大河『麒麟がくる』の文化論 「桂離宮の文学的設計者・細川藤孝」と「時代唯一の近代人・織田信長」
戦国武将・織田信長に謀反を起こした明智光秀。その生涯を中心に描いたNHKの大河ドラマ『麒麟がくる』がまもなく最終回となります。さまざまな戦国の英傑たちが登場しましたが、建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、その中でも細川藤孝という武将に思い入れがあるようです。若山氏が独自の視点から論じます。
主殺しの大河ドラマ・「忠義」から「人道」へ
NHKの大河ドラマが大詰めを迎えている。今回の主人公・明智光秀は主殺しであり、いわば謀反人だ。「忠義」を大きな道徳的価値とする日本でどのように扱われるのだろうという興味があった。ドラマの進行の中で、次第に光秀の人道主義的な優しさと、織田信長の目的主義的な苛烈さが描かれ、羽柴秀吉のずる賢さも目立つようになって、なるほどそういう設定かと考えた。NHKはこれまで信長や秀吉を英雄視したこととの矛盾を気にしていないようだ。 いずれにしろ大河ドラマは、日本人の平均的価値観を形成する力をもつ。そう考えればこの番組には、旧い価値観たる「忠義」から新しい価値観たる「人道」への転換、という目的が隠されているともいえる。逆にドラマが時代を反映するとすれば、すでに日本人の価値観が変化しているのかもしれない。 そしてもうひとつ興味深いのは、細川藤孝という武将がよく登場することである。 細川家はもともと足利将軍家に仕えていたが、藤孝は、光秀を通じ信長の助力を得て足利義昭を入京させ、義昭と信長が対立すると義昭を裏切って信長側につく。藤孝と光秀には盟友ともいうべき関係が生じ、光秀の娘珠 (たま)は藤孝の息子に嫁ぐ。ところが本能寺の変を起こした光秀と中国地方から取って返した秀吉が対峙した(山崎の合戦)とき、光秀が援助をあてにしていた藤孝は動かず、光秀は敗走して殺される。珠は謀反人の娘として幽閉され、キリスト教に入信してガラシャ夫人となり、関ヶ原の戦いに絡んで悲劇の最後を遂げる。結局藤孝は、足利将軍家から信長へ、そして光秀から秀吉へ、さらに徳川家康へと、常に裏切りを重ねるように動き、光秀とは対照的に今日にまで続く細川家の祖となっている。そう考えると、いかにも世渡りに長けた狡猾な人物のようだが、僕はこの藤孝にある種の思い入れがある。 戦国乱世の趨勢が決まる際の「要(かなめ)の武将」であったが、実は同時に、日本文化の趨勢が決まる際の「要(かなめ)の文化人」でもあったのだ。やや専門的になるが、この機会に、僕の専門である建築文化の視点から、特に桂離宮の成立過程に関する考察から、藤孝の行動と信長や光秀との関係を解釈してみたい。