殿村誠士
「リモートワークの体で、実際は出勤していた」――立ちはだかる「昭和おじさん」の壁、ある地方公務員の告白【#コロナとどう暮らす】
2020/06/29(月) 10:06 配信
オリジナルコロナ禍でもリモートワークに踏み出せなかったのが、自治体の地方公務員たちだ。ITインフラの未整備や「出勤が基本」の横並び主義、そして紙&ハンコベースのアナログ環境――。上層部から降りかかる新規業務に振り回され、市民からのクレームも絶えない。悪戦苦闘する若手地方公務員を取材して見えてきたのは、日本のIT化を阻む「昭和おじさん」の存在だった。(取材・文:山野井春絵/撮影:殿村誠士/Yahoo!ニュース 特集編集部)
立ちはだかる「昭和おじさん」
「おい、今夜、飲みに行くぞ。行けるよな? いまのうちに、行けるだけ行っとかないと!」
都内某役所の政策企画部門に勤める地方公務員の安田佳和さん(仮名・38歳)が、上司のA課長(54歳)からそう声をかけられたのは、今年の3月のこと。夜の外食を控える人が増えるなか、A課長は安田さんを含む部下数人を行きつけの居酒屋に召喚、酒をあおりながらゲキを飛ばした。
「俺たち(役所)にリモートできる仕事なんてあるわけない。個人情報漏洩させたらエライことだ。それに、家にいたら、サボる奴ばっかりだろ。ちゃんと仕事してるかどうか、俺が見張ってないとダメだよな。だいたい、家でPCなんて使いたくないっての」
安田さんたちは目配せしながら、同じことを考えていた。
「あんた、ロクにPC使えないじゃん。一番仕事サボッてるの、自分だろ……」
その夜は二次会のスナックにも連れて行かれ、A課長が十八番、安全地帯の『恋の予感』を歌い上げた頃には終電前。ようやくの解散となった。
安田さんが所属するのは、政策課・企画課・人事課・財政課などを束ねる役所のトップ組織。一般企業であれば、精鋭部隊が社内外のリソースを駆使して経営戦略を講じるセクションのはずだが、現実は違う。安田さんはため息を漏らしながらこう話す。
「そもそも、職場のIT環境が劣悪で……今どき、有線ですよ。スマホやタブレットの貸与はなく、外から(庁舎内の)LANや個人メールにもアクセスできません。『個人情報の保護』ばかりを声高に主張し、セキュリティー対策がまったく進まないんです」
最近はフリーWi-Fiを来庁者向けに提供する役所が増えている。しかし、これも安田さんは「名ばかりWi-Fi」だと一蹴する。
「どの役所のフリーWi-Fiも、すごく弱いでしょう? 動画なんて絶対見られない設定です。さらに困ったことに、うちのA課長だけじゃなくて、各役所のトップや部課長級には、PCを使いこなせない人がまだまだいます。彼らは、上層部に忖度をするのが当たり前。横並び主義で、対面での『報・連・相』を求めてくる。ITに弱いから、リモートでの部下とのコミュニケーションが不安なんでしょうね。僕たち若手は、彼らのことを『昭和おじさん』って呼んでるんです」
「昭和おじさん」は、1993(平成5)年ごろまでに就職をしたバブル世代に多い。ピラミッド型社会、村組織、団体交渉がモットーで、終業後や休日にも躊躇なく部下を誘い、野球やゴルフ、慰安旅行が大好き。飲みの席では仕事のお説教と、頼んでもいない人生相談、そしてカラオケがフルセットだ。
緊急事態宣言の発令直前まで、何度もアフターに同行させられた安田さん。リモートワークはほとんどできなかったが、上司との飲み会がなくなり助かった、と苦笑する。
「3密対策会議」の事前会議が3密に
「2月にはダイヤモンド・プリンセス号の集団感染が発生するも、ウチの役所をはじめ、首都圏の自治体ではまだまだ危機感がなくて。都内の保健所には、毎日問い合わせが来ていたんです。都にはほとんど資料がなく、こちらにも降りてこない。保健所に至っては何もわからないまま、昼夜問わず電話が鳴り続けて、夜通し対応していました」
