「大化の改新」「明治維新」に次ぐ日本史上3度目の「文明開化」とは? 頑固な年寄りの抵抗に負けずにマイナンバーを進めるべき理由
3度目は「電子」
当初(20世紀末)、情報産業において日本は少し出遅れても、得意の技術力でカバーできると考えていた。大型コンピューターでも、パソコンでも、やがてはNECや東芝や日立や富士通やパナソニックが、業界の巨人IBMを凌駕するだろうと、多くの日本人が考えていた。 しかし現実はそう簡単ではなかった。機器はともかく、パソコンを動かすOSの汎用性では、マイクロソフト社のウィンドウズの軍門にくだらざるをえず、また製品でも、アップルという格別な創造力とデザイン力をもつ企業を超えることができなかった。日本の大企業の優秀な技術者たちは、IBMはともかく、アメリカの若者たちがガレージから立ち上げた、いわゆるベンチャー企業に勝てなかったのだ。 これは日本人が、情報産業というものを電機産業の延長程度に考えていたからである。「情報の電子化=デジタル化」という現象は、単なる工業技術ではなく、言語や、文字や、デザインや、芸術や、法律や、経済という、人間社会のコミュニケーション文化全般にかかわるものであったのだ。さらに、インターネットが普及して、日本とアメリカの差は決定的なものとなった。日本のネット産業として大きくなったソフトバンクや楽天もGAFAのような世界企業にはなれなかったのだ。 「こんなはずではなかった」。僕らの世代の技術者は誰もがそう思っている。 まず言語と文字の壁がある。言語コミュニケーションの国際性においては英語圏が圧倒的に強く、次にアルファベット圏が強い。人数が多く統制の強い中国が強い。数学と英語にたけたインドが強い。こういったコミュニケーションの国際ルールにおいて、歴史的に世界と隔てられていた島国の文化が勝てるはずもなかったのだ。 「下剋上」は戦国時代だけの話ではない、世の常である。日本はかつて「上」を剋する「下」であったが、今は「下」に剋される「上」である。もう一度「下」にまわるべきだ。相撲だって、下から押さなければ勝てやしない。