ロシアのウクライナ侵攻で浮かび上がる「国際的なSNS市民層」の存在 新たな市民層は世界をどう動かすのか?
ロシアによるウクライナ侵攻開始から1カ月以上が経過しました。テレビやインターネットで毎日のように流れる戦火のウクライナの人々の映像を見て、心を痛めている人も多いのではないでしょうか。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、「映像は言語の違いを乗り越え、強い共感を生みながら広がる」と指摘し、そんな中で「新たな市民層」の存在が浮かび上がってきたといいます。若山氏が独自の視点から論じます。
日本の受け止め方は西欧と同じか
戦争だ。気が滅入る。 このところ新聞もテレビもロシア軍によるウクライナ侵攻のニュースでもちきり。北京パラリンピックも、オミクロン株も、東日本大震災11周年も、3月16日の地震もあったのだが、ウクライナからの迫力ある映像の前に押されがちであった。 議論百出であるが、この戦争が身近なものと感じられる理由はなんだろう。これまでのチェチェン、グルジア(現ジョージア)、クリミアなどの紛争はロシアとその近傍の問題としてやや遠目で眺めていた。旧ユーゴスラビアの紛争も、さまざまな中東の紛争も同様であった。だが今回は違う。 理由の一つは、ウクライナが西側と東側の接点にあるからだろう。ベルリンの壁崩壊以来「東側」という言葉はほぼ死滅しているが「西側」という言葉は生きており、狭義においては軍事的にNATO(北大西洋条約機構)を、広義においてはG7を中心として「民主、自由、市場」という価値観を共有する国々を指すと考えていい。 そして今回の日本政府の対応とマスコミの報道と国民の反応から、日本が完全にその西側の一員として思考し行動していることが明らかになったように思う。中国はもちろん、インドも東南アジア諸国も、日本(及び韓国)のような反応を示してはいない。もちろん日本(と韓国)にはアメリカとの軍事同盟があるからだが、それだけではない。福沢諭吉の「脱亜入欧」ではないが、最近の日本は再び、明治時代とはまた異なる意味において、すなわち文明より文化の意味で、西欧に近づこうとしている。 しかしここで取り上げたいのは、SNSを中心とするインターネットでのコミュニケーションの問題である。それがひとつの国際的な市民層を形成しつつあるという実感であり、またそれが現実の政府と世論を動かし、世界を動かしつつあるという事実である。そしてそのことが、この戦争を身近に感じるもう一つの要因でもあるのだ。