「世界」と「科学」を意識した? 「近代世界システム」を生きた織田信長
「世界システム」と信長
イマニュエル・ウォーラーステインは、16世紀以来、経済における「世界システム」が成立していたという理論を展開し、この世紀を特別視している。確かにこの世紀、大陸をまたぐ「世界」という概念が成立して銀を媒介とする貿易で結ばれ、ヨーロッパが書物の時代となり宗教改革が進行し科学革命が緒についたのだ。 信長が重視した鉄砲の火薬は硝石を必要とする。日本ではほとんど採れない。それはこの経済的「世界システム」によってもたらされるものであった。彼はこの時代の日本で唯一「世界」と「科学」を意識した人間ではなかったか。 その意識は、日本とその周辺の世界しか目に入らず、陰陽道的な自然理解しかもたない他の日本人の中で、信長に巨大な孤独を感じさせたであろう。その孤独感からくる焦燥が、家臣に対する扱いに影響し、光秀の謀反にもつながったのではないか。 日本の近代は明治維新以降というのが一般的だが、近年の西洋史では「世界」という概念が成立した16世紀を近代の序章と考えるようで、その「世界」と「科学」に触れた織田信長をこの時代唯一の近代人としてもおかしくはないであろう。 とはいえ、信長の残虐な殲滅主義、苛烈な能力主義、進取の技術主義が、そのまま賛美されるべきものというわけではない。当たり前のことだが、「近代=正義」ではないのだ。