建築から分かる日本と中国の近代化の違いとは? 「建築モダニズム」と「社会モダニズム」
中国が世界第2位の経済大国となって10年以上がたちます。そして、今年8月には文部科学省科学技術・学術政策研究所(NISTEP)の調査で、研究者による引用回数が上位1%に入る「トップ論文」の数で中国がアメリカを抜いて世界1位となったことが分かりました。ちなみに、日本は10位で過去最低となっています。 建築家で、文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋氏は、このような中国の経済や科学技術の発達などについて「自由、民主、人権、法のもとでの平等などと並行現象であるかのように考えていたが、最近の中国の行状を見ていると、ことはそう簡単ではなさそうだ」といいます。若山氏が日本と中国の近代化について、建築の近代化という独自の視点で語ります。
肉体の近代化と心の近代化
僕は建築からその社会の文化を考えることを続けてきた。ここでは風土的歴史的なものではなく、現代の建築から、日本と中国の社会の違いを考えてみたい。 ここ数十年のあいだ、中国は急速な成長をつづけ、日本を抜いて世界第2位の経済大国となり、軍事力でも拡大をつづけ、アメリカをはじめ西側諸国はこれを強く警戒している。また科学技術においても、評価の高い学術誌に掲載される論文の数、引用される数、特許の数など、すでに中国は世界トップ水準である。 経済、軍事、科学技術、これらは社会の肉体的な力を表すものといっていいのではないか。では社会の心の部分はどうであろう。自由、人権、格差などの点で中国社会が西側先進国並みになったという人はほとんどいない。その点は明らかに日本と異なっている。こういった違いはどこからくるのか。 これまで僕は、一つの国における経済と科学技術の発達は、自由、民主、人権、法のもとでの平等などと並行現象であるかのように考えていた。肉体と心の一体、それが「近代化」というものだという認識である。同じように考えていた人も多いと思う。もちろん時には過激なリーダーと集団が出現し、国民がそれに引きずられて、社会全体がおかしな方向に動くこともあるが、それは急速な近代化につきものの「反動現象」であり、長くはつづかず、いずれは民主化されて自由と人権が重視される社会になるというふうに、楽観的に考えていた。 しかし最近の中国やロシアなどの行状を見ていると、ことはそう簡単ではなさそうだ。この点についてわれわれは歴史観の訂正を迫られているのかもしれない。 同じ東アジアの国、同じ漢字文化圏の国でありながら、実は日本と中国の近代化(中国では現代化という)には根本的な違いがあったのではないか。その違いが、僕の専門である建築の近代化に表れているように思われる。 一見同じように見えても、建築の様相はどこかでその社会の心を映しているものだ。