「世界」と「科学」を意識した? 「近代世界システム」を生きた織田信長
戦国の世を駆け抜け、天下統一まであと一歩というところまで近づいたところで、家臣の明智光秀の謀反によって倒れた織田信長。既成概念にとらわれない新しい発想を持ったリーダーとして、いまなお幅広い層に人気があります。 大河『麒麟がくる』の文化論 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、織田信長について「この時代の日本で唯一『世界』と『科学』を意識した近代人」と指摘します。若山氏が独自の「文化力学」的な視点から論じます。
織田信長とルイス・フロイス
織田信長という人物の解釈は日本史理解の要ではないか。残虐な殲滅主義、苛烈な能力主義、進取の技術主義。人によって評価が分かれるが、その解釈が、世界と日本の歴史観に直結するような気がするのだ。 前回のNHK大河ドラマ『麒麟がくる』は、明智光秀を主人公としたため、信長、秀吉の描き方がこれまでの単純な英雄視とは違ったリアリティ(悪の匂い)を感じさせた。しかしそのために彼らの魅力が失われたわけではない。むしろドラマにおいて光秀や家康より人間としての興味をそそられた。 少し前にこの欄で、細川藤孝を桂離宮の文学的設計者とし、織田信長を時代唯一の近代人としたが、今回は、これまであまり注目されなかった信長の思想的近代性に焦点を当ててみたい。
フロイスが見た信長
信長については長いあいだ『信長公記』が第一の資料史料とされていたが、近年、イエズス会の宣教師ルイス・フロイスの記録が一般的な日本語の書物として刊行されて読みやすくなった。そして僕は、その建築に関する記述が、当の日本人では書けないほど的確で客観的であることから、このフロイスの記録に大きな信頼を置いている。 フロイスと信長の会見は18回にも及び、信長の人間像を詳細に伝えている。「(信長は)極度に戦を好み、軍事的修練にいそしみ、名誉心に富み、正義において厳格であった。……彼の睡眠時間は短く早朝に起床した。……酒を飲まず、食を節し、人の取扱いにはきわめて率直で、自らの見解に尊大であった。……彼は日本のすべての王侯(大名の意味)を軽蔑し、下僚に対するように肩の上から彼らに話をした。……彼は戦運が己に背いても心気高闊、忍耐強かった。彼は善き理性と明晰な判断力を有し、神および仏の一切の礼拝、尊崇、ならびにあらゆる異教徒的(キリスト教以外の宗教の意味)占卜や迷信的慣習の軽蔑者であった」(『完訳フロイス日本史』全12巻・松田毅一、川崎桃太訳・中公文庫) ここから浮かび上がるのは、信長がまさに「戦いの男」だったことである。戦いに勝つためにすべての精力と勢力を注入し、邪魔なものは容赦なく排除する。それが時には比叡山や本願寺などの非戦闘員に対する残虐、古くからの家臣に対する非情、そして宗教、朝廷、将軍など、伝統権威に対する侮蔑として現れる。 逆に、役に立つ者には厚遇を惜しまなかった。宣教師たちが布教許可の代償として金の延べ棒を差し出したが受け取らず、手厚い庇護を示す証文を書き与えている。また羽柴秀吉や明智光秀など新参者も実力に応じて重要な立場を与えている。信長の人間性の第一は、この極端なほどの「能力主義」である。