、その風土と文化を比較的に論じてみたい。 冷戦の時代、この三者はいわゆる「東側」すなわち資本主義に対立する思想(社会主義あるいはそれに近い)勢力として扱われてきたのだが、ソビエトに代わるロシアはすでに社会主義ではなく、イスラム教は宗教を否定するマルクス主義に合わず、中国もまた現実としては資本主義化している。今この三者に共通するのは、東側でも社会主義でもなく「反西側」なのだ。そしてそこに地理的な「方向・直線・円心」が認められ、それが「西側」に対する文化的性格を成している。
ユーラシアの帯
世界の建築様式は基本的に、風土に応じた素朴な住居の様式(=風土様式)と、複雑化した宗教建築の様式(=宗教様式)と、いわゆるモダニズムの様式(=近代様式)がある。風土様式はその地域の根底の文化を、宗教様式はその地域の基幹の文化を、近代様式はその地域の表層の文化状況を表している。 歴史をかえりみれば、たとえばキリスト教様式の文化が、イスラム教様式の文化と葛藤をつづけてきたように「宗教様式」すなわち「基幹文化」が互いに葛藤をつづけながら、共存し、影響し、発展し、時には戦ってきた。現在の戦争も、基本的にはこの「基幹文化」の違いによって現象するように思える。「方向・直線・円心」というのは、その宗教様式と基幹文化の地理的分布の幾何学である。 16世紀以前、高度に発達した宗教様式は、ユーラシア大陸の西から東への細い帯状の地域に集中していた。そしてこの帯状の地域が古代から現在までつづく文明の地域であり、僕はこの帯を「ユーラシアの帯」と呼んでいる。 16世紀以後、この帯における最西の宗教様式とその文化が世界に広がった。それは前回書いたように、古代地中海(ギリシャ・ローマ)からビザンチン・イスラム世界を経て近代西欧へと発達した、アルファベットと石造建築様式と自然科学を基本とする文化であり、さらに19世紀以後の工業資本主義の拡大によって世界文明ともいうべきものとなっている。「西側」とは、その「近代西欧」から「現代世界」への発展を基本とする国家群であり、人類の文明のメインストリームといってもいい。 ロシアは、このメインストリームである「西側」に対抗する東の「方向」でありつづけた。西側の人間は、ロシアの東側の境界をほとんど意識していない。ナポレオンも、ヒトラーも、チャーチルも、ロシアを境界に囲まれたひとつのかたまりとしてではなく「東の方」として認識し、ほとんど無限の奥地があるように考えていた。 またピョートル大帝も、エカチェリーナ女帝も、ロシアを西側との関係においてのみとらえていた。要するにロシアは、作用反作用のように、メインストリームとしての西側に対峙する力学がその文化的アイデンティティとなっているのだ。