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岡本裕志

「わたしたちは『社会』をもっと信頼していい」――鴻上尚史流、コロナ禍におけるSNSの接し方

2020/05/23(土) 10:10 配信

オリジナル

コロナ禍のいま、SNSで他人を一方的に攻撃し続けるなど、負の感情を剥き出しにする人が目立つようになった。一方、冷静にSNSを活用し問題解決に向けて動き出す人もいる。その違いはどこから生まれるのか? 自らもSNSを通じて積極的な発言をし、『「空気」と「世間」』などの著書をはじめとして、日本の「世間」と「社会」の問題について考えてきた鴻上尚史さんに話を聞いた。(取材・文:樺山美夏/Yahoo!ニュース 特集編集部)

「世間」に対する言葉しか持ってこなかった

長引くコロナのストレスで、みんなイライラしていますよね。僕も同じです。コロナが怖いのはもちろんですが、移動の自粛や休業の要請だけして、仕事や生活の補償はしてくれない政府の対応に不安を感じている人も多いのではないでしょうか。

SNSやウェブメディアのコメント欄を見るとわかりますが、人を一方的に罵倒したり、非難したりするなど攻撃的な人が目立つようになって、世の中がすさんでいると感じています。

鴻上尚史(こうかみ・しょうじ)/作家・演出家。1958年、愛媛県生まれ。早稲田大学卒。在学中に劇団「第三舞台」を旗揚げ。現在は「虚構の劇団」、プロデュースユニット「KOKAMI@network」を中心に活動。94年「スナフキンの手紙」で岸田國士戯曲賞、2010年「グローブ・ジャングル」で読売文学賞戯曲・シナリオ賞受賞。近著に『「空気」を読んでも従わない~生き苦しさからラクになる』(岩波ジュニア新書)、『ドン・キホーテ走る』(論創社)、『鴻上尚史のもっとほがらか人生相談 息苦しい「世間」を楽に生きる処方箋』(朝日新聞出版)がある(撮影:TOWA)

――このような非常事態にこそ、お互いに助け合わなければいけないと思うのですが、逆に対立してしまうケースが目立ちます。鴻上さんは、著書で繰り返し「日本人は『世間』に対する言葉しか持ってこなかった」とおっしゃっていますが、それもひとつの原因なのでしょうか。

それは大きいと思います。現代の日本というのは「世間」と「社会」の二つの世界で成り立っているんですね。

――「世間」と「社会」は異なるものなのですか?

はい、この二つは異なるものです。

「世間」というのは、「あなたと関係のある人たち」で成り立っている世界。たとえば、会社の上司や同僚、学校や趣味のサークルにおける友だち、地域や近隣の知り合いなど、自分とつながりがある人たちがいる世界のことです。

対して「社会」というのは、「あなたと何も関係がない人たちがいる世界」。道ですれ違う人、電車で隣に座っている人、初めて行くコンビニやスーパーの店員さん、映画館やコンサート会場にいる知らない人たちで構成される世界のことですね。

取材はオンラインで行った(撮影:編集部)

「世間」と「社会」における態度の違いについて、僕はこう考えています。

日本人は、「世間」を中心に生きているので、「社会」への関心が極度に薄いのではないかと。「世間」の人には親しく話すことができるのに、「社会」の人には声をかけることが少ない。無視したり、突然、文句を言って怒りをぶつけたりすることが少なくないのです。

――SNSの世界で起きている罵倒や攻撃には、そういった背景があるのでしょうか。

それはいじわるではなく、「社会」の人は自分が知らない違う世界の人だと思っているから。知らない世界の人と、どうコミュニケーションしていいのかわからないのです。

(撮影:岡本裕志)

――「身内」ではない知らない世界の人がいる。それでも歩み寄ることで、理解できる可能性はありますが、話し方がわからないから過剰に警戒したり、敵対したりしてしまうわけですね。

はい。それとは逆に、「世間」は自分のことを知っている。つまり「身内」とつながっている安心感があります。そのかわり、上下関係や暗黙のルールに縛られます。昔の人がよく「世間体が悪い」「世間に顔向けできない」と言うのは、そういう意味からきているんですね。

一方、「旅の恥はかき捨て」という言葉は、旅先の「社会」で恥をかいても、自分のことを知る人は誰もいないから関係ないから、こう言えるのです。

電車の中で熱心にお化粧をする女性がいるのも、そこが「社会」で自分とは関係ない世界だと思っているから。もしそこへ「世間」の人である勤め先の上司が乗り合わせたら、そのままお化粧は続けられないはずです。この「世間」と「社会」の成り立ちについては、歴史学者・阿部謹也さんの『「世間」とは何か』『日本社会で生きるということ』などの著作に詳しく書かれています。

