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トランプ氏銃撃、「独裁」金正恩総書記も心中は穏やかではない?

西岡省二ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長
金総書記の車を取り囲む車両と沿道で警戒する警備員=朝鮮中央テレビより

 トランプ前米大統領の暗殺未遂事件が起き、米大統領選の動向を注視してきた北朝鮮の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党総書記も衝撃を受けているのは間違いない。北朝鮮国外で指導者を標的にした銃撃事件が相次いでいることから、北朝鮮の独裁的リーダーも身辺警護をさらに強化しているのかもしれない。

◇三重の警護

 金総書記の周囲には、もちろん厳重な警護態勢が敷かれている。それが強烈に印象付けられたのは、シンガポールで2018年6月に開かれたトランプ大統領(当時)との米朝首脳会談に臨んだ時だ。金総書記のリムジンをスーツ姿の集団がランニングしながら警護する様子が世界に向けて発信された。

 米ジョンズ・ホプキンス大学米韓研究所のマイケル・マッデン(Michael Madden)客員研究員が英BBCに語った情報によると、金総書記の警護は三重に及ぶという。シンガポールでリムジンの周囲を走っていたのは朝鮮労働党中央委員会第6処の護衛官。身体能力や射撃・総合格闘技の技術、見かけの良さで選ばれた人材といわれる。朝鮮人民軍の特殊作戦部隊と似た特訓を受け、金総書記の「人間の盾」となる。選任の際、その家族は2代さかのぼって身元調査を受ける。多くは金総書記や党・政府高官と血縁関係があるとされる。

 その外側を二重に取り囲むのが護衛司令部だ。金総書記の執務室から、外国訪問の際に訪れるすべての建物において警護を担う。金総書記が口にする可能性のあるすべての飲食物やたばこなどを毒味し、総書記の健康管理にも細心の注意を払う。

2018年6月10日、シンガポールで北朝鮮の金正恩総書記を乗せた車と並走する北朝鮮の警備要員
2018年6月10日、シンガポールで北朝鮮の金正恩総書記を乗せた車と並走する北朝鮮の警備要員写真:ロイター/アフロ

◇4月以降、警備強化か

 トランプ氏銃撃事件の前から、北朝鮮では金総書記の警護が強化されているようだ。

 北朝鮮情報専門サイト「NKニュース」は17日配信の記事で、北朝鮮国営の朝鮮中央テレビや朝鮮中央通信の映像・画像を分析した結果について報じ、公式行事における警護強化の詳細について伝えている。

 それによると、金総書記が今年4月25日、金日成軍事総合大学を訪問した際、その1週間前には12台で構成されていた車列が18台になり、1.5倍に増えていた。

 また、5月21日に開かれた党中央幹部学校の竣工式では▽正面玄関に6つの金属探知機が配置されていた▽爆発物や化学兵器を嗅ぎ分ける探知犬を連れた警備員の姿があった▽金総書記の車列が到着する際、警備員が学校の外周と建物の屋上に並んでいる――などの状況がとらえられたという。

 また金総書記が下車した際、すべての出席者が数百メートルも引き離されていたにもかかわらず、護衛官は保護ブリーフケースを持って金総書記を取り囲んでいた。

 さらに、6月19日にロシアのプーチン大統領が平壌に到着し、金総書記が出迎えた際も、午前2時すぎという時間帯にもかかわらず、数百人の警備員が道路に並び、警戒に当たっていた。

◇挑戦勢力は見当たらず

 朝鮮半島をめぐる情勢は緊張し、北朝鮮と米韓との間には不穏な空気が漂う。米韓両軍が特殊部隊の訓練を実施する際、韓国メディアは「金総書記をはじめとする首脳部を除去する『斬首作戦』に備えたもの」と伝えており、北朝鮮当局は神経をとがらせている。

 一方、北朝鮮国内では、金総書記の叔父、張成沢(チャン・ソンテク)氏の処刑(2013年12月)以後、「金正恩体制に挑戦しよう」という勢力は見当たらなくなり、国内は安定しているように見える。金総書記の身辺警護をめぐっては「2018年に護衛司令部が金総書記の暗殺を企てた」と一部で伝えられたこともあるが、内部に抵抗勢力があるとは現時点では考えにくい。

 ただ、慢性的な経済難からの脱却はなかなか図れず、住民の不満はくすぶっているようにみえる。金総書記が「民心」を意識した政策を次々に打ち出すのも、この「民心の離反」を懸念していることの証左といえよう。

 国外では、トランプ氏銃撃に加え、▽2022年7月に安倍晋三元首相が銃撃される▽今年1月に韓国で進歩(革新)系最大野党「共に民主党」の李在明(イ・ジェミョン)代表が刃物で襲撃される▽今年5月に東欧スロバキアのフィツォ首相が銃撃される――など、政治指導者を狙った事件が相次いでいる。

 国内の抵抗勢力を押さえ込み、国外の敵と対峙することで自国の安定を維持し続けているだけに、金総書記はトランプ氏銃撃の知らせを聞いて強いストレスを感じているのだと思う。

ジャーナリスト/KOREA WAVE編集長

大阪市出身。毎日新聞入社後、大阪社会部、政治部、中国総局長などを経て、外信部デスクを最後に2020年独立。大阪社会部時代には府警捜査4課担当として暴力団や総会屋を取材。計9年の北京勤務時には北朝鮮関連の独自報道を手掛ける一方、中国政治・社会のトピックを現場で取材した。「音楽」という切り口で北朝鮮の独裁体制に迫った著書「『音楽狂』の国 将軍様とそのミュージシャンたち」は小学館ノンフィクション大賞最終候補作。

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