異端・カルト・破壊的カルト・カルト化とは:神社油まき事件から考える宗教問題:宗教が危険になるとき
■神社仏閣油まき事件
事件の全貌は明らかにされていませんが、一人の男性に逮捕状が出されました。
この男性は、社会的地位も高く、全国各地の教会や一部のキリスト教系大学などでも、多くの人を集めてメッセージを語っていたようです。また容疑が事実であれば、その犯罪行為は、教師が万引きで捕まったような出来心の犯罪ではなく、彼が人々に伝えていた主義主張そのものから出たものです。
中高生がいたずら半分に神社仏閣を汚すのとは、意味が違うでしょう。
朝日新聞は、6月2日の朝刊で次のように報道しています。
朝日新聞同日の大阪版には、次のような情報も追加されています。
関係者によると、男は油をかける場所について「朝、聖霊さまが教えてくれる」と説明。誰にも事前に伝えず、かけた後に神社仏閣など一部の場所を信者らに明かしていたという。
このようなマスコミの報道から、彼のことを新興カルト宗教の教祖といった誤解をしている人もいるようです。そこで、前の記事でこの事件について解説をしました(「聖霊さま」などの用語解説も)。
神社油まき清め男の正体:カルト宗教でもなく異常者でもないからこその社会的問題
ただ、やはりわかりにくい部分があり、彼は「カルト教祖の異常者だ」といったご意見もいただきました。
■カルト宗教とは・新興宗教とは
新興宗教とは、新しく起きた宗教という意味で、本来価値判断を含まない表現です。ただし、「新興宗教」というと何か怪しげなニュアンスを感じる人はいるでしょう。
カルト宗教とは、多くの人とは異なる変わった内容を信じる少数派による宗教という意味です。「カルト的人気を誇る映画」といった表現で使われる「カルト」です。一般受けはしないけれども、少数の人には熱狂的支持を得ます。
私たちには、信教の自由があります。どれほど奇妙に思える信仰でも、信じる自由があります。他の法律を犯したり、人々に危害を加えないのであれば、UFOを信仰しても、パワースポットを信仰しても自由です。だから、「カルト宗教」は本来は悪い意味ではありません。
しかし一般的に「カルト宗教」というと、悪い意味で使われるでしょう。奇妙な教えで人をだましたり、信者からお金や人生を奪い取る悪徳宗教といった意味でカルト宗教と言われます。
マインドコントロールなどの研究をしている心理学者や被害者保護活動をしている弁護士らは、ただの珍しい信仰団体とは区別するために、「破壊的カルト宗教」と表現することもあります。信者や社会全体を破壊するのが、破壊的カルト宗教です。
■異端とは
歴史の授業で、「異端裁判」などが出てきますが、異端とは正統な信仰から外れた信仰のことです。異端は、その宗教の中では大問題です。たとえば、キリスト教を名乗っていたとしても、三位一体を否定し、キリストは神ではないと主張したり、自分がよみがえったキリストだと主張すれば、異端だとされるでしょう。
細かい部分を見れば、キリスト教も仏教も教団教派宗派によって違いがあり、特徴があります。それぞれ自分の団体が最も良いと思うのは当然です。違いがあることで、互いに学びあえることもあるでしょう。その場合は、議論をすることはあっても互いに同じ仏教、キリスト教と認め合います。根本的な部分で正統的な信仰と外れると、異端とされるわけです。
新興宗教の中には、教祖の枕元にキリストとお釈迦様が現れて真実を教えてくれたなどと主張するものがありますが、どちらの宗教を名乗っても、異端だとされます。
しかしどのような教義でも、その団体が問題を起こさない限りは、異端であるかどうかは宗教外の人から見ればあまり関係のない話です。社会のなかでは自由な信仰と活動が保証されるでしょう。ただし、異端の団体がキリスト教、仏教、イスラム教と名乗れば、伝統的な団体は、それは違うと主張するでしょう。
以前は、マスコミ報道でも、その団体が名乗っていればキリスト教団体仏教団体と紹介されましたが、近年では問題を起こした団体を「○○教を標榜する」と報道することもあります。
■新興宗教、異端、カルト
それぞれ本来は自由なのですが、社会問題化する宗教の中には、新興宗教であり、異端のカルトであり、そしてマインドコントロールや洗脳を使う破壊的カルトであるケースも見られます。
■個人の犯罪
残念ながら、破壊的カルトではなくても、問題を起こすことはあります。信仰内容も宗教団体も問題はなかったものの、そこの僧侶や神主牧師神父が、犯罪を犯して逮捕されてしまうことはあります。
ある宗教者が酒気帯び運転や脱税で捕まったり、殺人や性犯罪を犯したからといって、その団体や宗派が、異端とかカルト宗教ということはないでしょう。また、犯罪心理学、精神医学的に見て、これらの犯罪者が診断名のつく異常な人とは限りません。
今回逮捕状が出た男性の信仰内容も、所属団体も、原理主義的な部分はあるものの、異端、カルトではないと思います。偶像礼拝の否定も、キリスト教の普通の教えです。また彼は立派な仕事もしていました。だからこそ、彼は多くの場所に招かれました。
■カルト化:宗教が危険になるとき
すいません、少しややこしい問題です。その宗教団体の教義自体は伝統的内容であっても、その団体内の人間関係に歪みが生じ、まるで破壊的カルトの教祖がしているような問題行動が起きてしまうことがあります。
破壊的カルト問題の研究者、実践者の中には、「カルト化」と呼び、警鐘を鳴らしている人もいます。
キリスト教などの一神教では、神のみが絶対であり、完全に正しい人間などはいないはずです。本来の一神教は、「私たち人間の理解や考えが常に不十分だと思い起こさせるもの」です(「一神教は危険か:世界の常識キリスト教・イスラム教・ユダヤ教を知り、現代を理解するために」)。
それなのに、世俗的な領土問題や民族問題が入り込むと、テロリストたちが生まれます。
また、宗教団体の中で、牧師神父僧侶などが神仏のような絶対的存在として信者を支配し始めると、カルト化が始まります。
本当に悪い指導者で犯罪行為をすることもありますが、中には善意と信念によってカルト化が進んでしまうこともあります。
朝日新聞6月6日大阪版では、次のような記事がありました。
カルト教団による被害救済に取り組む「日本キリスト教異端相談所」は~「キリスト教信者にとっては大きな迷惑だ」~「教義に従わない者は排除する傾向が強く、文化財に油をかけて破壊する犯罪行為をいとわないのもカルトの典型」と指摘。カルト教団からの脱会を支援する「アッセンブリー京都教会」(京都市)の村上密(ひそか)牧師も「自分の信じる教義を違法な行為に結びつける団体で悪質だ」と話した。
異端か、カルトかどうかは微妙なところもあります。彼の設立した団体は、新しい宗教や教会ではありません。この部分は、やや誤解を招く表現だと思います。村上密牧師は、以前から伝統宗教内の「カルト化」の問題提起をされてきた先生です。
宗教は人類の福祉におきな貢献をしてきました。
今回の事件が、明らかな破壊的カルトによる犯罪であれば、恐ろしいことではありますが、わかりやすい犯罪とも言えたでしょう。しかしそうではなくて、「カルト化」が進み、立派だったはずの個人がまるで破壊的カルトのような違法活動を行ってしまったことが、むしろ大きな社会問題と感じられます。
「熱心な宗教心や政治思想が悪いわけではありません。しかし、自分の言動が第三者から見たときにどう思われるのかという客観性と「愛」を失ったとき、カルト化の道は始まるのです」(神社油まき清め男の正体:カルト宗教でもなく異常者でもないからこその社会的問題)。