(撮影:岡本裕志)

わたしたちは「社会」をもっと信頼していい

わたしたち日本人はもともと「世間」に生きてきたんですが、今はそれが中途半端に壊れて、自分が属する場所がなくなってきています。会社で働いていても、リストラなどであっけなくクビになりますし、近所づきあいもないから助け合う人がいない。

そのため、自分を守ってくれるものがない不安やストレスから、ほとんど「社会」に向かってもの申す状態になっている人が増えていると思うのです。問題はその言い方なんです。自分の世界と関係を広げるために言っているのか、ただ自己主張と発散のために言っているのか。

――コロナ禍で、「世間」は以前と比べ、さらに脆弱なものになってしまったのかもしれません。

そうですね。それでもやはり「世間」が壊れている中でも、人は自分の存在確認をしたいし、誰かに声を聞いてほしいという承認欲求があります。「絆」とか「団結」とかがさかんに言われるのは、それが弱くなったからです。でも、どんなに掛け声を大きくしても、「世間」はますます壊れていきます。

――SNSなどのネット上への書き込みは、匿名で拡散力が強い。社会を傷つける言葉であっても、遠くまで届いてしまう。大きな声に聞こえてしまう、というのはあるかもしれませんね。

先日、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』を書いたブレイディみかこさんと対談したとき、面白い話を聞いたんです。この本は、みかこさんの息子さんである「ぼく」が通うイギリスの元・底辺中学で、人種差別、ジェンダー、貧富の差などの問題にぶつかりながら、パンクな著者のお母さんとともに乗り越えていく実話を描いたノンフィクションなんですね。

主人公である息子さんがブレイディさんに、「日本人は社会への信頼が足りない」と言ったそうなんです。

つまり日本人は、「社会を信頼していない」から、ちゃんとしたアプローチの仕方がわからないんです。だから、ガマンにガマンを重ねた後、突然SNSに怒りをぶちまけたり、ちょっとした注意が「ふざけんな!」とケンカ腰になったりしてしまう。電車の中のイヤホンの音漏れとか、映画館で上映中に隣でスマホを見られた場合とか。

(撮影:岡本裕志)

興味深いデータがあります。

総務省『情報通信白書』(2018年版)によると、「SNSで知り合う人のほとんどは信頼できる」かどうかについて、「そう思う・ややそう思う」が日本は1割にも満たないのに、イギリスでは7割、アメリカは6割、ドイツは5割ほどいるのです。また、「インターネットで知り合う人たちについて、信頼できる人とできない人を見分ける自信がある」と答えたのが、日本は同じく1割にも満たないのに、英米独は6~7割もいるのです。

この数字の差は、日本と欧米の「社会」に対する信頼の違いを表しているのではないでしょうか。

なぜ欧米に、他人である「社会」を信頼できる人が多いかというと、欧米には「社会」があるだけで「世間」がないからなのです。欧米の人に良い人が多いというわけじゃないですよ。欧米の人は自分が知っている人と知らない人を分けません。分けないから、相手を自分の目で見抜くしかないのです。それは逆に言えば、自分もそう見られているということです。

一方の日本人は、エレベーターで乗り合わせた人に挨拶もせずにずっと黙っています。でも外国人、特に欧米人はエレベーターの中では、必ずと言っていいほど、挨拶や会釈をしますよね。電車の中で軽く身体が触れた時や、スーパーのレジとかで店員さんと目が合った時もそうです。それは彼らが、知らない者同士で会話することが当たり前の「社会」を生きているからです。

もちろん、欧米のネットにも変な人や危ない人は大勢います。でも、そういう人たちのことは、「インターネット・トロール」と呼んで、特別な少数者というイメージがあります。「トロール」は妖怪とかクリーチャー(化け物・怪物)ですね。つまり、ネットで出会う人とトロールを分けて考えて、「社会」として接しているのです。

(撮影:岡本裕志)

――欧米型の「社会」を持たないわたしたちは、どうしたらよいのでしょうか。

僕は、たとえTwitterの140字でさえも、不特定多数の人がいる「社会」に理解してもらう言葉を選ぶことが大切だと思うのです。ネット上で顔の見えない相手にどんなに悪態をついて攻撃しても、人混みで独り言をつぶやいているのと同じで、「社会」には届かないんですよね。

たったひとことのつぶやきが社会を変えることも

――最近、「#検察庁法改正案に抗議します」というハッシュタグをつけた投稿がのべ数百万件にも及びました。そのきっかけとなったのは、5月8日に30代の女性が投稿した、たったひとことのつぶやきでした。この動きについてはどう思われましたか?

