新型コロナウイルスがもたらした社会の混乱は、マスクや食料品といった生活必需品を備蓄しておくことの大切さを、私たちの心に強く植え付けた。生活スタイルを変える人が増える中、物を極力持たない「ミニマリスト」は、どうコロナと向き合い、過ごしているのか。今回、男女3人のミニマリストを取材。彼らの独特で進化した生活スタイルは、ウィズコロナ時代を生き抜く新たな可能性を秘めていた。(取材・文:猪瀬聖/撮影:岸本絢/Yahoo!ニュース 特集編集部)
ミニマリストから備蓄へ
首都圏在住の専業主婦メミコさん(38)は、新型コロナを機に、2年前から書き続けているブログのタイトルを変えた。新しいタイトルは、「ミニマリストを捨てました。」。最近のブログには、トイレットペーパーが山のように積まれた家の棚や、食料品で埋まった引き出しなど、ミニマリストとは程遠いイメージの写真がアップされている。
市街地の2LDKのマンションに、夫と2人の息子と暮らすメミコさんがミニマリストになったのは、今から4年前。当時は広々とした一軒家に住み、2台の車を所有。休日には買い物に出掛けたり家族そろって外食したりするなど、豊かな暮らしを満喫していた。
しかし、心の中では「何か違うな」と思っていたメミコさん。ある時、ミニマリストという生き方があることを知り、調べてみた。すると、「自分は、幸せを、物や家の外に求め過ぎていたことに気づいた」という。
フランスのミニマリスト、ドミニック・ローホーの著書『シンプルに生きる』も読んだ。「物を持つならできるだけ少なく、自分にあった物を持ちなさい」「高くても良い物を買いなさい、中途半端な物は買ってはいけません」といった主張に感銘を受けた。
早速、行動に移した。家具や車を次々と手放し、ついに家まで売却。約2年前、現在のマンションに引っ越した。テレビは、パソコンサイズの防水テレビを家族でシェア。食料は基本、生協の宅配を利用。「週1回の配達日の前日には冷蔵庫がスッカラカンになるが、それが快感だった」と話す。ちなみにメミコさんの夫も、「趣味は筋トレ、物には執着しないタイプ。ユニクロで買った服2着で毎週末を過ごすなど、ミニマリスト的な生活を楽しんでいる」という。
ブログを書き始めたのも、生活環境を一新した頃だった。ブログでも「ミニマリスト」を名乗ることにし、ブログ名は、最初は「ミニマリスト主婦のブレない暮らし」、その後、自分を変えたいとの思いも込め、「ミニマリスト主婦、自分を捨てました。」にした。
コロナで一変 スーパーの品薄に危機感
そんなメミコさんの生活に大きな影響を与えたのが、新型コロナだった。感染者が急増し始めた3月、ドラッグストアから、マスクやトイレットペーパー、ティッシュボックスなどが姿を消した。さらには、同月下旬、小池百合子・東京都知事が外出自粛を要請すると、首都圏にある多くのスーパーで、米や即席麺、肉などが一時、売り切れや品薄状態となった。
メミコさんが食料を普段より多めに買っておこうと生協に追加注文しようとしたら、多くの商品が「在庫切れ」となっていた。突然、強い不安に襲われた。スーパーに行けば何かあるかもしれないが、感染が怖い。「慌てて、楽天でいろいろ買いました」
これを機に必要なものは備蓄することを決めた。食料は、ドイツの伝統的パンであるプンパーニッケル1カ月分など、常温保存できるものを備蓄。ほとんどカラだったキッチンの引き出しは、「食料でパンパン」になった。使い切るごとに買っていた歯ブラシや石けん、トイレットペーパーも、半年分ぐらいまとめ買いした。
「備蓄とお買い物マラソン。」と見出しをつけた最近の投稿では、「備蓄用引き出しを開けては眺め、どれくらい用意しようかと考える日々。」など、備蓄への関心をうかがわせる文章が並ぶ。カラになった冷蔵庫を見るのが快感だった日々が、ウソのようだ。
「プレッパー」の時代
新型コロナ危機の最中、作家・ジャーナリストの佐々木俊尚さんの書いたネット記事「『ミニマリスト』から『プレッパー』の時代へ」が、ちょっとした話題になった。プレッパーとは「備える人」という意味。大規模な自然災害や万が一の核戦争などが起きた時に、直ちに自給自足の生活に移行できるよう、普段から食料や医薬品、サバイバルグッズなどを備蓄している人たちを指す。
