冬の到来を目前に、日本各地で新型コロナウイルスの感染「第3波」が広がっている。大都市での感染拡大は顕著で、大阪市もその一つ。市の保健所には、不安を抱える市民からの電話が殺到し、職員は激務に追われている。感染第1波、第2波と対峙するなか、残業時間が1カ月あたり80時間の「過労死ライン」を超える職員も続出した。コロナ禍一色になってしまったこの1年、大阪市保健所では何が起きていたのか。(取材・文、写真:水谷竹秀/Yahoo!ニュース 特集編集部)
大阪市保健所の一室。いまも電話が鳴りやまない。ピーク時には回線がすべてふさがり、対応する派遣職員が話を終えてもまたすぐにかかってくる。本来はPCR検査の受診相談を受けるための窓口だが、用件が異なる電話への対応も迫られる。
「お店の店主がマスクをしてないんですけど、注意してくれませんか?」
「給付金のことで相談なんですが……」
「あの病院の対応は不十分なので何とかしていただきたいのですが」
大阪市保健所が「新型コロナ受診相談センター」を設置したのは2月上旬。24時間稼働で、最初は5回線でスタートしたが、3月に入って間もなく相談件数が急増。10回線に増やした。緊急事態宣言が出された4月以降、さらに増やして全部で25回線に拡大した。
同市保健所感染症対策課の課長代理、藤岡正人さんが実情を説明する。
「相談センターは本来、咳や熱など何らかの症状があり、感染疑いの心配な方が電話をかけるためのものです。ところが、関係のない人からも電話がかかってくる時があり、対応に苦慮しました。『(お店の店主が)マスクしてないから注意しろ』と言われても保健所にできることも限られており、だからといって相談を無下に断るわけにもいかなくて……」
現在、センターが受ける相談件数は24時間に1000件前後で推移しているが、第2波(7〜9月)のピーク時はこの2倍の2000件弱だった。相談センターは3交代制で、電話を受ける看護師の派遣職員はのべ約60人。深夜の相談件数が少ないとしても、ピーク時は1人あたり、1回8時間の勤務時間で30〜40件の電話に対応している計算だ。
藤岡さんは相談窓口を直接担当しているわけではないが、自身の部署にかかってくる電話の中には業務の支障になりかねない問い合わせもあったと、本音を漏らす。
8月上旬、大阪府の吉村洋文知事が、感染防止策にポビドンヨードを配合したうがい薬が有効ではないかと発表した際にも電話が鳴った。
「知事がテレビに出ていてこんなこと言っていたけど、ホンマなんか? と。私も業務中でテレビを観られませんので、内容が分からず、相談者の方に教えてもらいながら対応しました」
かかってきた電話にはできる限り応じた。しかし、相手の話が一向に止まらず、1~2時間の長電話に及ぶのはしばしばだった。
「業務を進めていきたい時に、そういう電話に対応すると、仕事がストップしてしまいます。こんな言い方をするのは申し訳ないのですが、正直、困ります。それで超過勤務が増えてしまいますので」
大阪市保健所の本来の業務は、母子保健医療給付、難病対策、栄養改善、エイズや結核予防などと多岐にわたっており、コロナの感染拡大で5月、「新型コロナウイルス感染症対策グループ」が設置された。人員は医師、保健師ら51人で、9月の体制強化に伴って、さらに51人増員し、グループ全体で102人になった。電話相談はこのグループの業務の一環で、他には濃厚接触者を特定するための疫学調査や陽性者の搬送なども行う。相談件数の増加に伴い、保健所のマンパワーを超えた陽性者が発生したため、相談者への対応もさることながら、疫学調査も円滑に進められなかったという。
「ほぼ全員毎日、土日祝日も関係なく、終電ぐらいまで業務を続けているのですが、それでも終わらないのでやむなく帰る感じですね。時間切れで、タクシーを使わないように帰るという状態がずっと続いていました」
大阪市保健所の職員の残業時間は最大126時間。4月は平均残業時間が73時間に達し、「過労死ライン」を超えた職員は10人以上いた。
検査場に乗り込んでくる市民も
大阪市内には現在、道頓堀を中心とする繁華街ミナミに設置された臨時検査場を含め、PCR検査場が4カ所ある。検査対象外の人の来場による混乱を避けるため、いずれも所在地は非公開だが、相談者に感染の疑いが出ると保健所の職員が相談者と時間を調整し、検査の段取りを組む。
ところが、相談センターの電話回線がふさがってしまうと、受診を希望する相談者が電話をかけてもつながらない状態が続き、ようやく応答できるといきなり苛立ちをぶつけられることもあった。
藤岡さんが語る。
「第1波の時は、検査体制もまだまだ十分ではなく、検査を受けたい人に何日も待っていただくという状況が発生していました。それで相談者の方から『今の体制はどやねん?』とお叱りを受けることもありました」
4月中旬には、保健所が相談を受けてから検査するまで最長10日かかったケースもあり、検査を待つ間に容体が悪化し、入院した患者もいた。第1波のあのころ、陽性者の急増に検査体制が追いついておらず、現場は混乱を極めた。
ただ、現在はそこまで時間を要しない。電話を受けてから当人の調整がつけば翌日の受診が可能で、検査結果も翌日には告知される。
検査を希望するのは何も、体調不良を訴えている者に限らない。新型コロナウイルスに感染してから症状を発症するまでの期間は、平均で5~6日ほどとされ、感染してもすぐには症状が出ないことが多い。無症状でも検査を希望する人は少なくない。そうした人への対応では難しさも感じたと、藤岡さんが振り返る。
