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殿村誠士

「夜の街」を支えるワンオペ薬剤師――深夜営業の薬局から見た、「震源地」歌舞伎町の景色【#コロナとどう暮らす】

2020/09/08(火) 18:35 配信

オリジナル

日本屈指の繁華街である新宿・歌舞伎町。この街に、「夜の店」の関係者を常連客とする調剤薬局がある。薬局を一人で切り盛りする中沢宏昭さん(42)は、緊急事態宣言中も変わらず店を開けていた。新型コロナウイルス感染拡大の「震源地」として名指しもされた街のど真ん中で、中沢さんは何を感じたのか。深夜営業の薬局の人間模様を追った。(Yahoo!ニュース 特集編集部/撮影:殿村誠士)

「そのまま死んでいたかもしれない」

ニュクス薬局のビルの上階にはホストクラブ、周辺にはホテルやキャバクラ、飲食店が並ぶ。取材中、上からホストたちのコールが漏れ聞こえてきた

「意識が戻ったとき、医者がホチキスでバチンバチンと頭を縫っていました」

6月22日、ちょうど日付の変わる深夜0時ごろ。薬剤師の中沢宏昭さん(42)は突然倒れた。自ら店主を務める調剤薬局のなかで意識を失ったのだ。過労だった。

「薬局の奥で倒れていたら、そのまま死んでいたかもしれない。運が良かったです」

定休日で客はいなかった。血だまりの中に横たわる中沢さんを通行人が店のガラス越しに発見、九死に一生を得た。防犯カメラには、意識を失い壁に頭をぶつけて倒れる中沢さんの様子が映っていた。

中沢宏昭さん(42)

中沢さんが営むニュクス薬局は、日本屈指の繁華街として知られる東京・新宿歌舞伎町のど真ん中にある。深夜営業の調剤薬局で、市販薬も販売する。場所柄、二日酔い防止の漢方薬や鎮痛剤、デリケートゾーンの塗り薬、精力剤、滋養強壮剤などの需要が多いという。ローションや海綿もそろえている。

7年前の開業以来、中沢さんは調剤から接客まですべて一人でこなしてきた。夜8時の開店から翌朝9時の閉店時間まで働き詰めの毎日。そんな「ワンオペ」ぶりがたたり、ついに過労で倒れてしまったのだ。それでも、倒れた翌々日にはもう店頭に立った。

「けがは頭に縫った痕とコブがあるくらいで何ともありませんでした。いつも来てくれる患者さんもいますし、店を休むことは考えもしなかった。でも、もうちょっと発見が遅かったら死んでいたと言われたんで、このままでいいのかとかいろいろ考えはしました。それに、患者さんに心配されたんじゃだめですよね」

場所柄、警察から防犯カメラの設置を強く要請されたという

調剤薬局は病院の目の前やすぐ隣に開局することが多いが、ニュクス薬局の場合、一般の病院とは営業時間が異なるという「ハンデ」がある。開業当初は、近隣にある夜間診療の病院は1軒だけだった。それが2軒、3軒と増え、常連客も増えた。中沢さんの読みは的中。キャバクラや性風俗、AV業界、ホストクラブ、バー、居酒屋、ホテル……歌舞伎町の「仕事人」たちの御用達となっていく。彼らの生活サイクルでは、昼間に営業する調剤薬局に出向くのは難しいからだ。

カウンターの奥には、常連客がボトルキープしている滋養強壮剤が並ぶ

患者の大半はメンタル系

渋谷で夜の仕事をする20代の女性は、中沢さんの薬局に毎月通う。

「毎月薬にいくら使ってるかわかんないよ」
「こないださ、めっちゃ病んで、(ホストクラブの)担当にブチ切れちゃった」
「先生働きすぎだよ、ほんと。倒れたやつさ、強盗に襲われたとかめっちゃ言われてたよ」

薬のことからホストクラブでの話、そして中沢さんの健康状態まで、とりとめがない。女性は「先生優しいから、なんでも話しちゃうんだよね」と笑う。

「どこの病院に行っても、(薬をもらいに)来るのはここですね。ここがいいんで。友達もここに通ってます。病んでるとか、いっつも話してる。なんで話せるんだろう? 先生が聞いてくれるからじゃないですかね」

