「人類史で見ると、人の密集した都市文明というのがちょっと異常なんです」。人類の進化の歴史を研究する長谷川眞理子さんはそう語る。人類の歴史の中で、この新型コロナウイルス感染症はどんなできごととして記録されるのか。(ノンフィクションライター・古川雅子/Yahoo!ニュース 特集編集部)
現代文明の問題が「対岸の火事」から「自分事」になった
──「自粛疲れ」という言葉が出てきています。気軽に食事にも出かけられない。スーパーに行けばビニールのカーテンがかかっている。「人と接触するな」と言われることに私たちは戸惑っています。
いまに生きている人にとってみれば、昨日もおとといもそうだったんだから戸惑って当然ですが、人類史で見ると、人の密集した都市文明というのがちょっと異常なんですね。
およそ250万年前に、人類の祖先がサバンナに進出して、狩猟採集生活を始めますが、狩猟採集生活をしていたころは、これほど新しいウイルスが出現することはありませんでした。一つのグループは3人から数十人。それがぽつぽつとあって、集まってもせいぜい150人ほどでしたから、動物から人にウイルスが感染しても、集団の多数に免疫ができればウイルスは行き場を失って、それ以上増えません。
1万年ぐらい前に農耕牧畜が始まると、たくさんの人が集まって生活するようになります。インフルエンザウイルスが出現したのはそのころで、アヒルとブタを一緒に飼うことによって出現したと言われています。麻疹(はしか)ウイルスや天然痘ウイルスも、家畜から人へ伝染して、人のあいだだけで増えるように変わったウイルスです。
都市文明が興ると、集団の人数は指数関数的に増えていきます。1千人、1万人の単位で人が住むようになる。現在では、100万人以上の都市が世界中に370もあります。人類史の99%は狩猟採集生活ですから、現代文明は人類にとって当たり前ではないんです。
──今回、世界規模で感染が拡大しています。人間の行動にどう影響すると考えていますか。
14世紀に流行したペストや、第1次大戦のあとのいわゆるスペインかぜ(A型インフルエンザウイルス感染症)など、人間はさまざまな感染症に見舞われてきましたが、それらと、いまの新型コロナウイルス感染症の決定的な違いは、人間の数がものすごく多いことです。
いま、地球上には80億近い人間がいて、そのうちの53%が都市に住んでいます。人の移動が簡単になり、1年間で海外旅行に行く人の数はこの30年間で4億人から14億人になりました。グローバル化で、経済も政治もすべてつながっています。こういう状態でパンデミックになったのははじめての事態だと思います。
エボラ出血熱や高病原性鳥インフルエンザでは、先進国のど真ん中は襲われませんでした。都市の住民にとってはどこか「対岸の火事」だったんです。今回、主要先進国がすべてこういう状況になって、はじめて、現代文明の問題が自分事になったんだと思います。
──現代文明の問題とは、具体的にはどういうことでしょうか。
人間はこれまで、森林を伐採して農地にし、そこに大量の肥料をまいてきました。あるいは、地球の表面をコンクリートで埋めて、都市に変えてきました。人が世界中どこにでも、野放図に移動するようになりました。これは行きすぎで、おかしいことだとずっと言われてきましたが、本気にしてこなかった。そうやって文明をまわしていくことでお金が儲かるからですよね。経済を優先して、地球環境問題はつねに先送りにしてきた。それをグレタ・トゥンベリさんは怒ったわけでしょう?
私たちホモ・サピエンスが誕生した20万年前から現在までをグラフにして、人獣感染する新型ウイルスの出現をプロットすると、右端にぎゅっと固まっているはずです。それはやはり、人間が生態環境を改変していることの直接の結果だと思います。
「意外性」を維持できるのか
──テレワークが推奨されて、ウェブ会議システムの利用が増えるなど、働き方の変化が生まれています。
うち(総合研究大学院大学)は全国にあるたくさんの研究所をたばねている大学なので、こういうことになる前から、テレビ会議はしょっちゅうあったんですよ。だけど、テレビ会議では、ちゃんとしたコミュニケーションになかなかならないんですね。
ふだんからお互いに顔を合わせていた人とだったら、テレビ会議もうまくいくんです。冗談を言ったりしても通じますしね。だけど、初対面の人と、「これから会議でございます」なんてやっても、ダメなんですよ。オンラインでは新しい関係をつなげていくのは難しいのかなという気はしています。
──自宅で仕事をするようになって効率が上がったという人もいますが。
タスクのやりとりだけでは、発展性がないんです。場を共有しながら、対面で一緒に何かをやっていくと、意外なことが連続して起こるのね。
たとえば学会なんかでも、発表や質疑応答は進行が決まっていて予想外のことは起こらないけれど、そのあとの懇親会で誰かとしゃべっているときに何か着想を得る、ということはよくあります。それは、あらかじめ何かを計画したからできることではないんですよ。
人間のアイデアのやりとりは、そういう、意外性に対して360度オープンになっている状態の中で、発展してきたと思うんですね。テレビ会議やその他のツールでは、その意外性がかなり減ってしまうと思っています。
──すべてをITで補完するのは難しい?
