今、直面している過激化した振り子とは? 日中国交正常化50周年に考える
今から50年前の1972年9月29日。当時の田中角栄首相と中国の周恩来首相が日中共同声明に署名し、日本と中国の国交が正常化しました。しかし、現在の両国の関係は、必ずしも良好と言えない状況です。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、中国と日本の関係を「国民感情のエネルギー論(物理現象)として考察してみたらどうだろう」と提案します。若山氏が日本と中国の今後について、独自の視点で語ります。
個人も国民も過激化する
人間の心は時に過激化する。自分もそうだからよく分かるのだが、周囲に当たり散らしたり、何か大きな失敗をして後悔する。かと思うと、さしたる事件もなく、過激化した心が何となく収まってしまうこともある。 社会の心も同じではないか。社会思潮(時代思潮)あるいは国民感情というものは個人の心と同様に動きが激しく、過激化すると短期的には暴動になったり炎上(言語上の暴動)したりする。長期化すると内乱になったり革命になったり戦争になったりする。しかし不思議に収まってしまうこともある。むしろその方が多い。一見独裁的に見える政治指導者の選択も、間接的にはこういった社会思潮や国民感情の動きを反映しているものだ。 僕はこれを物理学のエネルギー現象に似ていると感じる。ポテンシャル(潜在あるいは位置)エネルギーが高まると、何かをキッカケにして動的エネルギーとなって顕在化する。質量の大きいものが動き出すとそのエネルギーも大きいので、簡単には止められない。時には他のものと衝突(クラッシュ)して破壊を生じる。その場合、破壊エネルギーに転じる分、運動エネルギーは減少する。またそもそも地球上の物体は重力を受けており、空気抵抗もあるので、内部のエネルギー供給がなく外力を受けなければ、運動エネルギーは次第に減少する。つまりピークアウトする時がくる。 社会現象であっても、こういったことは物理学のもっとも重要な法則のひとつ「エネルギー保存の法則」に従うような気がするのだ。現在日本人は、遠くにはロシアによるウクライナ戦争の過激化をITによって目の当たりにしているが、近くには中国による台湾海峡をめぐる軍事的緊張の過激化に直面している。日中国交正常化50周年に当たって、この緊張を、社会思潮あるいは国民感情のエネルギー論(物理現象)として考察してみたらどうだろう。