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「なぜ大学だけ、“日常”が戻らないのか」――大学1年生の苦悩に大学、教員の答えは 【#コロナとどう暮らす】

2020/09/17(木) 17:27 配信

オリジナル

新型コロナウイルスの影響で前期はほとんどオンライン講義となった大学。小中高校で休校措置が解除されても、大学はオンラインが継続された。大学1年生は今春、入学式がなかったばかりか、リアルな対面授業もなく、友だちさえつくれない。9月からの後期では一部で対面授業が始まっているが、前期の経験から、大学の意義に疑問をもつ声も聞こえてくる。大学1年生、大学学長の出口治明氏、教授を務めるドリアン助川氏に話を聞いた。(ジャーナリスト・秋山千佳/Yahoo!ニュース 特集編集部)

慶應、早稲田、立教の各大学1年生

立命館アジア太平洋大学・出口治明学長

明治学院大学国際学部・助川哲也(ドリアン助川)教授

「大学進学の意味そのものがわからなくなっています」

慶應義塾大学理工学部1年・男子

地元は関西なので、3月末にキャンパスのある横浜市に部屋を借りました。でも、その部屋に入ったのは鍵をもらった当日の一度だけ。あとは家賃を払いながら、関西の実家に戻って暮らしてきました。

慶應義塾大学日吉キャンパス。理工学部などがある(横浜市港北区 撮影:編集部)

オンラインで週に16コマの講義を取っています。そのうち双方向は2コマで、残りはオンデマンド。期限内の好きな時間に見て、レポートなど課題をこなしています。サークルは運動系と文化系に二つ参加しています。オンラインを通じてLINEを交換した人もいます。でも、そこで知り合った人たちを「友人」と言えるかどうか……。

この5カ月は、「大学生活をしているのだろうか」という疑問が頭から離れません。YouTubeなどには、理系の教科で大学の講義より高度でわかりやすいものも存在します。しかも無料です。それらと比較すると、大学の意義って何だろうと考えてしまいます。

意義は大きく分けると「教育」「研究」「交流」になると思いますが、オンラインの「教育」だけで競争すると世界の一流校が一人勝ちしてしまうかもしれません。オンラインを推し進めると、多くの大学の存在意義は薄れるのではないかと思います。

僕の学部では後期は一部で対面講義もあるとのことで、9月半ばから横浜で一人暮らしを始める予定です。今度はちゃんと「大学生活」が送れるといいのですが……。

「オンラインの講義だと、自分が内容をどの程度理解しているのかが不確かなんです。周囲と話して確認できないから。そういうところはデメリットだと思います」(撮影:編集部)

早稲田大学教育学部1年・女子

昨年、関西の大学に半年ほど通ったのですが、早稲田に入る夢を捨てきれず、中退して、今年晴れて入学することができました。ところが、夢だったキャンパスに一度も入れていません。早稲田はサークルの新人歓迎会がすごく楽しいと聞いていたのに、ずっとお預けです。

※写真はイメージです(写真:アフロ)

前期は1日4、5コマ、講義動画を見てレポートなど書いてきました。でも、非常に苦労しました。なぜなら、そのレポートの書き方さえ習ったことがないからです。一人で試行錯誤しながら書いてきましたが、それが正しかったのかもわかりません。

講義動画を見ていると、学びの質自体は低くないのかなと思います。ただ、知識を学ぶことだけを大学に求めていたわけではありません。一番期待していたのは、いろんなところから集まってきた人から刺激を受けることです。でも、こうして行けていない状況では、大学進学という意味そのものが、わからなくなっているというのが正直な感想です。

小中高校では地域によっては5月からリアルな授業を再開しています。なぜ大学でできなかったのか、納得のいく答えを聞いたことがありません。

「小中高校では地域によっては5月からリアルな授業を再開しています。なぜ大学でできなかったのか、納得のいく答えを聞いたことがありません」(撮影:編集部)

立教大学現代心理学部1年・女子

私は週12コマ選択しています。語学では双方向のZoom講義もあります。顔も表示されているので、どんな学生が参加しているのかはだいたいわかります。また、Zoom授業では「ブレイクアウトルーム」という少人数で分割できる機能を使ってディスカッションをすることもあります。

