司馬遼太郎・生誕100周年 「シバスコープ」はプーチン登場とウクライナ戦争を予言していた? そのロシア観を考える
今年9月1日は関東大震災から100年ということで、関連の報道が多く見られました。同じ年の8月に生まれた昭和を代表する国民的作家に、『坂の上の雲』や『竜馬がゆく』など数々の名作で知られる司馬遼太郎がいます。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、テレビ局の企画で司馬と対談した経験があるようで、「そのものの見方を信頼している」と語ります。そんな司馬氏のロシア観について、若山氏が独自の視点で語ります。
司馬さんと出会う
司馬さんが生きていたら現在のウクライナ戦争にどうコメントするだろう、と考えることがある。今年8月は、昭和という時代の国民的作家、司馬遼太郎の生誕100周年に当たる月であった。 大正12(1923)年に生まれ平成8(1996)年に亡くなったこの作家は、まさに昭和という時代、良くも悪くも日本が妙に(軍事的な意味でも経済的な意味でも)元気だった時代を生き、その時代の視点で日本の歴史を小説化した作家である。 実は僕はこの人にちょっとした縁がある。もうれつな残暑がつづいたこの生誕100周年に、その縁を振り返りながら、このところ世界を騒がせているロシアについて、司馬さんのスコープ(視野)をとおして考えてみた。 30代半ば、東京の設計事務所から名古屋の大学に助教授として赴任してすぐに、テレビ愛知の長谷川という若い記者が訪ねてきた。僕の処女作『建築へ向かう旅―積み上げる文化と組み立てる文化』(1981年冬樹社刊)を読んで感動したという。そして当時の愛知県が巨額の予算を投じて建設する芸術文化センターについて何かコメントしてくれという。僕がテレビカメラの前でしゃべったのはそれが初めてであったかもしれない。 そのときの話し方が気に入ったらしく、長谷川くんは、僕と誰かの都市と建築に関する対談で開局3周年記念番組を企画したいという。当時きわめて有名だった愛知県出身の建築家・黒川紀章さん、ちょうど有名になりはじめたころの安藤忠雄さんなどの名があがったが、僕はむかし読んだ『空海の風景』(司馬遼太郎著1975年中公文庫刊)が一種の都市論、すなわち長安という国際都市の碁盤目状の道路とその背景にある思想が日本に大きな影響をあたえ、その縮小コピーのような平城京(奈良)をうみ、中国から導入された文字とともに、古代日本を文明化する基礎となったという考え方であることに注目していたので、ダメもとで「司馬遼太郎がいい」といってみた。 長谷川くんは局をつうじて交渉し、初めは断られた。 しかし無遠慮は、意欲ある若者の特権である。僕は自分の著書を送り、長谷川くんは熱意を込めた手紙を送ったところ「出ましょう」という返事が返ってきた。司馬さんの出演が決まって、その企画は他の企画を押しのけて開局3周年記念番組に決定した。国民的大作家と駆け出し建築家との対談で1時間の特別番組だ。気負いはあったが荷が重いという感覚はなかった。『竜馬がゆく』を書いた司馬さんは意欲ある若者が好きなのだろうと考えた。