『3密を防ごう』という話が役所に降りてきたのは、3月になってからだった。
「昭和おじさんたちは、『じゃあ、3密の会議の前に、事前会議するか』って連日、いつもと変わらない密室での会議を強いてきました。感染にも敏感になっていた私たちは、『ヤバイよね』って言いつつも断れません。3密事前会議のスタートも18時半からだったりして、密室で残業ですよ。密室でマスクを外す昭和おじさんたちの飛沫を避けるべく必死でしたね」
事前会議は、密室残業の形で日に日に増えていった。加えて、コロナ禍で苦しむ事業者向けの補助金関連の仕事が上層部から怒涛のように降ってくる。2月から現在まで、安田さんは有休をほとんど取得できていない。
「連日の報道で都知事が、ソーシャルディスタンスとかステイホームとか、やたらと横文字を使ってましたから、さぞかし最新のリモートワークができているように見えたかもしれませんが、3密残業状態は、都庁も同じ状況だったんじゃないですかね。役所というのは、ほぼ同じシステム、ピラミッド組織ですから。末端にしわ寄せがくるんです」
郊外にある安田さんの自宅から職場までは、約1時間。複数の電車を乗り継いで通勤する。緊急事態宣言期間中も、安田さんは毎日欠かさず通勤した。
「いつもは押し合いへし合いの満員電車。それが、目に見えて乗客が減っていきました。まずは制服組、学生さんたちの姿がなくなって、車両に私ひとりとか、ザラにありましたね。たまに乗っている人を見ると、ああ、同業者かな、って」
緊急事態宣言の発令後は、地方自治体でもいよいよ職員の勤務態勢についての具体的な対策が話題に上るようになった。政府は地方自治体にも出勤7割減を求め、役所では毎月部門ごとに出勤抑制率の提出が課されることになる。しかし、多くの職員が、「リモートワークの体で、実際は出勤していた」と安田さんは言う。
「庁内LANでタイムカードを申請して、どれくらい出勤抑制できたかを報告するんですけど、暗黙のルールと言うんですかね、記録上はリモートしてることにして、いつものように出勤するわけです。上司の出勤抑制率達成のために、私たちがそうせざるを得ない。まあ、ブラック企業と同じやり方ですよね。一応、時差通勤の制度はありますが、頑固な一致団結主義のため活用することはない。これがわれわれの『オールドノーマル』なんですよ」
「電子決裁がきました」っていう紙が回ってくる
ペーパーレス、ハンコ不要の動きが進み、役所でも電子決裁が一部始まっているというが、「まだまだ紙とハンコ文化ですよ」と安田さん。ハンコを押す回数は、1日に100回を上回る。
「電子決裁ってふつう、PC上で完結するじゃないですか。でもそういうシステムがないから、『電子決裁がきました』っていう紙が回ってくる。そこにボールペンでサインして、また上に回す。それでまたPC上でチェックしましたと打ち込む、と。ハンコより二重の手間になっちゃってるという」
役所はこういうことだらけなんです、と安田さんは苦笑いする。
「そりゃ出勤抑制なんてできないですよね。部署によっては、紙ベースゆえに自宅勤務が可能になった職員もいました。紙の書類をわざわざPDFにして自分の個人メールに送って作業したり、書類の束を持ち帰ってせっせと手書きしたりハンコ押したり。また、戸籍住民や住民異動とか、個人情報を扱う部門は絶対に持ち出せませんから、リモートはまず不可能です。政府はとにかくリモートしろと言うんですが。矛盾ですよね」
出勤抑制が推奨されるなか、「俺がいなけりゃはじまらない」と張り切って出勤を続ける昭和おじさん上司。その目を盗むようにして、安田さんたちは、独自でリモートワークの方法を模索しはじめた。