サークルにも入りましたが、それもオンラインで話す程度の活動レベルです。これが大学というものなんでしょうか。勉強という意味では、大学側もオンラインで対応してくれていると思うのです。けれども、こうしたオンラインでの活動は、大学という場では根本的な何かが損なわれている気がします。

※写真はイメージです(写真:Paylessimages/イメージマート)

後期は対面講義を始める大学や学部があるようですが、私が受講する講義は引き続きオンラインだそうです。ちょっとというか、すごく残念ですね。
私は心理学を学ぼうと思い、この大学を選びました。心理と身体の関係など研究している対象に興味を覚えたからです。講義では映像撮影も取り入れた研究をする予定で、通信制の大学ではできないことです。でも、このオンライン体制が続くのであれば、自分は何のためにこの大学に入ったのかわからなくなってくるなと思っています。

「オンラインはもう飽きました。早くちゃんとキャンパスに通いたいです」(撮影:編集部)

──前期、小中高校では学校を再開したのに、なぜ大学ではオンラインだけだったのか。上記の学生の意見をもとに立教大学にその見解を尋ねた。

立教大学総長室広報課

前期、緊急事態宣言(解除)後も首都圏においては感染拡大のおそれがあり、大学では分散登校などもできません。広域にわたる通学時の感染リスクも考慮し、対面授業の実施は難しいと判断しました。

立教大学 池袋キャンパス(写真:アフロ)

諦めよ。現実を受け入れたうえで何をするか考えよう

出口治明・立命館アジア太平洋大学学長

僕が学長を務める立命館アジア太平洋大学(APU)では、新型コロナウイルスが騒がれだした2月時点で、すぐにZoomと契約しました。なぜ急いだのか。APUでは、学生約6千人のうち約3千人が90カ国・地域からの留学生です。春休みは母国に帰っている学生も多いので、新学期に日本に入国できないと、彼らは授業を受講できなくなる。だから、どこにいても受講できるオンライン授業しか選択肢がなかったのです。実際、現時点(9月7日)でも、一時帰国した在学生や今年度の新入生を合わせてまだ1千人以上が入国できずにいます。

出口治明(でぐちはるあき)。立命館アジア太平洋大学(APU)学長。1948年、三重県生まれ。京都大学法学部を卒業後、1972年、日本生命保険相互会社入社。ロンドン現地法人社長、国際業務部長などを経て同社を退職。ライフネット生命を2008年4月に開業し、2012年に東証マザーズ上場。2018年1月より現職。(写真提供:立命館アジア太平洋大学)

次に学生支援の体制を整えるため、関西の立命館大学も含めて立命館学園全体で25億円の予算を組んで対応しました。そしてAPUの学生には上期(前期)で4億円以上の支援を行いました。オンライン講義を十分に受けられるよう、無線LANルーター購入などのため、全学生に一律で3万円を支給し、その他にも個々の困窮度に応じた支援を行いました。

結果的にAPUの上期の講義は、オンラインのみになりました。そこに批判があるのも承知しています。小中高校が6月までにほとんどの学校が再開したのに、大学だけ対面講義を再開しなかったのはおかしいではないかと。それには大きく二つの理由があります。

第一の理由は、大学は学生が全国から集まる場所で、県境を越える移動が困難であったことです。ここが小中高校との大きな違いです。APUの場合、学生の出身地の最多が東京、二番目は福岡です。上期には国の緊急事態宣言が発出され、その後も東京都などでは県境を越える移動の自粛要請が行われました。こうした時期に、感染者数の多い地域から学生が大勢移動することや遠距離からの通学は、社会の要請に反しています。また、大規模な移動は大学のある地域の住民にとっても、不安が広がりかねません。

第二の理由として、大学の先生方が上期はオンラインでの講義を前提にシラバス(講義計画)を準備していたので、途中で対面講義に変更するのが難しかったという事情もあります。さらに緊急事態宣言が解除されたものの、感染の第二波が到来したという経緯もありました。

立命館アジア太平洋大学(大分県別府市、提供写真)

感染が収束していないウィズコロナの時代には、状況に応じて「ステイホーム」と「ニューノーマル(マスク、手洗い、ソーシャル・ディスタンスなど)」を行ったり来たりするのが原則でしょう。企業のテレワークには、ペーパーレス、時間の節約、場所の制約がないという三つのメリットがよく挙げられますが、大学のオンライン講義にも同様のメリットがあると思います。

