北朝鮮人気歌手の背後にふわっと浮かんだのが「レーニンの巨大肖像画」という違和感
北朝鮮の宣伝扇動当局が意図的に使った写真なのだろう。21日に開催された朝鮮労働党中央幹部学校の竣工を祝う公演で、北朝鮮の人気歌手、キム・オクチュ氏が熱唱するその背後に、旧ソ連建国の父・レーニン(1870〜1924)の肖像画がほのかな光を浴びて浮かび上がっている。
党中央幹部学校に、金正恩(キム・ジョンウン)総書記の肖像画が先代と並んで掲げられていたのとあわせて注目されているのが、このレーニンと、共産主義の父といわれる哲学者・経済学者のカール・マルクス(1818~1883)の巨大な肖像画だ。
二つの肖像画は建物の外壁に対をなすように掲げられている。二つの間には「偉大な金日成―金正日主義で徹底して武装しよう!」というスローガンと党の徽章を確認できる。
公演のステージはこの建物を背後に設営されている。北朝鮮を代表する歌手と、レーニンの“ツーショット”には、北朝鮮当局のさまざまな意図を感じざるを得ない。
◇マルクス・レーニン主義に批判的立場
思想的な起源がマルクス・レーニン主義にあるとはいえ、北朝鮮は金日成(キム・イルソン)主席、金正日(キム・ジョンイル)総書記、金正恩総書記と続く「3代世襲」を確立し、最高指導者を偶像化するプロセスにおいてマルクス・レーニン主義に対し批判的な立場を取ってきた。
1980年の党規約改正、1992年の憲法改正などによって、マルクス・レーニン主義という文言は削除され、金日成主席の主体(チュチェ)思想が統治理念となった。
党の歴史と理論的基盤を説明する際にマルクス・レーニンは欠かせないため、エリート対象の教育課程ではその理論の一部が取り扱われるそうだ。ただ、マルクスの「資本論」など原典へのアクセスには制限がかけられているという話は聞いたことがある。
金正恩氏が最高指導者になった直後の2012年には、金日成広場の党本部外壁にあったマルクスとレーニンの肖像画が撤去されたそうだ。
こうした経緯もあり、今回、党幹部を養成する最高教育機関において、北朝鮮最高指導者3人の肖像画と向かい合う形で、マルクスとレーニンの肖像画を掲げるということに違和感を抱かざるを得ない。
◇「金正恩思想」への布石
なぜ今、マルクス・レーニンの肖像画なのか。韓国の識者からさまざまな見方が示され、その多くが「金日成主席の主体思想を上書きする新たな統治理念『金正恩思想』を打ち立てることを念頭に置いている」と分析している。
金正恩総書記は民族・統一を否定するなど金日成主席の路線から離れ、新たな思想体系の構築を目指しているとみられる。その基礎となるものを、過去の社会主義に求めているという解釈だ。
韓国のシンクタンク「統一研究院」の趙漢凡(チョ・ハンボム)先任研究委員は韓国YTNテレビの取材に「一般に、社会主義では民族ではなく世界市民を強調する。金総書記としては『社会主義を起点とする自らのイデオロギー』を作る必要がある。一方で、マルクス・レーニン主義では民族というものは重要視されない」と指摘する。
ほかにも、韓国の北朝鮮研究者の間では次のような意見も語られている。
「国際社会が陣営に分かれており、北朝鮮も内外の環境変化を意識している」
「党と金日成・金正日主義の思想的起源が社会主義陣営の『普遍的思想基盤』(マルクス・レーニン主義)とつながっていることを強調し、それを党幹部に学習させている様子を示そうとしている」
「自由主義陣営への対応を考え、北朝鮮を中心とした国際マルクス・レーニン主義を発展させたいという思惑がある。それに基づく国際的連帯が可能であることを知らせる意味もある」
ただ、主体思想を何十年にもわたって学習してきた北朝鮮住民は、こうした変化をどうとらえるだろうか。また既に「失敗した」と総括されている過去の社会主義への回帰は、時代錯誤的な選択にならないだろうか。
◇ロシアを意識?
北朝鮮は今、ロシアと緊密な関係を築いている。プーチン大統領訪朝の準備が進んでいる時期でもあり、両国の伝統的な連帯感や親密さを最大限に高めようとする意図もあるのでは――こんな見方も一部にはある。
金総書記は昨年12月26~30日の党中央委員会総会拡大会議で▽社会主義国の政権党との関係発展に力を入れる▽米国と西側の覇権戦略に反旗を翻す反帝・自主的な国々との関係をより一層発展させる▽わが国の支持・連帯の基盤をさらに固め、国際的規模で反帝共同行動、共同闘争を果敢に展開していく――などと表明していた。今回の「マルクス・レーニンの肖像画」は、この路線と関連づけて考えることができるだろう。
だが、果たして、北朝鮮は対露関係とマルクス・レーニンの肖像画を関連づけることができるだろうか。
韓国・国民大学で北朝鮮問題を研究するロシア出身のフョードル・テルティツキー氏は北朝鮮専門サイト「NKニュース」に、北朝鮮当局が共産主義国家という共通点から中国にアピールしている可能性を示唆しているとみる。一方、ロシアとの関係促進を狙ったものだという一部の専門家の見解には懐疑的だ。「プーチン大統領はマルクスにあまり関心がなく、レーニンは嫌っている」というのが理由だそうだ。
プーチン氏は青年期、マルクス・レーニンという学校で強制されるイデオロギーよりも、ロシアの正統性・独裁制・民族性になじんでいたといわれる。特にレーニンについては、ロシアが侵攻を続けるウクライナという国を作った「設計者」呼ばわりし、領土という贈り物を与えたと批判している、という背景もある。