建築の地震対策から考える安全保障論 「柔よく剛を制す」のススメ
柔構造による安全保障
戦後、日本の建築は地震に強くなってきたが、旧来の方式は、柱や梁を強くして地震力に対抗して踏ん張るという「剛構造」の考え方であった。しかしこれは高さに限界がある。高層(超高層)建築には、これとは異なる「柔構造」の概念が必要であった。すなわち地震で建物が揺れても壊れなければいい。むしろ構造物の揺れでエネルギーを吸収するという考え方で、コンピューターによる動解析(構造モデルに過去の地震波を入力して応答を解析する)によって可能となった。これには鉄骨構造が向いているが、最近のタワーマンションなど、鉄筋コンクリート構造でも可能で、どちらも地震動を制御するという考え方になっている。柔構造でも揺れすぎてはいけないということだ。 今の日本の安全保障論は、単純な剛構造止まりではないか。 ここに柔構造の考え方を入れるなら、まず外交交渉に柔軟性がなくてはならない。満州事変も、盧溝橋事件も、松岡洋右の国際連盟脱退宣言も、「ハルノート」におけるアメリカの強硬さに対する真珠湾攻撃も、いかにも剛構造で、柔構造の考え方がなかったように思う。国家というものは、特に拡大傾向にある大国に近い国は、状況によっては屈辱的な外交も、事実上の敗北を是認する早期講和も必要な場合がある。大陸の国家はそういった辛酸を嘗める歴史をさんざん経験してきたが、島国である日本はそういう経験がほとんどない。 たとえばナポレオンの侵攻に対して、ロシアはモスクワを明け渡して時をまった。第二次世界大戦で中国には、日本に負けつづけアメリカの参戦をまって攻勢に転じるという戦略(胡適による「日本切腹、中国介錯論」)があった。しかしこれはロシアや中国のように広大な国土をもつ国だからこその戦略であって、日本には難しいところもある。 戦国時代の豊臣秀吉や徳川家康は、常に和睦を視野に入れながら合戦したが、これは「犠牲の多い勝利よりも有利な和睦こそ本当の勝利」という考えで、主戦派の家臣を抑えきる力量があるからでもある。いわば彼らは戦争指導のプロであった。柔軟な戦略には、指導者に対する尊敬と信頼が必要であるが、現在の日本にそういった指導者と国民性を期待できるかどうか。 少し前から、免震構造、制震構造といった、構造物そのものを地震力から逃す技術が注目されてきている。地震国ならではの洗練された技術で、一時ブームになったが、実施されてまだ日が浅く、問題を指摘する専門家もいる。考え方としては柔構造の延長という見方もあるが、こういった技術も国家の安全保障にヒントとなるかもしれない。「柔よく剛を制す」ということだ。