(撮影:岡本裕志)

この発言は、「社会」に向けての言葉だったと僕は思います。もし、この時、「ふざけるな!検察庁法改悪断固反対!」というような文章だったら、ここまでの広がりはなかったと思っています。最初の女性の言葉は「社会」に向かって、「私はこう思います。あなたはどう思いますか?」というコミュケーションしようとする言葉でした。それが、さまざまな立場を越えて広範な広がりを生んだのだと思うのです。

僕も、内閣が恣意的に検察庁トップの定年を延長できるという、三権分立と民主主義の危機を招く検察庁法改正案には反対ですので、「社会」に対して慎重に言葉を選びながらツイートしました。

――同じ時期に、演劇界が抱える問題についてもツイートされていました。鴻上さんの言葉も「社会」とコミュニケーションしょうとしているように感じます。

コロナ禍で、私たち演劇界は窮地に立たされています。同じようにホテル業界も飲食業界も冠婚葬祭業界も、今苦しんでいるあらゆる業界が、みんなで声をあげて自粛要請と休業補償はセットにしてもらいましょう、という意見もツイートしました。そのように「社会」に向けた声に対しても異論はありますし、バッシングする人もいます。

感情的な中傷、罵倒などは、相手が「社会」に生きている人間だから、自分とは関係のない他人だと考えて、「旅の恥は“書き捨て”」ている言葉ですから、会話は難しいと思います。そういう時は、無視するしかありません。

でも、相手を「社会」に生きる人間と分かったうえで、なんとかコミュニケートしようとする言葉は、たとえ、立場や意見が違っていても、会話になるのです。

このような非常事態になればなるほど、つまり、私達を支えてくれる「世間」が弱まれば弱まるほど、「社会」とちゃんとコミュニケーションしようとする言葉がますます大切になると思います。

私たちは通常、「世間話」がメインです。「おでかけですか?」「ちょっとそこまで」というのは、お互いが同じ「世間」に生きているという確認です。でも、僕は「社会話」が今、必要だと思っているのです。

――コロナに限らず、災害大国の日本はいつまた非常事態になるかわかりません。

東日本大震災の後は、グラッときたときに通りすがりの人に「揺れましたね」「怖いですね」と声をかけ合って、軽く挨拶する人たちが生まれました。僕はそれを「世間話」ではなく「社会話」と呼んでいるんですが、たったひとこと、相手を気遣った言葉を交わし合うだけでも、わたしたちは気持ちが落ち着くものなのです。

(撮影:岡本裕志)

――コロナ禍では、マスクが足りない医療機関や、経済的支援を必要としている学生やひとり親家庭への支援を呼びかける声に寄付も寄せられていました。

そうですよね。だからどうか、「社会」を敵に回さないでほしいのです。それは、道徳的な意味ではなく、「社会」を敵に回しても、あなたを支えてくれるはずの「世間」が中途半端に壊れているので、孤立と分断しか待ってないからです。怒りを感じてもそのままネットに書き込むのではなく、怒りが収まらない理由を言葉にしてみるのがいいと思います。

困っていること、助けてほしいこと、生きていくために必要なことがあれば、自分の生きている「世間」にだけ、つまり「身内」にだけ通じる言葉ではなく、「社会」に通じる言葉で伝えることが大切なのです。

人間はそう簡単には変わりません。でも、コミュニケーションの方法を変えることはできます。「社会」とポジティブに付き合って味方にできると、それが巡り巡って自分が生きる環境を楽にしてくれるはずです。

SNSを自分の「世間」を守ろうとするツールではなく、「社会」とつながるツールとして使うことが、結局は生きることを楽にするのだと思います。それだけは間違いのないことです。


樺山美夏(かばやま・みか)
ライター・エディター。リクルート入社後、雑誌編集部を経て独立。新聞、雑誌、WEBメディアで、主にライフスタイル、ビジネス、教育、カルチャーのインタビュー記事を取材・執筆。書籍の取材・構成を手がけるブックライターとしても活動している。

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