気候変動という「新しい風土」 人類はこれからどう生きればよいのか
5)編成式 草を編んで(藁や葉や蔦など柔らかい植物を総称して草とする)つくる様式。アフリカ、アジア、アメリカの赤道近く、風土的には湿潤暑熱の熱帯雨林(ジャングル)に共通して分布する。豊饒な自然(生命)に編み込まれた文化である。人間も動物も圧倒的な植物的生命力の中に置かれている。「文明」から取り残される傾向にあったが、最近はもろもろの薬の候補物質の探索地として注目される。 6)皮膜式 皮やフェルトによるテント様式。中央アジアの草原、中近東の砂漠、北欧のラップランド、北米の草原などに分布する。狩猟や遊牧や隊商など、移動性の文化である。特にユーラシアの西と東を結ぶ広域の文化交流に大きな役割を果たした。
以上、研究成果の概要を簡略に記した。興味のある方はこれに関する著書を参照していただきたいが、ここでいいたいのは、人類の営みは長いあいだ、風土に即したものであったということである。これが激変するのは18~19世紀の産業革命と資本主義以後、すなわちつい最近だということである。そして人類はこの激変の副作用を乗り越える必要があり、それが必ずしも不可能ではないのではないか、という微かな希望である。
中国とインドの発展
温暖化ガスによる気候変動がこれだけ注目されるようになったのは、中国とインドという二つの人口大国の経済発展によるところが大きいと思われるが、これについても体験的に書いてみたい。 大学に赴任するころ(40年ほど前)、日本建築学会の調査団の一員として中国の風土的住居を調査した。西安周辺の地下住居ヤオトン、新疆ウイグル自治区のテント住居(パオ)などで、中国建築学会の計らいで特別に未解放区にも入れてもらえた。今はどんどん少なくなっているが、当時はそういった風土的な住居に億単位の人口が住んでいたのだ。伝統的に、中国沿岸部は焼成煉瓦造が多いが、内陸部はほとんどが、版築という生土造か日干し煉瓦造であった。 学会の交流が行われた北京では、朝晩自転車の行列。まだ自動車が普及していなかった。今では高級ブランド店が並ぶワンフーチンは、日本の戦後闇市の仮店舗街のようなものだったが人は多かった。まさに近代的発展の緒についた時期で、調査団を手配した旅行庁の担当者は「200年後には必ず日本に追いつく」といった。中国人らしい気の長い話だと思ったが、現実にははるかに短期間であった。僕は、あれだけの数の風土的住居が近代化され、焼成煉瓦や鉄筋コンクリートの家に変われば、膨大なCO2が発生し、地球環境がもたないだろうと考え、その後の著書にもそのように書いてきた。 インドの建築を見に行ったのは比較的近年のことだが、スラムに当たるような猥雑な街の粗末な日干し煉瓦の住宅にも、クーラーが設置され、住人がスマホを持っているのは衝撃であった。心地よい涼しさと溢れる情報は、一度味わったらやめられないのだろう。この電力需要が膨大なCO2を生むことは確実である。人口と暑熱が与える地球への負荷において「南」の発展は「北」の発展の比ではない。 また農村地帯を旅すると、あちこちに煉瓦を焼く煙突が目に入る。それぞれに薪を焚いて煉瓦をつくるのは工業というより農業の段階で、効率が悪く、大量のCO2を排出するうえに、樹木伐採による森林後退が生じる。現在、多くの途上国でこの現象が起きている。