形見ベルサーチで「野村克也氏をしのぶ会」に参列した日ハム新庄監督はノムさんから何を学び何を誓ったか…二刀流挑戦の真相
「『おまえが監督になったか。でも、逆に面白い、ワシの考えプラス、おまえの宇宙人的な考えがミックスされたら、もしかしたら面白いチームになるんじゃないか』と言ってくれると思う」 そう野村氏に思いを馳せた。 直接の教えを請うたのは2年間だけだったが、感謝の思いは尽きない。 「憎らしいほど、おまえは可愛い」と言われた言葉が今でも心に残る。 「2年目に4番で起用してくれた。野村さんに『おまえ、何番を打たせたら気合を入れてくれるんだ?』と(聞かれ)『そりゃ、4番でしょう』と言った。そしたら次の日からずっとシーズンが終わるまで4番。あの4番がないと、メジャーにもスカウトされていない。本当に感謝です」 2000年の開幕戦から4番に抜擢された新庄は、途中、広澤克実氏、故・大豊泰昭氏、タラスコに4番を譲ったが、6月6日に再び4番に戻ると、以降、シーズン最終戦に1番を打つまで全試合で4番を任されている。 「野村氏はどんな存在だったか」と聞かれ「プロ野球のお父さん」と例えた新庄は、「ほとんど野球の指導は受けていなくて人間的に成長しなさいということを僕も野村さんに若造ながら教えたつもりだし、ノムさんにも教えられた」と続けた。 「僕も教えた」がいかにも新庄らしい話だったが、こんな思い出話を披露した。 「噂ではミーティングの時間が1時間半から2時間くらいやるとヤクルトの選手から聞いて、それは長いな、キャンプ中の1時間半は眠くなると思って」 新庄はキャンプ初日に野村氏の部屋のドアをノックしたという。 「初めまして新庄です。お願いがあります」と頭を下げ、こんな要求を出した。 「人間の集中力というのは学校の授業と同じで45分なんです。だからミーティング時間を45分でお願いします」 すると、野村氏は、「確かにな。わかった。じゃあ5分延ばして50分にしていいか」と、その要望を聞き入れたという。 ノムラミーティングに対する“モノ言い“はまだあった。 同じ話が3回ほど繰り返されることもあり、「3回はちょっと言い過ぎです。今度同じことを2回言ったら止めますんで」と、恐れ多くも実際に指摘したことがあったという。 「ぺーぺーの若造の言うことを聞いてくれる素晴らしさには感謝しかない。(野村氏が)納得のいく僕の話術も素晴らしいんじゃないか(笑)」