薬を渡すカウンターには、椅子が置いてある。「立ったまま薬を渡す薬局が多いですけど、それじゃゆっくり話せないから」と中沢さん(撮影:編集部)

客の7割ほどは女性で、20代から30代が多い。この女性のように、「どの病院で診察してもらっても、ここで薬を処方してもらう」という常連客が大半だ。話だけして帰る客もいる。中沢さんは言う。

「そもそも夜の仕事をしていると不眠症になりやすいし、うつにもなりやすいんですよ。日光を浴びていないのもあるでしょうね。ここに処方せんで来る患者さんは大半がメンタル系。性風俗やAV、キャバクラ……わかっていてもストレスたまりますよね」

歌舞伎町のホストクラブで働くこの男性は、催眠剤をもらうためニュクス薬局に通っている。「緊急事態宣言中は店が休みだったので、収入はゼロ。補償もなかった」という

「歌舞伎町は村みたいなところですから。どこそこの誰々さんって言ったら、だいたいわかる。どんな薬を飲んでいるのか、前にどんな話をしていったのか。患者さんの顔を見れば思い出すし、会話の内容も薬歴に残すようにしています」

客との会話では、敬語をあえて使わない中沢さん。自分より若い客が多い土地柄、かえって距離感を生んでしまうからだ。

「昔の薬局って、こんな感じだったんじゃないんですかね。病院に行かなくても、まずは薬剤師に相談できる。暗い顔をしていれば悩みも聞く。最近、『駆け込み寺』みたいだって言われて、確かにそうだなと思いました」

神奈川県出身で、歌舞伎町には縁もゆかりもない中沢さん。薬科大を卒業後に就職した大手の調剤薬局で、繁華街近くの夜間薬局という「ブルーオーシャン」に気づく。

「当時は、そんなことやる薬局もなかったんですよね」

日本有数の歓楽街に狙いを定め、住まいを歌舞伎町の近くに移す。東京・阿佐谷の薬局に転職して開業資金を貯めること8年、35歳でニュクス薬局のオープンに至る。

開業当初は赤字続きだった。夜間に診療する病院は近くに1軒だけ。一番近くの病院は、院内で薬を処方していた。その病院も今では処方せんを出す。渋谷や池袋の夜間診療の病院から客が訪れるようになり、常連客も増え、2年目に黒字化。それから昨年まで、順調に経営を続けてきた。

「昼食」をとるのは、客足が落ち着く午前3時半ごろ。この日のメニューは、日の丸弁当と割引のサラダ。「学生の頃と生活レベルが変わらない」と話す

「闇営しかない」「歌舞伎町と言われてクビに」

そんな日常を、コロナ禍が襲う。

4月7日に緊急事態宣言が出されると、歌舞伎町はゴーストタウンと化し、痴漢やひったくりが増加。薬局は普段通り営業したが、客が1桁の日もあった。売り上げが前年比で半分以下になった月もある。宣言解除後も、東京アラートの影響か客足は戻らず、「夜の街」として名指しで批判されるようにもなった。

「夜のお店で働いている子のほとんどは歩合で補償もない。お給料がゼロになったとか、家賃が払えないなんて話も聞きました。経営者は特に、小池(百合子)さんへの不満をかなり口にしていましたね」

「渋谷や池袋、六本木で夜の仕事をしている子たちも、働き終わったら歌舞伎町に来て遊ぶ。夜の仕事をしている子はホストクラブにも行きますよね。バーもほとんど顔見知り。学校なんかと一緒ですよね、非常に狭いコミュニティーなんです」

PCR検査で歌舞伎町の陽性者数が多かったことについては、「新宿区長が店にお願いをして回って、ホストクラブやキャバクラがPCR検査に協力している。検査数が多いんだから当然陽性者は増えますよね」と話す。

中沢さんが、ようやく客が戻ってきたと感じたのは、6月半ば。その後、コロナ前の7割くらいの客足で推移しているという。

「うちは赤字もないけど黒字もないという感じ。飲食店や風俗店は今でもきついみたいですね。3密を避けてと言われているのに、新宿のハローワークには行列ができていた。ぱったり見なくなった患者さんもいます」