「検査対象ではないためご遠慮くださいと伝えているのですが、なかなか納得してくれず、ごり押ししてくる人もいました。何回も電話をかけてきて、何とか検査を受けさせてくれと頼み込む人もいました。断って切っても、またかけてくるという状況が続きました」
エスカレートし、検査場に乗り込む市民まで現れたという。それだけ不安が広がっていたということだ。
「ただし、お断りしました。どこで調べたのか分からないのですが、おそらく受診した方に聞いたのかもしれません。検査場は非公開ですが、受診した人は当然、その場所を知っていますので」
電話不通で患者の自宅に出向く
大阪市が設置した検査場4カ所で行われるPCR検査は、「行政検査」と呼ばれ、無料で受けられる。一方、患者が負担し、民間の医療機関で検査を受けることも可能だ。医療機関によっては、症状の有無に関係なく誰でも受診できる。いずれの方法で検査を受けても陽性と判定された場合、基本的には大阪市24区にある保健福祉センター、つまり「保健所」が、陽性者本人の情報収集、濃厚接触者の特定や感染経路を推定するための疫学調査を実施する。
調査内容は、陽性者の症状や出勤・通学状況、外出先、濃厚接触(1メートル以内の距離で15分間マスクなしで会話するなど)した人の有無など、日常生活の細かい部分にまで及ぶ。ところが陽性者の行動は2週間前までさかのぼるので、正確な調査は難しい場合もある。2週間前のことを記憶している人は決して多くないからだ。
保健所の疫学調査チームの責任者、大畑有紀さんが説明する。
「人によっては過去のことを覚えていない場合もたくさんあります。行動も人それぞれ。たとえば営業職で複数の場所に行く人の場合、確認事項も多くなりますので、調査には1時間半ぐらいかかります。家にいてリモートで仕事をしているような人だったら20〜30分程度で終わります」
「夜の街」で働く人が、店の風評被害を恐れて店名や行動歴を言いたがらないという事情も、調査をより困難にさせている。本人が正直に答えなくても、複数の陽性者の住所が一致したため、ホストが集団生活する場所が判明したケースもあった。
「家族と同じような状況で住んでいるので、本来であれば調査段階から濃厚接触者にあがってくるはずです。ところが接触した人については話していただけなくて。やはりお店のこととかいろいろな考えがはたらいたのだと思います」
調査に強制力はない。証言の信ぴょう性やどこまで協力してくれるかについては人それぞれだ。中には電話そのものがつながらないため、1時間に1回ずつかけ続けてようやく連絡が取れた陽性者もいた。電話料金の未払いで不通になっているため、陽性者の自宅まで出向いた調査も複数回あったという。
「その方は男性で、陽性の告知は一緒に住んでいる女性の携帯を使いましたが、調査段階で本人と連絡が取れなくなりました。ひょっとしたら家の中で倒れているとか、症状が悪化しているのではという心配もあったので家を訪問しました。すると本人が現れたので、公用携帯電話を渡し、市の職員が車の中から電話をかけて調査を行ったことがあります」
深夜の電話もやむを得ず
大阪市では第2波が到来した8月中旬、新規陽性者が100人を超す日が連続した。このころ、疫学調査は深夜にまで及ぶ日もあったと、大畑さんが回想する。
「調査相手のこともありますので、電話をかける時間帯はある程度決めています。ところが検査数が多くなればなるほど、結果が出るのが遅くなる。そこから告知と行動調査に入るので、深夜の10時とか11時ぐらいに電話をせざるを得ない時もありました。時間帯は遅いですが、陽性者の方々も不安なので、調査には協力してくれました」
陽性者1人に対し、濃厚接触者は少なくとも5人はいると言われる。だが、クラスターともなれば、それが30〜40人に広がるのはざらだ。聞き取りを行い、濃厚接触者が特定できると、一人ひとりに毎日電話をかけるか専用アプリへの入力内容をチェックし、症状の有無を確認する。そこで必要があれば検査の案内もする。この電話連絡は1日1回、2週間続けられる。
大阪市の累計陽性者数は11月20日現在、8698人。したがって、市の電話連絡はこの5倍に及ぶとすれば、第1波以降、のべ4万人以上に電話をかけたことになる――。
陽性者に対しては、病状や重症化リスクなどを勘案し、入院、宿泊療養、自宅療養の中から適切な措置を選ぶ。入院と宿泊療養の場合は、専用車で陽性者の自宅近くまで迎えに行き、搬送する。
ここまでの一連の流れが大阪市保健所の大まかなコロナ対策業務だが、保健所のこれまでの対応を踏まえ、大畑さんはこう言うのだった。
「クラスターを出さないためには、やはり迅速な行動調査が求められます。時間も人員も限られている中で、いかにスムーズに調査ができるか。今後は、調査方法も必要最低限に簡略化するなど全体的なスリム化を考える必要があると思います」
いま、第3波がやってきている。大阪府内では11月22日、過去最多の490人の感染者が確認された。年末に向けて気温は下がり換気は難しくなる。有効なワクチンが開発されるまでこの状況は続くのだろうか。大阪市保健所の相談窓口では、今も電話が鳴り続けている。
水谷竹秀(みずたに・たけひで)
ノンフィクションライター。1975年、三重県桑名市生まれ。上智大学外国語学部卒。新聞記者やカメラマンを経てフリーに。現在、東京を拠点に活動する。2011年、『日本を捨てた男たち』(集英社)で開高健ノンフィクション賞を受賞。近著に『だから、居場所が欲しかった。』(集英社)。