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一神教は危険か:世界の常識キリスト教・イスラム教・ユダヤ教を知り、現代を理解するために

碓井真史社会心理学者/博士(心理学)/新潟青陵大学大学院 教授/SC
エルサレムの嘆きの壁

■日本と世界の宗教

日本にも、多くのイスラム教徒が訪れようとしている。各地で、ハラル対応(イスラムの教えで許された、「健全な商品や活動」)のレストランなどもできつつある。

経済誌「週刊ダイヤモンド」11月15日号の特集は、「ビジネスマンの必須教養「宗教」を学ぶ」だった。国際ニュースを理解するためにも、ビジネスを進めるためにも、宗教を学ぶことが必要だ。

「無宗教国家日本からは見えてこない現実が世界にはある」「宗教がわかれば世界はわかる」(「週刊ダイヤモンド」)。

しかし、以前「アメリカにも「母の日」があるんですね」と驚いていた国際政治学者がいた(アメリカのキリスト教会での出来事が起源)。キリスト教もイスラム教もユダヤ教も、旧約聖書に登場する同じ神を信仰しているとは知らない日本人も多いだろう。

世界の宗教常識を理解していない日本人も多いかもしれない。

■西南学院創立100周年記念学術シンポジウム「一神教は危険か?宗教間対話と共生の可能性」

10月26日、西南学院創立100周年記念学術シンポジウム「一神教は危険か?宗教間対話と共生の可能性」が、東京で開催され、週刊「クリスチャン新聞」11月30日号が、その様子を伝えている。

一神教は排他的で危険であり、多神教は受容的で平和的といった話は、時おり聞かれる話である。それは、事実だろうか。

このシンポジウムは、「ユダヤ教、キリスト教、イスラム教を研究する学者たちが宗教の枠を超えて対話する」ものでり、異なる宗教同士の会話と共生の可能性を探る物である。

■一神教は危険か、互いに敵対するのか?

シンポジストであるユダヤ教のラビ、メゴネット氏は、一神教は私たち人間の理解や考えが常に不十分だと思い起こさせるものだと語る。一神教の対義語は多神教ではなく偶像礼拝であり、一神教は、あらゆるイデオロギーを絶対化してはいけないと教えるものであると言う。

(偶像礼拝とは、神の像を作って拝むだけではなく、金銭を第一にするなど、真の礼拝とは異なる主義主張思想を絶対視することである。)

一神教が危険になるのは、世俗化され(本来宗教的な聖なるものが、社会的な規制や拘束になること)、政治化され、あるイデオロギーが主張され、宗教的な装いを持ちながら実は領土的な野心などを持ったときだと、メゴネット氏は語っている。

西南学院大学名誉顧問の寺園氏(キリスト教)は、一神教が危険なのではなく、聖書や教典が社会や歴史の文脈とは無関係に抽象化され、原理主義に陥ることが危険なのだと語る。そのような行動が、しばしばナショナリズムや人種差別と結びつくと言う。

イスラム法が専門の四戸氏はによれば、イスラム教は、ユダヤ教とキリスト教に対して、教義上も実践上も敵対もしないし否定もしないと語る。

■一神教と私たち

一神教は、神様が一人しかいないというだけではなく、農業の神や恋愛の神といった神々とは異なる絶対神がいると教える。絶対的な神がいるからこそ、私たち人間は不十分な存在だと自覚できる。一神教を信じているからこそ、自分(自分たち)の言動が絶対だとは考えないはずなのだろう。

多神教の神話では、人間と神がさまざまに絡み合い、時に人が神を利用するときもある。しかし一神教における神は、お賽銭を払って言うことを聞いてもらうような神ではない。ランプから出てくる大魔神のように、人間のアシスタントにもならない。

一神教の世界観では、人間は岩やネズミと同じではなく、すべてを物質に還元できるわけでもなく、また人間が世界の中心になるわけでもない。世界の中心は神であり、人間はとても価値ある存在だが同時に謙虚になるべき存在だとされるだろう。

しかし、一神教が歪んだり、悪用されたりすることはある。神の名の下に、支配者にとって都合の良い規律を作ることもできるし、気にくわない人種の人々を攻撃できるし、本当は領土や経済的な争いなのに、聖戦だと偽ることもできるだろう。

それは多神教でも起こるだろうか。日本でも、国家神道や檀家制度は、為政者によって利用されてきたとも言えるだろう。

■社会の文脈の中で

聖書の中には、「互いに聖なる口づけをして挨拶を交わしなさい」と書いてある。しかもこれは、同性同士の口づけだ。すると、クリスチャン達は、男同士でキスをして挨拶するべきだろうか。実際は、日本のキリスト教会でそんなことをしているところはないだろう。

当時の中近東やエジプトなどでは、挨拶として同性同士のキスが行われていたようである。現代日本の文化の中では、互いに尊敬し愛し合い、親しく挨拶しようといった意味になるだろう。挨拶の仕方は、文化によって違うだろう。

聖書でもコーランでも単に「書いてある」というだけでは不十分だろう。前後の文脈を無視し、文化的時代的背景を無視して、自分の都合の良いように使ってはいけない。

だがイスラムの戦闘に参加した日本の青年は語っている(「週刊ダイヤモンド」11/15)。イスラム戦闘員は、イスラム法に反することはしない、だから信頼できると。しかし同時に、サラフィー(イスラム教スンニ派の厳格派)はコーランを文脈で読むことを徹底的に拒否するとも語っている。

■一神教でなければ良いか

一神教だから争いが起き、多神教なら平和だろうか。無神論ならさらに平和だろうか。北朝鮮はどうだろう。中国はどうだろう。旧ソ連はどうだっただろう。インドでは仏教徒とヒンズー教徒との衝突がしばしば起きている。ヒンズー教徒によるイスラム教徒への攻撃もある。