西新宿で居酒屋を経営する男性(撮影:編集部)

感染拡大の第2波が注目されるただなかの8月下旬、中沢さんはこの日も夜8時に薬局を開けた。やってきたのは、隣の西新宿で居酒屋を経営している男性だった。

「今日は歌舞伎町、人多いですね。金曜日だし、感染者が減少傾向とかニュースで言ってたからですかね」

男性は持病の薬をもらうため月に1度、薬局を訪れる。

「(緊急事態)宣言中にここで無利子の借入金の話を教えてもらって、すぐに役所に行きました。あのときは売り上げ8割減までいったかな」

東京都からは営業時間の短縮を要請されている。客足は戻ったのか。

「厳しいですね。第1波のときよりはマシですけど、今は常連さんでどうにかなっている状態。サラリーマンの人たちは1割くらいしか戻ってない。ほんまに歩いてないですからね。今も時短営業やから、もう店閉めなあかんけど……正直ね、常連客が来るのがこんくらいの時間からなんですよ。閉めるに閉められない。言葉悪いけど、闇営(業)になりますよね」

男性と入れ替わるように、金髪の華奢な女性が姿を現した。この6月まで、アパレル会社の正社員をしながら、夜は歌舞伎町のバーで副業をしていたという彼女。しかし、歌舞伎町が「感染源」として名指しで批判されたことで、昼の仕事を辞めざるを得なかったと話す。

「夜に歌舞伎町で働いているっていうので、昼の会社にメールでクレームが届いたらしいです。正社員で9年働いたんですけど、クビ。歌舞伎町、歌舞伎町っていろいろ言われて辞めることになった。もともと好きで歌舞伎町で飲み歩いてたし、もう面倒くさいからいいやって。働いているバーは感染対策もしてました。ちゃんとしてない店もあると思うけど、他の街も同じだと思うんですよ。歌舞伎町が悪いみたいに言うけど、たまたまここで感染が見つかったってだけじゃないですか」

中沢さんは、歌舞伎町だけを責めても意味がないと考えている。

「歌舞伎町で営業するなと言ったって、結局は別の場所に流れるだけ。川崎とか、都外の繁華街に流れた子も多いと聞きました。そこも今は飽和状態みたいですが。一番心配なのはキャバクラの子。いつも顔を見せていた子も、ぱったり来なくなりました。キャバクラに来るのって、大企業の役員とか、社長さんとか。会社に勤めている人が多いので、キャバクラ経由で感染したってことになるとまずい。そうなると客のほうから引いていくし、(情報共有などの)協力をお願いしても嫌がっちゃうみたいですね」

「歌舞伎町のみんな大好きです」

中沢さんが過労で倒れたとき、通行人の撮った写真がSNS上で瞬く間に拡散した。頭部から大量の血を流して倒れている姿に、「もめごとに巻き込まれた」「殺された」といった憶測とともに。

翌日、中沢さんを心配する客が次々と店を訪れた。

「ちょっと! 何で仕事してんの! 休みなよ〜」
「先生倒れたっていうから来たけど、大丈夫なんかい?」
「大丈夫〜!? 仕事抜け出してきたから、こんなものしか買って来れなかったけど、無理しないでね」
「血流して倒れたとかなると変なデマ流すやつ出てくるから、しっかりしてくださいよ」

中沢さんは、自身のツイッターでこうつぶやいた。

「歌舞伎町が何だとかあれこれ言われがちな昨今ですが、こんなに、あったかい言葉をいただける歌舞伎町のみんな大好きです」

中沢さんは言う。

「今後も潰れるお店は出るんじゃないですか。あれだけ小池さんもメディアも『夜の街、夜の街』と言い続けていましたから。一般の人は今も避けていますよね。昼の仕事があるから夜はやめたなんて話も聞きますが、ここにしか居場所がないという人もいる。特にうちはメンタル系の患者さんが多いので、心配です」

それでも、「いつも同じ場所に、同じ人がいるのが大事なんじゃないですかね」と信じ、今夜も朝まで店頭に立つ。


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