日ハム新庄監督の約45分間の就任会見全文「試合中にインスタライブできれば最高」
北海道日本ハムファイターズ新監督の新庄剛志氏(49)が4日、札幌市内で就任会見を行った。注目の第一声は「選手兼監督で契約してもらった」というジョークで「優勝は目指さない」「試合中にインスタライブができれば最高」「監督ではなくビッグボスと呼んで」などというサプライズ発言が相次いだ。背番号は「1」となり1年契約であることも新庄新監督が自ら明かした。新庄氏は阪神から大リーグのメッツ、ジャイアンツを経て2004年から3年間、日ハムでプレー、昨年はプロ野球トライアウトに挑戦して話題を集めていた。 以下は、就任会見の全文。
昨年球団から届いた一通のメールを勝手に解釈
新監督はワインレッドのド派手なスーツに真白なシャツの襟を立てて、まるでロックスターのようなファッションで登場した。 冒頭の挨拶で、「今日は集まってもらいありがとうございます。1946年、今から75年前、横沢(三郎)監督が第1代目、そこから21人目の栗山監督、その次に22代目の監督として選ばれたことは非常に嬉しく、また選手兼監督という形で契約を結んでもらいました」とジョークを飛ばした。 同席した川村球団社長が「いえいえ。監督だけです」と訂正すると、「今日はビシっと監督ぽい恰好で来ました。これからは顔を変えずにチームを変えていきたいと思います。以上です」と、自らの整形話を持ち出して面白おかしく抱負を口にした。 ――北海道にお帰りなさい! 「ただいま。はい。帰ってきました」 ――今の心境は? 「正直、自分が一番びっくりしています。僕でいいのかなと、の思いの反面、僕しかいないなと。日本ハムも変えていきますし、プロ野球を変えていきたいなという気持ちで帰ってきました」 ――監督のオファーはいつ?その時どう感じたか? 「2年前に僕が48歳でトライアウトを受けるという発言をして、1年間、海外でトレーニングをしました。トライアウト前に日本ハムの球団の方から、『新庄さん、お元気ですか、トライアウト頑張って下さい。いつかまた会える日を楽しみにしています』という1通のメールがきたんです。よしよし、選手に戻れる、そのオファーだなと思いトライアウトを受けました。6日間しか待たない、(オファーが)なければ、もう野球を辞める(と決めていて)、5日目が経ち、6日目が経ち(オファーが)来ない。あら?おかしいじゃないか? そこで選手では復帰できなかったが、あの1通のメールは、必ず何かあると自分で勝手に信じて、1年間、12球団、2軍の選手のプレーを一生懸命、自分で勝手に勉強して。こういう姿というものは、必ず誰かが見てくれていると自分を信じて10月12日になんと僕が描いていたこの監督の話をいただいて。もう自分がやってきたことは間違いではなかった。本当にやってきてよかったという気持ちでした」 ――球団からのオファーはどういう内容だったのか? 「なんでしたっけ?(と隣にいる川村社長に質問)」 「まずは勝利を届けていただきたい、ファンサービスを通じてファンに喜びを届けていただきたいと申し上げました」と川村社長が説明。 「優勝なんか一切目指しません。優勝という高い目標を持ちすぎると選手はうまくいかないと僕は思っているんですよ。1日、1日、地味な練習を積み重ねてシーズンを迎えて、なにげない試合、なにげない1日を過ごして勝ちました。勝った、勝った、勝った、勝った…それで9月あたりに優勝争いをしていたら、さあ優勝を目指そう。そこで気合の入り方が違うと思う。そういうチームにしたい。優勝なんかは目指しません」 ――監督を受けるかどうかを誰かに相談は? 「相談をするタイプじゃないんで。僕の人生に相談する人なんかいません。相談するのは自分自身。自分で決めました」 ――そこまでの時間は? 「1秒。お願いします、やります!すぐですわ。当然でしょう。それを目指してやってきたんですから」 ――一番の決め手は? 「監督になりたい。バリで生活をしていて、日本ハムの調子があがっていない3年間(連続で5位)を見たとき、オレの出番だろうという気持ちで過ごしていました」 ――監督とはどういう存在か? 「イメージ的には堅い、まじめな顔をして腕を組んでやっているイメージなんですが、これからは監督像というものを変えてい、き、ま、す。はい」 ――思い描く監督像は? 「1年目だからどういう風になるかわからないですが、やっていくうちに僕がやることに対して全国のみんなが監督像を作ってくれると思うのでそれに期待をしたい」