「役所には、市民の方々に対する仕事だけではなくて、出入りの業者やメーカーの方々など、一般企業との付き合いがあります。リモートワークを推進する彼らとのやりとりには、私たちもリモートで応じたいと、自分たちでZoomを使うようになりました。タブレットを持ち込み、もちろん通信料は自腹です。同僚とはLINEグループで話し合ったり。昭和おじさんは何も知らないですが、それをやっていなかったら、私たちの業務はもっと山積して苦しかったと思います」
人手はない、それでも降ってくる特別定額給付金業務
5月に入り、特別定額給付金の業務が降ってきた。給付の準備は、住民基本台帳やモニターを目で見ながら、指さし確認をしなければならない。マイナンバーカードの普及が徹底せず、大量の個人情報を一括処理できないからだ。
「電通に再委託とかって、私たちからすると羨ましい話でした。委託したいと思っても『感染症が怖いから役所に行きたくない』って業者から断られてしまう。だから、膨大な作業を短期間で、直営の職員でやらざるを得なかったんです。そもそも地方公務員は、20〜30年前に比べて大幅に減っている。庁舎勤務の約3分の1は外注で、『正職員』がどれだけ少ないか。国は急げと言うし、市民の皆さんはまだかと待っているし……。各部署から交代で人員を出すなど、いろいろ工夫はしているんですけども限界があります。職員10人で20万件分の手続きをするって、想像つきますか? ミスがあってはならない、それは当然なんですが、ミスが出る理由がわかる私たちからすると、本当につらいことです」
インフラ整備による効率化・省力化という発想が足りない、と安田さんは肩を落とす。
「役所の仕事はこういうものだ、と決めつけている昭和おじさんが上層部に多い。AIやRPA、ICTに向いてないと思っている、というか、そもそも用語すら知らない。日本で一番ITが遅れている職場、それが役所です。私が就職したのはITバブルといわれた2000年ですが、役所では感熱紙のワープロを使っていました。そういう人たちが、今の上層部だということ。未だに軍隊意識が強く、改革が難しい。組織のピラミッドの頂点の、10人、20人の意識を変えないと、状況は変わらないでしょう」
特別定額給付金やマイナンバーカード発行業務の大量発生で、ただでさえ少ない職員が疲弊しているなか、7月には都知事選がやってくる。人海戦術が使えない上に、投票者の感染対策という課題もあり、都内の各役所は戦々恐々としているという。
「都知事選は、ただでさえ列ができるくらい投票者がきます。職員をどう配置するか。3密をどうやって防ぐのか。鉛筆も記入台も、消毒どうするの?って。もう、恐怖ですよね。今後は台風シーズン。防災、避難と感染防止についての課題が山積ですし。いやもう、有休どころか、土日もまともに休めるかどうか……」
聞いているだけでも大変さが伝わってくるが、安田さんは、「この仕事にやりがいを感じている」と胸を張る。
「一部を除いてほとんどの公務員は真面目で、人の役に立ちたいと考えて日々頑張ってます。役所は、一番市民の皆さんに近い職場。『おかげで助かりました』とか、『便利になったよ、ありがとう』という言葉や笑顔に触れるたびに、やっててよかったな、と思えるんですよ。当面は公務員の必須アイテム、ファクスとガラケーを使いながら踏ん張ろうと思ってます。早く手放したいですけどね」
投票所や避難所など、電話以外の連絡手段のない場所での任務に備え、多くの地方公務員はガラケーを手放せない。私用のスマホと使い分けるのが、せめてもの自衛手段だ。
「自腹で2台持ちが当たり前ですよ!」と両手に電話を掲げて笑う安田さん。
そのけなげな姿に、くれぐれも体には気をつけて、ゆっくりと休める日々が訪れますように……と祈る思いだった。
(最終更新:6/30 09:17)