かつての日本ではどうだったろうか。多くのキリシタンが処刑されている。

残念ながら、一神教でも多神教でも無神論でも、争いは起きているのではないだろうか。

キリスト教的な思想が自然破壊を生むといった意見もあるが、もしそうだとするなら、世界でも非常にキリスト教徒の少ない日本が、なぜかつては公害先進国だったのだろうかとも思う。

キリスト教や神道がなければ、太平洋戦争は起きていなかったのだろうか。日本がアメリカよりも先に原爆を開発していたら、一神教ではない日本は使用しなかったのだろうか。

■イスラム問題

イスラム教では、イスラムの教えに自分が沿っているのを常に自省する。イスラム教は、衰退し逸脱した現実を真のイスラムの原点に戻そうとする発想法が常に働くことになる(加賀谷寛 著『イスラム思想』朝日カルチャーブックス)。このような発想が悪用されれば、イスラム過激派運動にもなるのだろう。

キリスト教では、「カエサル(皇帝)のものはカエサルへ」(ローマ帝国の支配は理不尽であって、ローマ帝国への税金はきちんと払え)と教える。宗教改革のときに活躍したカルヴァンは、王や役人は神が立てたものだから従えと教える(キリスト教徒ではなかったり悪い政治を行ったりする王でも従えとすすめるが、それでもどうしても神のみこころに反することを続けるのであれば、そのときは立ち上がって抵抗せよと教える)。

しかし、イスラム教では本来国の統治を地上の支配者に委ねる発想はない。「宗教を個人の良心の問題に限定して、国家や公共機関から切り離す近代世俗主義の(西洋的)考えもイスラムにはなじまない」(前掲書)。

また、医者が患者の病気治せば、日本なら医師に感謝するだろう。だが、イスラムでは神に感謝する。このような文化を知らなければ、イスラム世界の人々を誤解することにもなるだろう。

しかし、イスラム教自体が危険な攻撃的宗教ではない。マホメットは「慈愛(ラフーマ)として遣わされた」とコーランにはある。

「マホメットはイスラム以前のアラブのように、単に相手に対して厳しい報復を説くものではなく、相手を許す心で報復を和らげるように教えている」(前掲書)。

■これからの世界で

世界宗教になっているような宗教は、いずれも愛や平和を説くだろう。しかし、テロが起こり、紛争が起きている。

キリスト教世界を激しく憎み、テロを実行しようとするイスラム教徒もいる。だが、もしも中近東が仏教だったり、アメリカが無神論の国だったら、問題は起きなかったのだろうか。

以前、アルカイダの問題が大きく報道されたとき、こんな報告をしているジャーナリストがいた。オサマ・ビンラディンは、もともとすごい金持ちである。贅沢三昧の生活が送れる青年だった。しかし中近東の裕福な若者たちの中にも、未来への希望を失っている若者が大勢いる。

彼らは思っている。自分たちは石油が高値で売れる間は世界から大切にされるだろう。しかし、内心では欧米の人間はアラブ人を軽蔑しているのではないか。アラブの宗教や文化を軽んじているのではないか。石油の力がなくなれば、自分たちはすぐに捨てられるだろう。

そして今、「イスラム国」に続々と若者が集まり、また世界各地で独自に活動しようとする人々もいる。

心理学的に見れば、愛と尊敬を受けていないと感じる人々は、被害者意識をもち、時に少数派同士で連携し、社会に対する攻撃行動を開始する。彼らが力を持ち、また特殊な思想を持ったとき、危険は非常に大きくなる。また、よく知らない相手に対して嫌悪感を持ちやすいことも、心理学的な事実だ。

「イスラム国を弱体化させるために重要なのは、イスラム穏健派をサポートすることによって封じ込めていくこと。イスラム過激派を、キリスト教徒や無神論者など外部の人間がつぶすことはできません。」(佐藤優:「週刊ダイヤモンド」11/15)。

どの宗教を信じる人も信じない人も、様々な思いを持った人がいる。キリスト教系の危険なカルト宗教もあれば、仏教系の危険なカルト宗教も誕生している。

だがそれでも平和を愛する私たちは連携し、共存できるはずだ。たとえばイスラム教徒は、本来キリスト教を否定しないだけではなく、仏陀をも預言者に準じる存在と考え、否定はしないという(「イスラム思想」)。日本人も、日本を訪れるイスラム教徒を歓迎するはずだ。

一神教や、宗教自体が危険なのではないだろう。宗教指導者が平和に貢献することもできるだろう。解決の希望はある。しかし、経済格差、領土問題、民族としてのプライド、これらの問題が放置され解決されなければ、宗教やイデオロギーの悪用による争いは、今後も続いていくのかもしれない。

社会心理学者/博士(心理学)/新潟青陵大学大学院 教授/SC

1959年東京墨田区下町生まれ。幼稚園中退。日本大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(心理学)。精神科救急受付等を経て、新潟青陵大学大学院臨床心理学研究科教授。新潟市スクールカウンセラー。好物はもんじゃ。専門は社会心理学。テレビ出演:「視点論点」「あさイチ」「めざまし8」「サンデーモーニング」「ミヤネ屋」「NEWS ZERO」「ホンマでっか!?TV」「チコちゃんに叱られる!」など。著書:『あなたが死んだら私は悲しい:心理学者からのいのちのメッセージ』『誰でもいいから殺したかった:追い詰められた青少年の心理』『ふつうの家庭から生まれる犯罪者』等。監修:『よくわかる人間関係の心理学』等。

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