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殿村誠士

「オリンピックもやらねんだもん。無理だよな」――祭りの「消えた」街、来年の確約もできない中で【#コロナとどう暮らす】

2020/09/15(火) 17:49 配信

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コロナ禍により、今年は全国各地で多くの祭りが中止・延期となっている。関東三大祭りの一つで、50万人ほどの人出がある「石岡のおまつり」も例外ではない。創建千年を誇る古社・常陸國総社宮の例大祭として行われる年に一度の「恒例行事」は、いかに見送られたのか。来年は実施できるのか。現地で話を聞いた。(取材・文:安藤智彦/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース 特集編集部)

冷水貴子さん。手にしているのは石岡のお祭り限定の一升瓶。コロナ禍で飲食店の営業もままならないなか、酒蔵の売上も大きくダメージを受けている

お囃子の「聞こえない」秋

「今年もまた、お祭りで秋を実感できるものだと思っていました。どこかからお囃子が聞こえてきたりして」

こう話すのは、茨城県石岡市で300年の伝統を持つ造り酒屋・石岡酒造の冷水貴子さん(32)だ。彼女が言う「お祭り」とは、地元で毎年9月に行われてきた、石岡のおまつりこと「常陸国総社宮例大祭」(以下例大祭)。コロナ禍の影響を鑑み、一部の神事を除き今年の催行は見送られた。

毎年、市の中心部が人で埋まる。今年もそうなるはずだった(2012年撮影)

「お祭りにはお酒が欠かせませんし、御神酒など奉納用の準備もある。お祭りに合わせた限定商品もつくってきました。これまで普通にあったものがなくなったわけで、実感はまだない、というのが正直なところですね」

例大祭は、創建から千年以上を誇る古社・常陸国総社宮の神事として実施されてきた。その起源は8世紀にさかのぼるとされる。伝統の神輿や市内15町がしのぎを削る絢爛豪華な山車、獅子などが3日間練り歩くほか、総社宮の境内では神楽や奉納相撲も行われてきた。こうした「神賑行事」を、今年は実施しない。

奉納相撲も今年は延期となった(2014年撮影)

総社宮には、第二次世界大戦中、そして終戦直後の1945年9月にも祭事を実施した記録が残っている。石岡市観光協会の木下明男会長(77)は言う。

「正月や盆には帰省しなくても、お祭りには帰るというほど、地元民にとっては思い入れのある祭りなんです」

冷水さんもこう話す。

「大学生の時は東京暮らしでしたが、お祭りのときは何があろうと絶対に帰ってきてました。石岡の人間には、お祭りの存在が染み付いてるのかもしれませんね」

昨年は、史上最多となる50万人以上の人出を記録し、「今年はさらに」という意気込みもあった。それだけに、「なんとか実施を」という声は多かった。

「石岡市全体で、年間の観光客は150万人ほどです。単純に計算すると3分の1が『飛んだ』計算になりますね。具体的な数字までは試算していませんが、億単位の金額が消えたのは間違いないでしょうね。コロナで、お祭り以外の観光需要も厳しい状況ですが……」(木下さん)

最初は対岸の火事だった

「昭和20年」の祭の記録。総社宮には、100年以上前の実施状況も残されている

「戦争は乗り切れたようですが、コロナには勝てませんでしたね……」

こう苦笑いするのは、神主の石崎貴比古さん(42)。宮司を務める父の雅比古さんと二人三脚で、総社宮の運営を切り盛りしてきた。まさか、こんな年になるとは思ってもみなかったと話す。

「例大祭は当宮の行事の中で最も重要な祭りです。一部の神事を残して、神振行事を実施しないという決断は辛かったです」

総社宮でもマスクや消毒薬の用意にはじまり、手水の柄杓、賽銭箱など人が触れうる箇所を日に複数回消毒する日々が続いている

氏神である総社宮、そして氏子となる市民が一丸となって実施する例大祭。その準備は、前年から始まる。今回も、昨年末に数十人におよぶ関係者の顔合わせを済ませ、衣装の発注や山車の準備なども進んでいた。

石岡のおまつりでは、15の町が順番に全体を取り仕切る「年番」制を敷く。今年の年番だった中町の祭典委員長、山本経則さん(55)は当時をこう振り返る。

「最初の顔合わせのときは、コロナのコの字もなかった。年が明けて2月くらいの段階でも、クルーズ船がどうとか、都内で感染者が出たとかニュースでは見てたけど、あくまで遠くの話のように思っていたよね」

今年のポスターはない

「危機感のようなものはなかったように記憶してます。対岸の火事というか」(木下さん)