プレッパーの本場米国では、自宅地下に核シェルターを作ったり、食料自給のための家畜を飼ったりする人もいるという。ミニマリストの対極に、物があふれた生活をするマキシマリストと呼ばれる人たちがいるが、プレッパーはマキシマリストと共通点がある。
なぜプレッパーに興味を持ったのか佐々木さんに聞くと、「歴史をさかのぼれば、西部開拓時代は何でも幌馬車に積んで移動する生活だったが、20世紀以降、ゾンビ映画のキャラクターのように、プレッパーはずっと変人扱いされてきた。ところが、新型コロナ危機が起き、慌てて買いだめする人たちを見て、パンデミックや大地震などのリスクが高まっている今の時代には、プレッパーという生き方が案外あっているのではないかと思った」と説明する。
「修正ミニマリスト」の登場
新型コロナを機に、ミニマリストの看板を掲げながらも備蓄も重視する、いわば「修正ミニマリスト」が増えている。
関東在住のおふみさん(31)もその1人。夫と2人暮らしの自宅マンションにある大型のものは、冷蔵庫と洗濯機ぐらい。衣類などはすべて押し入れに収納。「持ち物の総量が収納能力を超えないよう常に物量をコントロールしている」と、おふみさんは話す。
食料は、ペットボトルの水を何本か流し台の下に置いている以外、備蓄はなし。近所のスーパーやコンビニが冷蔵庫代わりだった。それでも、これまで何の問題もなかった。ところが、新型コロナで考えを改めざるをえなかった。
「4月の緊急事態宣言が出る直前にスーパーに行ったら、普段あるものが売り切れていた。これから食料が手に入りにくくなるかもしれないと思い、食料の備蓄を決めた」
始めるにあたり考慮したのは、コロナ感染の拡大中に大地震に襲われるようなケース。「避難所は密集するから、自宅の電気やガスが止まってもそのまま居ざるをえなくなるのではないか。だから、少なくとも1週間分ぐらいの備蓄が必要」と考え、すぐにストッカー(収納庫)を買って、即席麺やパスタ、餅、缶詰などを1週間分、備蓄した。
マスクも大変だった。おふみさんはもともと、寝る時にマスクをしていたので、新型コロナ前から使い捨てマスクをある程度確保していた。ところが、新型コロナで店頭からマスクが消えたため、就寝中のマスクをやめた。それでも家の在庫は底をつく寸前まで減った。この教訓から、今は、洗濯可能なマスクを使うようになったという。
「他のミニマリストのブログをのぞくと、やはり生活必需品の備蓄を始めた人が目立った」と、おふみさんは指摘する。
メリットを再確認
一部備蓄を始めたもののミニマリストを継続しているおふみさんと、ミニマリストの看板は降ろしたものの一般家庭と比較するとまだまだ物が少ないメミコさん。2人はともにコロナ禍のミニマリスト的な生活のメリットを語っていた。
おふみさんは「ミニマリストだからこそ部屋に広いスペースがあり、いざという時に必要な食料品や防災グッズを備蓄することができる。部屋の中に物があふれていたら、こうしたことは難しいのではないか」と話す。
メミコさんも、今も不要な物は備蓄しないなど、実質、ミニマリストの生活を続けている。
「先日、またあるかもしれない外出自粛要請に備えてカセットコンロを買っておこうかと夫に話したら、調理する必要のないものを食べればいいんじゃない?と言われたので、結局買わなかった」と笑う。
では、なぜブログで脱ミニマリストを宣言したのか尋ねると、こう答えた。
「ミニマリストを名乗っていると、ミニマリストだからこうじゃないかとか、これは買っていいのだろうかとか、気づいたら、他人の評価を気にしてばかりいた。また、ミニマリストの教科書みたいなものが自分の中にあり、それに合わせて生きようともしている自分が、窮屈に感じた。だから、新型コロナを機に名乗るのをやめた」
メミコさんは、「ミニマリストという肩書を捨てた今は、昔よりも肩の力が抜けて、もっと楽に自由に生きたいなという思いがより強くなった」と語る。
ミニマリストの本質とは?
