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上京後にチャンスを逃した千鳥がブレークできた理由は?

ラリー遠田作家・お笑い評論家

「幸運の女神には前髪しかない」という言葉がある。チャンスは二度と来るものではないから、来たときには必死でつかみに行かなければいけない、という意味だ。芸人にもここぞという売れるためのタイミングがあり、そこで上手く波に乗れないと、あとあと苦労を強いられることになる。

千鳥に最初のビッグウェーブが来たのは約10年ほど前のことだ。『THE MANZAI』で決勝に進んで一気に注目され、当時の若者に人気のコント番組『ピカルの定理』の新レギュラーにも抜擢された。大阪から東京に出てきたばかりで、順風満帆に出世街道を歩んでいるように見えた。

ところが、彼らは千載一遇のこのチャンスを生かしきれなかった。ひな壇系のバラエティ番組に出ても結果を残せず、仕事は思うように増えなかった。『ピカルの定理』もゴールデン進出後に視聴率が低迷して打ち切りとなった。

大阪で10本以上のレギュラー番組を持っていた千鳥は、それぞれがボケもツッコミも器用にこなせる本格派の芸人である。しかし、東京の番組では長い間、そのポテンシャルを生かし切れずにくすぶっていた。

彼らが復活するきっかけになったのはテレビ埼玉の『いろはに千鳥』というロケ番組だ。低予算のローカル番組で、スタッフに不満を漏らしたりしながらのびのびと振る舞う姿が抜群に面白かった。彼らは東京に出てきて初めてその持ち味を発揮したのだ。

これが業界関係者の間でも評判になり、少しずつ千鳥の評価も高まっていった。また、本人たちも東京に慣れてきて、自分たちの良さを自然に出せるようになったことで、仕事も増えていった。

その後、彼らはメインMCの脇を固めるサブMCを任されることが多くなった。ビートたけし、志村けん、内村光良など、大御所である先輩芸人からの評価も高かった。テレビマンの間でもその実力が認められ、MCとして番組を仕切ることも多くなり、レギュラー番組はどんどん増えていった。

千鳥の強みは、何もないところから笑いを生み出せる地肩の強さである。2人とも物事を面白がるポイントを見つけるのが上手く、見る者は知らぬ間に彼らの世界に引き込まれていく。

お笑いコンビは売れてくるとどちらか一方がピンで出るようになることも多いが、千鳥は今でもコンビでの仕事が多い。それは、2人とも確固たる実力があり、2人で出ているときが一番面白いと認められているからだ。千鳥は幸運の女神の後ろ髪を無理矢理わしづかみにして、見事に大躍進を果たしたのだ。

作家・お笑い評論家

テレビ番組制作会社勤務を経て作家・お笑い評論家に。テレビ・お笑いに関する取材、執筆、イベント主催など、多岐にわたる活動を行う。主な著書に『松本人志とお笑いとテレビ』(中公新書ラクレ)、『お笑い世代論 ドリフから霜降り明星まで』(光文社新書)、『教養としての平成お笑い史』(ディスカヴァー携書)、『とんねるずと『めちゃイケ』の終わり<ポスト平成>のテレビバラエティ論』(イースト新書)、『逆襲する山里亮太』(双葉社)、『なぜ、とんねるずとダウンタウンは仲が悪いと言われるのか?』(コア新書)、『M-1戦国史』(メディアファクトリー新書)がある。マンガ『イロモンガール』(白泉社)では原作を担当した。

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