難しいと思います。
──たしかに今回、医療や介護、小売りや物流など、私たちの生活がリモートで代替できない仕事にどれほど依存しているかということに気づきました。
それはほんとにね、気がついてほしかったの。「Society 5.0」とかね、ITでなんでもうまくいくと宣伝しすぎていたと私はずっと前から思っていて。リアルにみんながお互いに接触しながら、対面でいろんなことをやることこそが人間の基本なんだからね。技術に可能なことはどこまでかをちゃんと考えずに、技術だけで「経済発展と社会的課題の解決が両立できる」というのは、言い過ぎだったと思っています。
──恋人にも会えないのかとか、キスもハグもできないのかとか。
それをやめさせることはできないしね、それで会うのをやめると判断するのはずいぶん打算的な人だと思いますよ。二人の人間が会うことは禁止されてないわけでしょう。人と人がわかり合うためには、対面でいろんなことを話したり共有したりしないとダメですよ。過剰に反応してもいけないわけで、恋人同士に限らず、人と会わずにい続けることはできないと思います。
情報不足が人を理不尽な行動に走らせる
──緊急事態宣言(4月7日)が出るまでは、若い人たちが外出をやめないという批判がありました。先日も週末の観光地に人が集まったことが報道されています。
若者もそんなにみんな脳天気なわけじゃないからね、3月ごろは情報が限られていたし、たいしたことないというメッセージを受け取ったから、無視したんだと思う。
私が思うには、正確な情報があれば、みんなけっこうまともに行動します。情報が限られていて危機感だけがあると、人は理不尽な行動に走ります。買い占めに走るとかね。反対に、それほど危機的ではないと思えば、勝手なことをします。
人間は、他者に「共感」できる生き物です。みんな、自分自身をリファレンスにして、自分がこう思っているから相手もそうだろうなというふうに類推しますよね。自分が嫌なことは相手も嫌だろうなと思える。言葉にしなくても、表情やしぐさから無意識にわかり合える。人間はお互いのことを自分に引きつけて理解できるので、全員のためにいい解決点はどこにあるかをみんなが考えると思います。ただし、そういう状況を搾取しようとする悪いやつは絶対にいるから、それは警戒しなければいけないけれど。
政治的なリーダーたちがやらなければならないのは、危険がどのくらいあって、どういう情報があるのか・ないのかを、ちゃんと伝えることです。それがものすごく、人の行動を左右すると思います。
──情報発信は適切になされていないと思いますか。
いまはSNSにものすごくたくさんの情報があふれていますよね。正しい情報もデマも含めて、瞬時に発信される。この情報環境は、人の意思決定にずいぶん変なバイアスをかけることになっていると思います。
どれが本当に正確に分析された情報なのかがわからないから、してもいいことと、してはいけないことを選り分けるのが難しい。顔の見えないSNSは原始的な情動による言葉も簡単に伝播してしまいますから、信用格付けができにくいんです。
──それもコロナ禍が発生する前からの現代文明の問題ですね。
人類は何度も感染症と戦ってきて、今回のことも永久に続くわけじゃない。どのくらい続くかは見通しが立ちませんが、そのうち緩和されるでしょう。そのときに、全部忘れて元に戻ることはできないと思うんですよ。
他人と接触したいし、対面で関係を持ちたいし、楽しいことをするためにいっぱい集まりたいという、基本的な人間の欲求は変わらないと思います。その欲求を実現するために、いったいどういうオプションがあり得るのか。今回のことで、リアルに接触することがどれだけ大事かとか、ITでできることの限界はどこかとか、いろいろ学ぶと思うので、みんな少し賢くなって、都市文明を作り替えていくところが出てくるのではないかと思っています。
それを考えるときにね、私も含めてだけど、年寄りはもうダメだと思う。特に年寄りの男の政治家は、どうせいままでの思考形態を変えないし、いままでどおりの枠組みしか思いつかないから、文明の方向を変えようということには思い至らないと思う。やはり、いまの若い世代が何を選択するかにかかっているのではないでしょうか。
古川雅子(ふるかわ・まさこ)
ノンフィクションライター。栃木県出身。上智大学文学部卒業。「いのち」に向き合う人々をテーマとし、病や障がいを抱える当事者、医療・介護の従事者、科学と社会の接点で活躍するイノベーターたちの姿を追う。著書に『きょうだいリスク』(社会学者・平山亮との共著、朝日新書)。