「大化の改新」「明治維新」に次ぐ日本史上3度目の「文明開化」とは? 頑固な年寄りの抵抗に負けずにマイナンバーを進めるべき理由
敗北を抱きしめる覚悟
「大化の改新」「明治維新」という日本史上における二つの文明開化と同程度の変革となれば、これは「革命」である。 まず敗北を抱きしめる覚悟が必要だろう。これまでも白村江の戦い、列強の黒船に対する戦い、そして太平洋戦争と、日本の文明転換は、敗北の認識からはじまっている。 そして旧い制度を捨てる覚悟が必要だ。マイナンバーはその手始めではないか。徹底させれば、保険証以外にもさまざまな便利が生まれるだろう。多種類の保障や、課税、免税、補助金、還付金など、日本の社会制度は複雑化しすぎている。デジタルによる一本化のメリットは大きいだろう。プライバシーが心配というデメリットもあったが、このネット社会では、すでに別の方面(GAFAなどの私企業あるいは海外からのハッカーやサイバー攻撃)から、個人のプライバシーが大きく揺らいでいる。デジタル社会とプライバシーの問題は総合的に考えるべきだ。 さらに現在は、地球環境の問題がまったなしだ。僕は前にこの欄で、人口爆発と同様、19世紀以来の気候変動を「気候爆発」と書いたが、グテーレス国連事務総長は「地球温暖化ではなく地球沸騰の時代だ」といった。爆発とか沸騰という言葉は、地球物理学的な時間感覚でいえば決して誇張ではない。 つまりこの国は今、二つの大変革を同時に行わなければならないのだが、だからこそ一つの変革で二つの効果をあげるメリットも考えられる。行政制度も学校教育も、ゼロベースから組み立て直すべきだろう。 とはいえ、アナログ文化を捨てる必要はない。僕は日本文化を「精妙文化」と呼んでいるが、それはアナログにおいて「味」を発揮する。デジタル化が進めば進むほどその「味」の価値が出る。今の外国人観光客はそこに注目している。社会制度はデジタル化し、文化的感性はアナログを磨くのだ。 希望的な見方ではあるが、現在はデジタル文明の変革期で、アメリカや中国のような、多少乱暴でも力のある国が強い。しかしデジタル文明にも成熟期が来る。それがいつかは分からないが、そういう時代には、工業時代の成熟期にそうであったように、日本の精妙文化が強みを発揮する可能性がある。この戦いは、腰を落として、戦略を練り、果断にそして粘り強く戦うべきだ。 もう一度いおう。人は過去のやり方に固執する。改革には必ず抵抗がある。年寄りは頑固だ。若手が権力をもたなければ改革は進まない。 官僚や会社員に定年があるのに政治家にないのは不思議な気がするが、激務とされる総理大臣に定年(就任時65歳程度、退任時75歳程度か)を設けその権限を強くすれば、改革は一挙に進むだろう。他の大臣はむしろその方面の専門知識を問うべきだ。高齢政治家は、引退しろとはいわないまでも、表舞台から身を引いて、ご意見番に徹すべきであろう。緊急事態、政局に明け暮れる派閥の領袖などは百害あって一利なし。