自民党総裁選というメディアの戦争 「人格なき発言」の時代の民主主義とは?
ニクソンとケネディの時代から
政治の世界で、最初にメディアが注目されたのは、1960年のアメリカ大統領戦におけるニクソンとケネディのテレビ討論会であった。政治プロとしてのニクソンの手練手管を、新参者ケネディのフレッシュな魅力が上回ったのだ。文明評論家のM・マクルーハンはこれを、新聞や雑誌など活字という「ホットなメディア」に対する、テレビ映像という「クールなメディア」の特徴と位置づけた。テレビ時代には活字時代のように熱く語るより、スマートに振る舞うことが重要だというのである。英語の「クール」には「冷たい」というより「カッコいい」という意味が強い。 そして1963年、ケネディ大統領暗殺のニュースは、たまたま日米間初の衛星生中継で日本に伝えられた。高校生だった僕はそのショックを抱えて東京駅に向かった。ちょうど修学旅行の出発日だったのだ。1989年のベルリンの壁崩壊は、東側の社会主義圏に西側の消費生活の華やかさがテレビを通じて伝えられたことが原因とされた。 20世紀末から21世紀初頭にかけては世界にインターネットが普及する時代であった。2011年のアラブの春はインターネットのSNSが大きな役割を果たしたといわれ、最近の香港でもそういわれた。トランプ前アメリカ大統領はツイッターを駆使し、ヒラリー候補はメール問題で攻撃された。インターネットは初め民主化とともに語られたが、最近はむしろ保守化とともに語られる傾向にある。
三人の候補者と「永田町型」「テレビ型」「ネット型」
今回、いわゆる派閥の領袖は総裁となった岸田候補だけで、そのうしろには宏池会という歴史のある派閥がついていた。他の三人の候補者には確たる派閥がついていたわけではないが、背景にはやはり派閥の論理が見え隠れし、特に安倍元総理が力をもつ細田派による高市候補への肩入れと河野候補への警戒が顕著であり、決選投票での岸田票と高市票の合体は選挙の行方を決定的にした。岸田候補はテレビでの印象は今ひとつだったが、永田町プロのあいだでは悪評がほとんどなく、まさに「永田町型」選挙の勝利であったといえよう。 河野候補は、石破氏や小泉進次郎氏とともにアンケート人気が高く、これは国民の感覚に近いといえ、そのままテレビや新聞という一般メディアの影響を表しているともいえよう。僕はテレビ討論でも河野候補に説得力があると感じたが、永田町プロたちの評価が低く、次第に勢いを失った。もともとSNSをよく活用していたが、選挙中はその強みを発揮できなかった。その意味で今回、ケネディとニクソンのときとは逆に「永田町型」の力が「テレビ型」の力を凌いだのである。 高市候補は、安倍元総理の熱心な後押しによって、当初の下馬評をはるかに上まわる票を集めた。そしてネット上のSNSに、高市候補を強く推薦するコメントと、逆に河野候補を批判するコメントが多く掲載された。僕は、選挙中にネット上の発信が河野推しから高市推しにシフトした印象を受けた。安倍―高市ラインの選挙は「ネット型」といってもいいのではないか。 つまり今回注目すべきは、「永田町型」が「テレビ型」を凌ぎ、「ネット型」が「テレビ型」に迫り、「テレビ型」に対して「永田町型」と「ネット型」が連携したという点である。つまり河野候補は、前と後ろのメディアから挟撃されたのである。 そしてその新しいはずのネット特にSNS上のコメントがきわめて保守的な方向なのだ。民主政治における言論に新しい事態が生じている。