歴史は「物語の文化」と「契約の文化」との葛藤(上)
「『物語の文化』と『契約の文化』という対比が、人類にとって普遍的な意味をもつ」 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、「『ペルシャ」を敵にすべきではない――ホルムズ海峡の文化地政学」(「THE PAGE」2019年8月24日配信)の記事でこう述べました。そして、さらに今回、「世の中には『物語脳』の人と『契約脳』の人がいるように思われる」と語ります。 いったいどういうことなのでしょうか? 若山氏が独自の「文化力学」的な視点から論じます。
「物語脳」と「契約脳」
何かと物語的な人がいるものだ。自分の人生も、他人の人生も、世の中のことも、物語的にとらえ物語的に語ろうとする。つまりロマンティックな、夢見がちな、ファンタジックな性格の人で、小説家、音楽家、美術家など芸術家に多い。小さな火種からモウモウとした煙の立ち上がる記事を書く週刊誌の記者もそうかもしれない。 一方、すべて契約的にとらえる人がいる。人間と人間の関係は契約であり、世の中のさまざまな問題は法律で処理されるべきだと主張する。官僚はその典型だ。もちろん弁護士、検事、裁判官などの法律家もそうで、大企業の経営者とサラリーマンもその傾向がある。 世の中には「物語脳」の人と「契約脳」の人がいるように思われる。 どうしてこんなことを考えたのか。少し前にペルシャ湾の有志連合について書いた記事で触れたが、エジプト文明とメソポタミア文明を比較して「物語の文化」と「契約の文化」という概念に至ったからである。そして人間の歴史は、物語的な文化と契約的な文化との葛藤でつづられているように思えたのだ。 秋の夜長、しばし古代オリエントへとおつきあいいただきたい。文字文明の夜明けである。
最初の建築家
エジプトのルクソールに「ハトシェプスト女王の葬祭殿」という建築がある。僕はこれを人類最初の「美しい建築」だと考えている。 巨大な断崖を背にして、細長く水平に伸びた三層のテラスがあり、その中心から垂直に突き出したスロープを登れば、両翼に端整なリズムを刻む列柱が展開する。ルクソールの他の大神殿と比べると装飾はかなり抑えられている。ある意味でモダンなデザインなのだ。そしてこの建築には「物語」がある。 エジプト史上初の女王となったハトシェプストは、男装して政務を執り、息子の家庭教師であったセンムトという人物を寵愛し、宰相に据えた。建築家でもあった彼は、世にも美しい建築をもってその愛に応えたのだ。それまでは、巨大であることに意義のあったエジプト建築に、美しいという概念を付与したのである。その意味でセンムトは、人類史上「最初の建築家」であったというのが僕の考えだ。 設計事務所時代の最後の仕事で、エジプトへの援助案件のプロポーザル作成のためにカイロに行き、ルクソールまで足を伸ばしたことがある。6月、太陽はほぼ天頂にあり、熱砂の中の神殿や王墓を観て歩けば、その建築、彫刻、絵画、文字が、渾然一体となって、古代社会がパノラマのように現前する。映像と音響による現代のバーチャル・リアリティを彷彿とさせる。人類にはエジプトという記憶がある。そう思わされた。「エジプトはナイルの賜物」(ヘロドトスの言葉・主としてナイルの氾濫による農耕を指す)といわれるが、古代エジプト人はそれを石の書物という未来人への賜物に変えてくれたのだ。 そこに伝えられる内容は、神々と王とその妃たちの関係、書記や職人などの仕事ぶり、農業、漁業、建築、機織りなどである。神話と生活が一体となっているのだ。戦争の記録はほとんどない。エジプトの賜物は「物語的な記憶」である。