「できるだけいつも通りにやりたい」――多少の温度差はあっても、関係者の意思は一致していた。石崎さんは言う。

「(対策など)できるだけぎりぎりまで状況を注視して判断したい、中止にしたら影響は計り知れない、そう思っていましたね」

総社宮の今年4~5月の参拝者は例年と比べ9割ほど減った。「都内や県外から参拝にいらっしゃる方も減りましたが、家族連れや企業・団体の祈祷、そういったものが一切なくなったのが大きかった」(石崎さん)

ところが3月に入り、状況は大きく動く。茨城県で感染者第1号が出た。そして、東京五輪の開催延期が決定。これが一つの分水嶺になった。

「オリンピックもやらねんだもん。無理だよな」

誰とはなしに、こんな声が聞かれるようになっていく。

ただ、それでも例大祭は9月、半年後だ。まだ実施しないという判断を下すのは早すぎはしないか。市民の思い、各地に散らばる出身者、そして千年来の伝統を背負う神事でもある。山本さんは言う。

「最終的な準備期間を考慮すると、7月末までに可否判断できれば間に合う計算でした。年番だし、やれるものならやりたかった。それなりに準備も進めてましたからね」

例年通りなら、総社宮ではこうした装いをするはずだった(2012年撮影)

とはいえ、新型コロナウイルスの流行がやむ気配はなかった。全国各地で、大小さまざまな祭事が中止、延期となっていく。祭りそのものが密を避けられないだけでなく、準備全般が大勢の人手を必要とする。リモートで代替できるわけもない。無数の感染リスクを乗り越えられるのか。自分たちだけが強行していいのか。神事で感染者を出していいのか。さまざまな思惑が交錯する。

「高齢者ほど感染リスクが高いということがわかると、ご意見番の長老勢のなかで実施に否定的な意見が強くなってきたり。やはり開催は無理だという流れができあがっていきました」(石崎さん)

規模や期間を縮小して、なんとか実施しようという意見もあったが、石崎さんたちには懸念があった。

「一度規模を縮小してしまうと、それが既成事実化するんです。東日本大震災の年、少し祭事の時間を短くしたら、以来それが前提となってしまった。この規模の祭事となると、警察や行政など各方面の協力と調整が必要で、いったん変更したあとで元に戻すことが非常に困難になります」

結局5月末の段階で、一部の神事だけを残し、例大祭は来年への「延期」が決まる。

中止ではなく延期ということで、年番も引き続き中町が担うことになった。

「中止になったら、また15年待たなきゃいけないからね。覚悟してたけど、ほっとしたというか。それだけ年番、って重たいんですよ」(山本さん)

冨田町が年番を担当した際の様子。提灯に「年番」の文字が躍る(2014年撮影)

来年実施できる保証はない

大半の行事が1年延期となった例大祭。だが、オリンピック同様、来年実施できる保証はない。コロナ感染の第2波は落ち着きを見せているとはいえ、今後、第3波、第4波と再流行する可能性もある。ワクチン完成のめども立っていない。石崎さんは危機感をにじませる。

「来年ならこれまで通りに実施できる、そうは断言できないですよね。もし来年も実施できないとなれば、今度は地域文化としての根幹が揺らぐこともありえると思います。祭りがないことに慣れてしまう」

山本さんも言う。

「私らにできるのは、準備することだけ。1年は長いけど……。またできない、なんて考えたくないけど、こればっかりはね……」

山車の前で「おっしゃいな」の掛け声をかけて踊る、通称「おっしゃい隊」の女性たち(2014年撮影)

神社としては、もう一つ別の心配もある。正月三が日の初詣に代表される、年始の活動だ。例年なら、境内が人で埋まる。ときに数百メートルにも及ぶお参りの行列、数十人が密状態になる室内での祈祷・御祓……。

「ソーシャルディスタンスに配慮した間隔を空けてもらってさらなる行列を受け入れるのか、氷点下もある寒さのなかでの換気をどうするのか、あるいは初詣をも予約制にしてしまうのかなど、考えることが山積みですね」

参拝前に手と口を清める手水舎の柄杓を撤去したり、祈祷時のお神酒を取りやめるなど、「新しい様式」を取り入れてはいるが悩みは尽きない。何が正解なのか、全て手探りだ。

「覆面」で口を覆って神饌を準備する神職。息が神様の食べ物にかからぬための配慮。コロナとは関係なく神事の準備に用いられることがある

「人出も収入も、正月期間の占める割合が非常に大きい。ここをなんとか乗り切れないと、神社そのものが立ち行かなくなるおそれがあります。ほかの神社も同じ悩みを抱えていて、神主が顔を合わせるとこの話になっちゃいますよね」

コロナ禍の行方が不透明ななか、迎えることになる初の年末年始。そして来年の例大祭。石崎さんがこうこぼした。

「とにかく考えられること、やれることは全てやる。もう最後は神のみぞ知る、ですよね」


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