神社油まき清め男の正体:カルト宗教でもなく異常者でもないからこその社会的問題
■寺社連続油被害事件:神社油まき男に関して知るべき「正体」
神社に油をまいたとして逮捕状が出た、アメリカ在住、日本国籍で医師の男性(52)。大手マスコミは、このような表現ですが、ネット上では実名や顔写真、動画などが氾濫しています。このページでは、「正体」として名前や顔をさらすもりはありません。名前も顔も、大きな問題ではないでしょう。容疑が事実ならば、彼の社会的背景を知ることこそが、大切だと思います。
報道では、「キリスト教系宗教団体の幹部」などと表現されています。私はこの報道を見て、最初は、キリスト教系の新興宗教、カルト宗教の人間かと思いました。かなり、奇妙な人間を想像しました。しかし、この私の当初の想像は、どうやら間違っていたようです。
彼は、事件前から様々な社会的活動を行い、ネット上にも彼の団体の紹介や、メッセージの動画が上げられていました。そして、犯行を実行します。
■立派な医師として
確認をとる力は私になないのですが、彼を紹介するページを見ると、ただの医者以上の立派な医者に見えます。開業していますが、これまでにアメリカの大学医学部の教員、大学病院の客員研究員を務めたり、国会議員らによる医療改革委員会の顧問も務めています。産婦人科医として、子宮内膜症不妊症分野で活躍し、ニューヨーク子宮内膜症センター所長も務めています。
この情報が真実なら、りっぱな医師です。彼が話す動画を見ると、誠実そうに見えます。事実、今回の事件を除けば、彼は医師として立派な仕事をしてきたのでしょう。
■宗教家として
17歳のときに「キリストと個人的に出会った」と語っています。この表現を奇妙だと感じる人もいるようですが、キリスト教の中では普通の表現です。家族や地域の習慣に従って教会に行っていたのでなく、きちんと自分自身で決断し信仰を持ったという意味です。
ネット上に流れている彼のメッセージ動画の中には、「聖霊さま」といった表現が出てきて、これも奇妙に感じる人もいるでしょう。しかし聖霊は、伝統的キリスト教の教義にある「三位一体」(さんみいったい)の神(父なる神、子なる神キリスト、聖霊なる神)の一つであり、表現はともかくとして、普通のキリスト教の教義です。
彼は、一生懸命働いてきたのだと思います。医師として使命を持って働き、宗教的活動も活発に行うようになります。日本に来て、いくつかの教会(普通のまともな教会)も訪問しています。日本各地で教派を越えた集会を開き、多くの人を集め、メッセージを語ります。もちろん、その教えは、外から見れば納得できませんが、集まった人々は「アーメン!」(その通り。同意しますの意味)と、応えています。
彼は、悪徳宗教家として人をだまし、献金を騙し取ったり、インチキの100万円の壷を売ったりは、していないようです。お金に対する執着心などはないと、彼を知る人は語ります。女性をだまして危害を加えるといった悪い情報も、今のところ流れていません。
彼は、新興宗教の教祖でもなく、いわゆるカルト宗教のメンバーでもありません。キリスト教プロテスタント内の、ある教派のメンバーと言って良いでしょう。その教派自体は、熱心で誠実な人々の集まりだと思います。
ただし、もちろん、彼や彼の作った団体には、問題がありました。
■神社に油をまいた男性の問題
6月2日朝のニュースワイドショーで、この事件を取り上げていました。彼を知る牧師として、東京都江戸川区にある教会の牧師が出演していました。この教会も牧師も、立派な方だと思います。
この教会に、今回の男性が出入りするようになります。当初は、牧師も認めていたのですが、しかし彼の自己宣伝的な態度にしだいに違和感を感じます。その態度をたしなめたところ、脅迫めいたメールが送られ、結局この教会との関係は切れたそうです。
日本アッセンブリー教団京都教会(プロテスタント)の牧師村上密氏も、番組に登場しました(それ以外のメディアにも登場したようです)。村上先生は、カルト問題に詳しく被害者支援活動も行っています。先生は、以前から逮捕状が出た男性と彼の団体の問題に気づいていて、今回の事件発生時も、「神社に油を注いで清める」と発言していた彼のことが思い浮かんだそうです(村上 密 Blog6/2「神社仏閣油事件」)。
村上先生のブログでは、今回の逮捕状報道の前、5月20日に、すでに彼と彼の団体に関する疑問を投げかける投稿をしています。
逮捕状が出た男性は、一目でわかる有名なカルト宗教のメンバーではなく、新興宗教の教祖でもありませんでしたが、問題は起きていました。気づく人は、気づき始めていました。
■現代宗教の問題、現代社会の私たちの問題
オウム真理教、「イスラム国」、統一教会など、様々な宗教活動が社会を混乱させ、報道されます。一神教は危険だという人もいます。さらに、教義そのものが異端、カルトではなくても、伝統宗教のなかでも、問題が起きます。
教義そのものは伝統的でも、その組織の人間関係が歪むことがしばしば起こります。
ある宗教団体は、宗教性を失い、形骸化し、力を失います。一方ある宗教団体は、原理主義化し、非常に活発に善意の活動しますが、トラブルも起こします。先日も、韓国のキリスト教団体がネパール地震の被災地に行き、無遠慮な宣教活動で批判されていました。この団体が、伝統的教義から外れた異端の教義を持っていたわけではありませんが、その活動ぶりは、一般のキリスト教会も批判していました。以前、アフガニスタンでもトラブルを起こしました。
これらは、宗教だけの問題ではないように感じます。現代社会の問題が、宗教にも表れているように思います。様々な分野で、無気力な人々と同時に、排他的で過激な人々が現れています。
今回の事件は、しっかり捜査し、公正な裁判が行われることを望みます。しかし、彼個人を責めるだけで終わらせてはいけないとも思います。またこんな出来事があったからと言って、宗教や宗教心自体を否定するのは、間違っていると思います。マザーテレサも、キング牧師も、偉大で尊敬できる人です。
油をまいた男性のメッセージを聞いた人はたくさんいます。「清める」という発想に賛同する人もいるでしょう。しかし、普通のキリスト教徒なら、神社仏閣の建物に油をまいた彼の行為を肯定する人など、誰もいないはずです。
ただ、気をつけなくてはならないと思います。有能で熱心な人の心の中に、わずかなすきやゆがみが生まれ、それが宗教や政治思想と結びついたとき、過激な行動が生まれやすくなります。熱心な宗教心や政治思想が悪いわけではありません。しかし、自分の言動が第三者から見たときにどう思われるのかという客観性と「愛」を失ったとき、カルト化の道は始まるのです。
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「異端・カルト・破壊的カルト・カルト化とは:神社油まき事件から考える宗教問題:宗教が危険になるとき」
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「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」(聖書コリント人への第一の手紙13症4~7節)
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