大谷翔平“頭の良さ”に栗山監督が感嘆した瞬間 「先輩に呑みに誘われた時の“衝撃”の断り文句」
11月22日、MLBは今シーズンのMVPを発表。ナ・リーグでは大谷翔平が満票で2年連続3回目の受賞を果たした。3回目の受賞は長いMLBの歴史でも11人目で歴代2位タイ。両リーグでのMVP受賞も史上2人目となる。 【写真を見る】「奇跡の一枚!」 大谷とハイタッチを交わすデコピン 6年間所属していたロサンゼルス・エンゼルスからFA移籍し、ロサンゼルス・ドジャースへ移籍した今季の大谷。投手としては、昨年の右肘手術のリハビリに専念し、登板機会はなかったが、打者としてはMLBでも初めての記録となる「50-50」(54本塁打、59盗塁)をマーク。本塁打王と打点王の二冠に輝いた。チームを牽引し、ワールドシリーズ制覇に大きく貢献した。 紛れもなく、2024年の大谷は、「世界一の野球選手」へと飛躍を遂げた一年だった。7年前、日本を出た時にここまでの存在になることを予言した向きはどれほどいたことだろうか。 しかし、である。 今、このインタビューを読み返すと、この方だけはそれを予感していたようにも思えるのだ。大谷がプロ入りして5年間を過ごした北海道日本ハムファイターズの栗山英樹監督(当時)。大谷がMLB移籍を決めた2017年オフ、栗山監督は「週刊新潮」のインタビューに応じ、大谷の日ハム入団、メジャー移籍の経緯、そして彼の努力の凄まじさを存分に語っている。そして、何とワールドシリーズ制覇についても言及しているのだ。 以下、時計の針を7年前のエンゼルス入団時に巻き戻し、世界一の選手となった大谷翔平の原点を、最も間近で見ていた人の証言で蘇らせてみよう。 (「週刊新潮」2018年1月4・11日号掲載記事を一部編集しました。文中の年齢、役職、年代表記等は当時のものです)【前後編の前編】 ***
チームが決まった時には、翔平は、現地からすぐに報告をくれましたよ。「エンゼルスに決めました!」って。 いろんな選択肢の中で、エンゼルスが一番誠意ある内容だったということだと思います。だから、翔平も「やりきった」という感じでね。ホントにスッキリした様子の声でした。それを聞いて、私も心の底から良かったな、と思いました。 〈そう語る、栗山監督。手塩にかけた大谷翔平は、日本での5年間で多くの実績を残した。「二刀流」に挑み、投手として最多勝などのタイトルを複数獲得、打者としても二桁本塁打を2シーズンマーク。二桁勝利と二桁本塁打を同一シーズンにマークしたのは、日本初、メジャーを含めてもベーブ・ルース以来である。渡米する大谷への評価や期待はこれまでの日本人選手の中でも最高と言って良い。〉 チーム名を挙げてではありませんが、球団選びについては、交渉の前にアドバイスはしました。「二刀流をやるのなら、チームの環境、状況を見て、やりやすいところかどうかを考えろ」「二刀流に球団がどれくらい本気なのかを見極めろ」と。 ですから、翔平はそれについてしっかりと考えたはず。私自身も、チーム状況だけでなく、地理的にも、気候の面でも、エンゼルスは翔平が「やりたいこと」を実現しやすい球団であることは間違いないと思います。 実は、今シーズン後に移籍することは、事実上2016年から決まっていました。 もともと翔平は、「二刀流はチームが勝つため」と言ってきました。16年、翔平の活躍もあってチームは日本一に。以降は、本人が行きたいと思った時が“その時”と思ってきたワケです。 ですから、日本一になった後の11月をはじめに、(17年の)キャンプ、開幕前、オールスター前などのタイミングで全部で6回、本人の意思を確認してきました。札幌ドームの監督室で話しましたが、時間にしていつも10秒くらいでしたよ。「どうなん?」「行きます」。一貫して、気持ちがぶれることはなかったですね。 そりゃチームのことを考えれば、メジャーに行くべきかどうかは言いにくい。 でも、翔平が本気になった時の集中力、力の出し方にはすさまじいものがある。逆に、本人の気持ちとは別に、もう1シーズン日本にいたとしても、結果は残らないタイプの選手ですから、本人が行きたいタイミングで行かせてあげるのが一番だと思ってきました。 そもそも、翔平が入団する時から、僕も球団も日本ハムに来てくれ、とは言ってないんです。メジャーで活躍する最短の道は、まず日本でプレーして技術を身に付け、良い契約をもらってアメリカに行くことだ、と。そのための道筋を作るのが我々の役目だ、と。早い段階でメジャーに送るというのは、その時の約束を守ることでもあったのです。