ただ、オンラインでの学びには、対面と比べて明らかに欠ける部分があります。チャット(おしゃべり)を含めた、ピア・ラーニング(学習者同士の協働学習)です。

次のような話を聞いたことがあります。ノーベル賞級の学者が基調講演を行うような国際的な学会であっても、そういう場でヒントを得るのは実は基調講演ではなく、昔の研究仲間との雑談やランチで偶然隣に座った知らない学者との議論だというのです。つまり、人間の発想というのは、おしゃべりやうわさ話の中で生まれてくるものなのですね。

別府市街を望むAPUのキャンパス(写真提供:立命館アジア太平洋大学)

大学も同様です。学生同士、学生と先生、あるいは先生同士でも、このおしゃべりなどのピア・ラーニングこそが大学の価値だと思います。オンライン講義はいわば基調講演のようなもの。教室を出て仲間と雑談をするのが講義同様に大切なのです。

人間は肉体を持った動物であり、お互いの存在を五感で感じる中でケミストリー(化学反応)が生じます。人と人とが対面し、無意識の部分を含めて様々な気づきを得てきたのが、これまでの知の歴史なのです。

僕は普段から学生の声を聞くために学長室を開放し、コロナ禍にあっても主にZoomで週に5〜10人の学生と話をしてきました。彼らもまた「講義がオンラインでもキャンパスに行きたい。横に友達がいればそれでいい」と述べています。下期(後期)の講義は対面とオンラインの併用型で行う予定ですが、アフターコロナの時代に入って感染が収束し、学生がキャンパスに戻ってくれば、原則として対面に戻すのが基本だと思っています。

昨年の授業での集合写真(提供:立命館アジア太平洋大学)

それまでウィズコロナの時代は、キャンパスライフに様々な制約を受けるでしょう。不満もあるでしょうが、諦めるしかありません。大型の台風がやってきた時に外に出てはいけないのと同じように、生命を守るためにできないこともあるのです。

実は僕の学生時代にも1年間ほど大学の講義がありませんでした。たまたま学生運動の激しい時代に大学に入ったので、その影響です。「しゃあないな」と思いました。それに比べたら、コロナは全世界に共通する自然現象で、全世界の学生が我慢を余儀なくされています。そう考えれば、まだ諦めがつきやすいはずです。人間の力ではどうしようもないことに文句を言うのではなく、現実をありのままに受け入れたうえで何ができるかを考える。そのほうが人生においては、はるかに有益なのではないかと思います。

希望はある。閉塞状況はものを考える良い機会なのだから

ドリアン助川(助川哲也)・作家、明治学院大学教授

昨年秋から明治学院大学の横浜キャンパスで文学などの講義をしています。昨秋は対面講義でしたが、今年の春学期(前期)の講義はやはりすべてオンラインでした。

オンラインになると対面よりも大変な状況になりました。毎回、講義後に学生にレポートを書いてもらうようにしたからです。学生も大変だったと思いますが、僕のほうもなかなかきつかったです。ハンセン病文学のクラスは週2回、それぞれ四十数人います。すると、毎週90くらいのレポートを読まなくてはいけない。前期は14週間。この期間に受け取ったレポートの総数は1000を超えました。僕はそのすべてに学生のレポートと同じくらいの文章量のコメントを返したのです。眠れない日が続きました。

ドリアン助川(助川哲也。すけがわてつや)。明治学院大学国際学部教授、作家、歌手。1962年、東京都生まれ。早稲田大学第一文学部東洋哲学科卒。放送作家などを経て「叫ぶ詩人の会」を結成、ラジオのパーソナリティーとしても人気を博す。ドリアン助川として『あん』、『バカボンのパパと読む「老子」』など、明川哲也の筆名でも著書多数(提供写真)

1週目のレポートは「コロナの時代だからこそ見えてくる自分」、2週目は「コロナが5年続いたとしたら、5年後あなたは何をしているか」をテーマにしました。僕の所属は国際学部なので、航空会社や旅行代理店への就職を漠然と夢見ていた学生は多いはずです。でも、今後数年の見通しは暗い。そんな非常時だからこそ、自分にとって希望とは何か、どう生きていきたいかを考え直さないといけないわけです。