ミニマリストの肩書にこだわらない人は他にもいる。佐々木典士さん(40)は出版社に勤めていた2015年、自らのミニマリストライフをつづった『ぼくたちに、もうモノは必要ない。』を出版。25カ国語に翻訳され、世界累計40万部のベストセラーとなった。本に刺激を受けてミニマリストになった人も多く、佐々木さんのSNSには今も多くのフォロワーがついている。
ところが、6月上旬、その佐々木さんに話を聞くと、意外な言葉が飛び出した。
「最近はミニマリストとしてはあまりつぶやいていない。自分がミニマリストかどうかも興味ない。自然体でやっている」
現在は、英語を勉強するため、日本を離れフィリピンに在住。フィリピンでも、スーツケース1つ、リュック1つという質素なミニマリストの生活を貫いている。
「身軽なミニマリストだからこそ、自分のしたいことをするため自分の好きな場所に住める」と佐々木さんは強調する。
ただ、佐々木さんは同時に、「実は、家を建てて定住し、何があっても自力で対応、自給自足できるよう、たくさん物を持っている猟師のような生活にも、以前から憧れている」と明かす。一見、ミニマリストと正反対のライフスタイルに見えるが、佐々木さんは「ミニマリストも猟師のような生活も、方向性は違うがゴールは同じ。そのゴールとは、依存しないで生活できることと、そしてリスクに対応できること」と説明する。
社会現象としてのミニマリストは、「自分はこんなに物を持っているのに少しも幸せに思えない」「物質的な豊かさと精神的な豊かさは違うのではないか」と人々が疑問を抱き始めたところから生まれた。佐々木俊尚さんは、「20世紀的な大量消費文化に対する嫌悪感、飽き飽き感が背景にある」と指摘する。時代で言えば、20世紀末から今世紀初めにかけて。「モノ」より旅行や習い事といった「コト」にお金を使う「コト消費」が注目を浴び始めたのも、この頃だ。
その流れを加速させたのが、2008年、米国の金融バブル崩壊が引き金となって世界的な景気後退を引き起こした「リーマン・ショック」だ。日本では2011年に東日本大震災が発生し、人々の経済行動に大きな影響を与えた。2015年には、「ミニマリスト」という言葉が、「ユーキャン新語・流行語大賞」にノミネートされた。
そもそも、ミニマリストの定義とは何なのだろうか。佐々木典士さんは、「スーツケース1つで世界を飛び回るのがミニマリストではない。ちょうどよいサイズというのは人それぞれ。家族がいれば、家族がいるなりのミニマリズムというのがある。要は、自分にとって本当に大事な物は何か。それに気づいているのが、本当のミニマリストだと思う」と指摘する。
おふみさんによると、ミニマリストには、例えば洗濯機も持たず衣類を全部手洗いするような「極限派」もいれば、自分が必要だと思う物は買いそろえる「生活派」もいる。おふみさん自身は後者と言い、「新型コロナのような新たな事態に直面したら、それに合わせて自分の中の、持つ、持たないの基準を柔軟に変えていくことも厭わない」と話す。
「ニューノーマル」のミニマリスト
ウィズコロナの時代、さらにはアフターコロナの未知の時代を迎え、ミニマリストも含めた日本人のライフスタイルは、どう環境の変化に対応し、進化していくのだろうか。
プレッパーに注目する佐々木俊尚さんは、「ミニマリストが消えるわけではない」と指摘した上で、「ミニマリストとプレッパー的な要素を兼ね備えた分散型生活が、これからの時代、理にかなったライフスタイルになるのではないか」と予想する。
実は佐々木さん自身、すでにそうしたスタイルの実践者だ。現在、東京も含め、国内の3カ所に住居を構えており、それぞれの家に、着替えや歯ブラシ、パソコンのアダプターなど、生活し、仕事をするための最低限の物が置いてある。佐々木さん自身はパソコンとスマートフォンを持って、それぞれの拠点間を移動するだけ。つまり、ミニマリストとプレッパーを兼ね備えたライフスタイルだ。
分散型生活を始めたきっかけは、東日本大震災だった。東京だけでは首都直下地震が襲った時に避難先がない。そこで、リスクの分散を考えたという。過疎化の問題を抱える地方は家の値段も安いことから、佐々木さんのような分散型の生活をする人は徐々に増えているという。
折しも現在、新型コロナ危機をきっかけに、過密な大都市を離れ、地方の町に移住したり、実家に戻ったりする動きが出始めている。身軽なミニマリストはそうした流れに乗りやすい。しかし、弱点もある。大都市のような発達した物流網のない地方では、自宅の冷蔵庫や貯蔵庫代わりに使えるスーパーやコンビニが非常に少ないことだ。ネット通販も配送に時間がかかる。災害で陸の孤島となるリスクも高い。そこで、ある程度の備蓄が必要となってくるわけだ。
一方、物流の発展と並んで、近年、ミニマリストの増殖を後押ししたもう一つの要因であるモバイルITの進化は、今後もその流れは止まりそうにない。官民挙げてテレワークを推進し始めたこともあり、どこにいても仕事ができる環境がますます広がることは間違いない。
これは、これまで都会でしか生活できなかったミニマリストが、形を変えて全国津々浦々、広がる可能性があることを意味する。そうなった時、進化したミニマリスト的な生き方は、ウィズコロナ時代の「ニューノーマル」となるのかもしれない。
メミコさんのブログ「ミニマリストを捨てました。」
おふみさんのブログ「ミニマリスト日和」
猪瀬聖(いのせ・ひじり)
慶應義塾大学卒。米コロンビア大学大学院(ジャーナリズムスクール)修士課程修了。日本経済新聞生活情報部記者、同ロサンゼルス支局長などを経て、独立。食の安全、働き方、マイノリティー、米国の社会問題を中心に幅広く取材。著書に『アメリカ人はなぜ肥るのか』(日経プレミアシリーズ、韓国語版も出版)、『仕事ができる人はなぜワインにはまるのか』(幻冬舎新書)など。