カルト化とマインドコントロールの危険性:オウム地下鉄サリン事件から20年
■オウム真理教事件の衝撃
教祖麻原彰晃(松本智津夫)は、いくつものテレビの番組に出演し、堂々と持論を述べていました。各地の大学学園祭にも呼ばれました。多くの著名人とも対談を行っていました。オウム真理教を高く評価する専門家が何人もいました。世界各地を訪問し、海外支部も作りました。信者数は、1万人。多くの有能な人々が入信しました。
麻原彰晃こと松本智津夫は、国政選挙にも信者24名と共に立候補しました。かわいらしいオウムシスターズが歌う♪ショーコーショーコーの歌を、子どもたちが真似していました。
そのオウム真理教が、殺人を犯し、サリンを製造し、20年前地下鉄サリン事件を起こします。地下鉄サリン事件の遺族は、今も惨事を語り継いでいます(サリン遺族「惨事語り継ぐ」)。
世の中には、様々な犯罪者、テログループがあります。裁判官や弁護士に怒りをぶつける人もいます。しかし、こんなに大胆な攻撃をしたのは始めてです(坂本弁護士一家殺害事件・松本サリン事件)。
毒ガスを地下鉄のような密閉空間で使用すれば効果が高いことは、世界のテロリスト達が知っていましたが、実行したのはオウム真理教だけです。
オウム事件は、次々と容疑者が逮捕され、判決が出されました。しかし、オウムの流れをくむ団体は存続し、近年信者がまた増えています。そしてオウム以外にも、日本各地で、宗教団体のカルト化やマインドコントロールは進んでいます。
■宗教の素晴らしさと危険性
オウム真理教やイスラム過激派のテロなど、宗教がらみの事件が報道されると、「宗教は怖い」と言う人たちがいます。ただ、仏教系カルトのオウム真理教が犯罪を犯したからといって仏教は危険だというのは、乱暴でしょう。
危険なカルト宗教も、一般の伝統宗教も結局は同じだと言う人もいますが、その考え方は、カルト側の思うつぼです。彼ら自身が、そのような反論をするからです。宗教にも、人類の福祉に貢献する宗教と、危険な宗教があるでしょう。
教育基本法9条には、「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない」とあります。公立学校は、特定宗教の布教をしてはいけませんが、無宗教を認めると同様に、宗教を認め尊重しようとしています。
文科省のホームページには、次のようにあります。
「宗教が歴史上社会生活において果たしてきた役割、過去の偉大なる宗教家の人格、宗教が現在の社会生活に占めている地位、及びその社会的機能、及び宗教の本質等を、一宗一派に偏することなく、客観的態度で教材の中に取り入れること」。
殺人や盗みを戒(いまし)め、愛と希望を重んじる多くの宗教は、人類の福祉に貢献しています。
しかし、自動車や包丁が人を傷つけることがあるように、どんなに素晴らしい宗教にも危険性はあるでしょう。信仰は大切ですが、教祖が絶対視され、排他的独善的な信仰、極端な行動が取られるとき、宗教は恐ろしい面を見せ始めます。
■宗教がカルト化するとき
オウム真理教の犯罪行為が明るみに出る前から、「息子を返せ」といった家族の声が聞こえてきました。突然、家族を捨て、仕事を捨て、出家すると言って家を出て、連絡も取れない若者たちが続出したからです。
これも、オウム真理教側は通常の宗教行為だと主張していました。たしかに、伝統的な仏教でもキリスト教でも、家族に反対されながら僧侶や牧師になる人はいるでしょう。しかし健康的な宗教であれば、信仰を重んじる人も、もちろん家族を愛します。出家するときにも、何とか家族に理解してもらおうと努力するでしょう。
納得してもらえないまま、出家したり、修道院に入る場合も、心の痛み、悲しみを感じるでしょう。だから、そのあとも家族に対して誠意を持った対応をします。ほとんどの場合、後になれば家族も認めてくれるでしょう。だから、「息子を返せ」といった社会問題は起きないのです。
信仰深いことは良いことです。しかし同時に客観性も必要です。マザーテレサは、自分の生き方が特殊であることを理解していました。みんなに自分と同じ生活を強要したりはしませんでした。
「私は、この神仏を信じているけれども、世間の人々はそうではないし、なかなか理解してくれないのも当然である。だから丁寧な説明が必要だし、社会とのトラブルを防ぎ、社会貢献していかなければならない」。これが、健康的な信仰者の発想だと思います。
しかし、熱心さが暴走することがあります。「私たちの宗教だけが絶対であり、反対するものは全てサタンであり、脱会者は無限地獄に落ちる。社会には陰謀があり、社会は私達の敵だ。私達は迷いや疑問を一切捨て、一丸となって戦わなければならない。それは、社会の常識やルール、法律にも優先する」。こんなふうに考え始めると、危険なカルト宗教化していきます。信者を支配するために、マインドコントロールや洗脳も使用されます。
■宗教と社会
アメリカのあるキリスト教団体が出した文書にありました。「常識には反していても間違いなく神から出ている〜というものは、とても少ない」。この団体は、キリスト教の中でも世間的には原理主義的と言われる団体です。それでも健全性を保って長く存続している団体は、社会との衝突は最小現に留まるでしょう。
一神教が危険だと言う人もいますが、本来の一神教は謙遜さを持っています(一神教は危険か:世界宗教を理解し現代を理解するために)。
とてもシンプルな考えですけれども「常識」を忘れないようにしたいと思います。輸血など通常の医療行為を否定する、進学に否定的、定職につくことを良く思わない、家族や学校への敵視、全財産の寄付、フリーメーソンやら政府やらの陰謀説、違法行為の容認、性行為の強要など、こんなことが神仏のみこころにそったことであることは、めったにないでしょう。
■カルト化とマインドコントロール
こんな非常識なことが、それでもいくつもの団体で行われています。巨大な宗教団体で起きることもあり、一つの中小団体で起きることもあり、また個人による少数カルトもあります。輸血を禁止されている数十万人の人もいます。伝統宗教の中でも、性的虐待が起きます。
オウム真理教の最初の大きな犯罪行為は、極端な修行の中で死亡した信者の死体遺棄でした。この死亡事故が外部に漏れたら、団体がつぶされると考えました。これが、後の殺人につながります。選挙で大敗したときには、麻原彰晃は、「票に操作がなされた」「国家権力により弾圧を受けている。これからは武力で行く」と陰謀論と武力闘争を説きました。
常識的には、日本の選挙でそんなことが行われるわけがないと私達は考えます。しかし、オウム真理教は自分たちの団体の発展こそが唯一の正義で真理なのだと考えました。
ある学校のある学生は、ある仏教系の新興宗教(オウムではありません)の信者でした。その学生は、実習中に実習先の職員と利用者に布教活動を始めます。結局、その学生の実習は途中で中止になりました。
常識的には、反省するところでしょう。ところがこの学生は、中止と決定したときに「やった!」と心の中で叫んだそうです。後に、この宗教団体の大人の人と話したのですが、このケースを聞いて、その大人は「いずれ、学校も実習先も、私達の正しさがわかるでしょう」と語りました。これが、マインドコントロールの結果です。
私は、熱心な宗教を否定しません。宗教家を尊敬します。しかし、「常識」と熱心な信仰は矛盾するものではないと思います。オウム真理教事件を通して、犯罪、テロという面だけではなく、宗教の問題についても、理解を深めていかなければならないと思います。破壊的カルト宗教から、家族や友人を守らなければなりません。
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