最初は「早く元の生活に戻れますように」という願望を書く子が半数ほどいました。そこで僕は「もう戻れないよ。元に戻るという変化は起きない。就職先もないような最悪の事態も考えておきなさい」と伝えました。感染の収束が見通せない状況下で、元に戻りたいと嘆いていても仕方がないので。

明治学院大学横浜キャンパス

毎回必須のレポートはうわべでは書けません。ハンセン病の歴史を初めて知り、「なぜ義務教育のうちに、このことを扱わないのか」と怒りを綴った学生がいます。(すべての患者を隔離すると定めた)らい予防法という法が人を閉じ込めていた実態を理解した際に思いを吐露したものでした。ハンセン病の歴史を知るうちに、自分のつらい体験や悩みをさらけ出した子もいます。内面を掘る作業にもつながり、講義が届くところまで届いたと感じました。オンラインも侮れない。それどころか、こういう道があったのかと気づかされました。

ただ、そうは言っても、大学はキャンパスという空間があってこそだと思うのです。

※写真はイメージです(写真:アフロ)

僕自身の大学時代を振り返ると、頭の中の3分の2は自分が主宰していた劇団のことで占められていました。特に印象に残っているのは、真冬に劇団員4人でコタツと布団を担いで大学の講堂前まで行って、麻雀をやったことです。通りがかった電気工事の人が「つないでやるよ」と電源コードを引いてくれて、ポッとこたつが灯った。次々と入りにくるやつがいて、楽しかったですね。

そんなキャンパスライフは、いまの状況では、はっきり言って難しいです。ある1年生は、キャンパスの近くに下宿しているのに一度も大学に入構できず、ここが私の大学だと眺めながら、ひたすら周辺を歩いているといいます。ほかにも、地方から上京して友達もできず、1人で部屋にこもってオンライン講義をひたすら受けるのを繰り返すうちに昼夜逆転した子やコロナうつになった子もいます。秋学期(後期)はできるだけ空間の中に出ておいでと学生に呼びかけたいです。

社会を生き抜くのに必要な能力は何かというと、創造性だと思うのです。上から来る仕事をこなしていればいいわけではなく、ぼやぼやしているとITの波にのまれ、機械に淘汰されていく時代。今やどんな仕事の現場でも創造性を問われ、何か新しいモノを創り出すことが求められる。そんな創造性をもつための希望や気迫を社会人になる前の彼らに授けることが、僕が教授になった意味だと考えています。

※写真はイメージです(撮影:編集部)

大学の意義とは、「こんなことを知りたい」「学んでみたい」という扉をたくさん見つけて、自分で開けていくクセを身につけることではないでしょうか。扉を開けるというのは、新しい世界を見ること。これはオンライン講義でも可能だと感じています。

大学に行けない、友達ができない、就職も未来が見えない。経済状態が逼迫して大学を続けられるかわからない子もいるでしょう。でもね、見方を変えれば、それはむしろチャンスでもあります。

僕の授業では、ハンセン病で劣悪な環境下に置かれた人が何を理想としたのか、極限状態に置かれた兵士が何を望んだのかというように、「希望」を厳しい状況から見ていきます。危機感なく暮らしている時には、希望は見えないことがある。そういう意味で、現在の閉塞状況は、ものを考えるうえで良い機会なんです。こんなに希望を考えるチャンスはなかなかありません。

だから嘆く必要はありません。希望と命は同義語ですし、人は生きている限り、どんな状況になってもいくつも扉を開けていけますから。

※写真はイメージです(写真:アフロ)


秋山千佳(あきやま・ちか)
ジャーナリスト、九州女子短期大学特別客員教授。1980年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、朝日新聞社に入社。記者として大津、広島の両総局を経て、大阪社会部、東京社会部で事件や教育などを担当。2013年に退社し、フリーのジャーナリストに。著書に『実像 広島の「ばっちゃん」中本忠子の真実』『ルポ 保健室 子どもの貧困・虐待・性のリアル』『戸籍のない日本人』。2匹の保護猫と暮らす。公式サイト

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